桜に彩られた奈良のお寺を巡り、歴史を体験し、食文化を満喫する旅 ~寄り道編3~ 応頂山 勝尾寺 大阪府箕面市
2022/05/16 Mon. 06:00 [西国三十三か所巡り]
葛井寺の参拝が終わり、大阪市内での用事が終わったら、また少し寄り道です。お邪魔したのが箕面市の山の中にある 西国三十三か所 23番札所である 応頂山 勝尾寺です。

駐車場から見上げたお寺です。すごいです。
しかも、境内にはスピーカーで大音響でお経と法話が響き渡っています。初めての経験です。

立派な山門が迎えてくれます。

山門をくぐると広大な池が広がり、朱塗りの欄干の橋が境内にいざなっているようです。この橋はお清め橋といわれるそうで、橋の下からは霧が噴出し、お清めされているそうです。

時折、噴水が噴出してなんともすごい雰囲気です。

すごい池ですね。圧倒されます。
境内は8万坪のすごい広さです。

境内の奥に導くように、灯篭が並びます。何か赤い小さなものが・・・

小さなダルマがたくさん並んでいます。なんでだろう??

正面の石段を灯篭に導かれて登ると一願不動堂があります。一つの願いだけを一心に願うと願いは成就する不動明王様といわれています。
その左手には階段がありますが、なんと!

勝ちダルマ奉納堂といって、念願かなったらダルマを参拝者がここに奉納するのだそうです。
このお寺は勝ちダルマのお寺として有名なんだそうです。
このお寺の開山は727年にさかのぼります。藤原の一族の兄弟がこの地に庵を築いて、仏教の修行に励んだことから始まりました。40年後に光仁天皇の皇子 開成が二人のもとで修業を積み、弥勒寺を創建。今の勝尾寺のご本尊である十一面千手観音像を制作したといわれています。
さらに時代が経ち、六代目座主は清和天皇が重篤な病気にかかった際に、病気平癒の祈祷を行い、見事に治癒に成功したそうです。その時、清和天皇は大変お喜びになられ「勝王寺」の名前を授けたそうです。ただ、「王に勝つ」というのはあまりに恐れ多いということで「勝尾寺」に名前を定めたそうです。
それから多くの武将などたくさんの人々が戦勝の祈願に訪れたことから、勝負事の祈願で有名になり、勝ちダルマの奉納が始まったそうです。

ですのですごいダルマの数です。大企業から個人の方まで祈願に訪れておられる様子がわかります。

ダルマに見送られながら石段を登り終えると厄ばらい三宝荒神社があります。この荒神社は日本最古のものだそうです。荒神社は火やかかまどの神で火伏せの神ですが、三宝荒神社はこれに修験道の三宝荒神社と合わさったものです。

その先には鎮守堂と開山堂があります。開山堂にはこの寺を開いた藤原氏の兄弟 善仲と善算、そして全身の弥勒字を創建した開成の木像が安置されています。

その二つの建物の格子にはびっしりと小さな勝ちダルマが並べられています。ここまで来ると笑ってしまいますね。

その突き当りには亡くなった方々を供養する水かけ観音がおられ、右手には大師堂があります。
大師増の中心には弘法大師像があり、周りには西国三十三か所の砂踏みができるようになっていて、「南無大師遍照金剛」と唱えながら回ると西国三十三か所を巡ったのと同じく、大師様のご加護を得られるといわれています。

こちらが本堂です。朱の色が目に鮮やかで立派ですね。中では先ほどのスピーカーで境内中に響き渡る説法をされておられたお坊様のお姿も拝見することができました。

普通のお寺であればお札とかお経などが並ぶ授与所ですが、こちらのお寺ではすさまじい数のダルマです。ダルマは別の場所で願いを書くと、片方の目だけ墨を入れてくださいます。そして念願成就した際に、もう片方の目を入れて、こちらに奉納するということになっています。

こちらがおみくじです。木製のダルマでできています。これでようやく境内に並んでいる小さなダルマの正体がわかりました。このおみくじをひいたら、おみくじは設置された紐にかけるのですが、ダルマは境内のどこにでも置いていいようなのです。

まあ、これくらいでいいかな。これから運気は上がると信じます(笑)。

西国三十三か所のお寺としては珍しい鐘楼ではなく、木組みの鐘つき堂です。

足元にはたくさんのダルマが並んでいます。

御朱印をいただくために納経所を訪れました。

ご詠歌
重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む身こそやすけれ
さあ、御朱印を頂いたらおみくじの勝ちダルマをどこかに奉納したいと思います。

土塀にもびっしりと勝ちダルマが並びます。あまざらしはかわいそうですし、できるだけ眺めのいいところがいいなと思い、奉納したのがこちらです。

土塀の瓦の下が空いていました。しかも手前の瓦に置かれたダルマはボンドで固定されているので、振動や風で落ちることはありません。ここなら安心です。

展望もよさそうです。箕面の山々の向こうには大阪市街地と瀬戸内海を見ることができます。
さあ、下山しますよ。

勝尾寺の見どころの一つである多宝塔は残念ながら修理中で足場の中です。
降りる道はつづら折りになっていて、左側には広大な霊園があり、無数のお墓があります。檀家の数が相当多いお寺ですね。

途中で滝がありましたが、その水の流れの中にある岩の隙間にも小さなダルマが置かれていました。どうやっておいたのだろう???

また池に戻ってきました。この池には島があって、鳥居と朱塗りの橋で渡ることができます。こちらは弁天堂です。

日没前の低くなった太陽が池の水面に反射して、なんともすごい風景です。
さあ、帰路につきます。

帰る参拝客はレストランや土産物を販売しているお休み処 花の茶屋を通るようになっています。まるでテーマパークみたいな仕組みですね。

ここではお墓参り用の生花を買うこともできるのは便利です。

そして、すさまじい数のダルマを模したお土産の数々。面白すぎます。

願いを込めた勝ちダルマ専用の座布団も販売されています。

金色のダルマも。

スイーツも豊富です。パイやクッキーも面白いです。でも、惣兵衛は勝ちグミを購入しました。
とにかく印象的なお寺でした。
これで奈良から大阪にまたがる紀行は終わりです。後はお土産編を残すだけ。ゆっくりと後日、紹介したいと思います。
西国三十三か所も色々と個性があって面白いですね。!

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勝尾寺 公式HP

駐車場から見上げたお寺です。すごいです。
しかも、境内にはスピーカーで大音響でお経と法話が響き渡っています。初めての経験です。

立派な山門が迎えてくれます。

山門をくぐると広大な池が広がり、朱塗りの欄干の橋が境内にいざなっているようです。この橋はお清め橋といわれるそうで、橋の下からは霧が噴出し、お清めされているそうです。

時折、噴水が噴出してなんともすごい雰囲気です。

すごい池ですね。圧倒されます。
境内は8万坪のすごい広さです。

境内の奥に導くように、灯篭が並びます。何か赤い小さなものが・・・

小さなダルマがたくさん並んでいます。なんでだろう??

正面の石段を灯篭に導かれて登ると一願不動堂があります。一つの願いだけを一心に願うと願いは成就する不動明王様といわれています。
その左手には階段がありますが、なんと!

勝ちダルマ奉納堂といって、念願かなったらダルマを参拝者がここに奉納するのだそうです。
このお寺は勝ちダルマのお寺として有名なんだそうです。
このお寺の開山は727年にさかのぼります。藤原の一族の兄弟がこの地に庵を築いて、仏教の修行に励んだことから始まりました。40年後に光仁天皇の皇子 開成が二人のもとで修業を積み、弥勒寺を創建。今の勝尾寺のご本尊である十一面千手観音像を制作したといわれています。
さらに時代が経ち、六代目座主は清和天皇が重篤な病気にかかった際に、病気平癒の祈祷を行い、見事に治癒に成功したそうです。その時、清和天皇は大変お喜びになられ「勝王寺」の名前を授けたそうです。ただ、「王に勝つ」というのはあまりに恐れ多いということで「勝尾寺」に名前を定めたそうです。
それから多くの武将などたくさんの人々が戦勝の祈願に訪れたことから、勝負事の祈願で有名になり、勝ちダルマの奉納が始まったそうです。

ですのですごいダルマの数です。大企業から個人の方まで祈願に訪れておられる様子がわかります。

ダルマに見送られながら石段を登り終えると厄ばらい三宝荒神社があります。この荒神社は日本最古のものだそうです。荒神社は火やかかまどの神で火伏せの神ですが、三宝荒神社はこれに修験道の三宝荒神社と合わさったものです。

その先には鎮守堂と開山堂があります。開山堂にはこの寺を開いた藤原氏の兄弟 善仲と善算、そして全身の弥勒字を創建した開成の木像が安置されています。

その二つの建物の格子にはびっしりと小さな勝ちダルマが並べられています。ここまで来ると笑ってしまいますね。

その突き当りには亡くなった方々を供養する水かけ観音がおられ、右手には大師堂があります。
大師増の中心には弘法大師像があり、周りには西国三十三か所の砂踏みができるようになっていて、「南無大師遍照金剛」と唱えながら回ると西国三十三か所を巡ったのと同じく、大師様のご加護を得られるといわれています。

こちらが本堂です。朱の色が目に鮮やかで立派ですね。中では先ほどのスピーカーで境内中に響き渡る説法をされておられたお坊様のお姿も拝見することができました。

普通のお寺であればお札とかお経などが並ぶ授与所ですが、こちらのお寺ではすさまじい数のダルマです。ダルマは別の場所で願いを書くと、片方の目だけ墨を入れてくださいます。そして念願成就した際に、もう片方の目を入れて、こちらに奉納するということになっています。

こちらがおみくじです。木製のダルマでできています。これでようやく境内に並んでいる小さなダルマの正体がわかりました。このおみくじをひいたら、おみくじは設置された紐にかけるのですが、ダルマは境内のどこにでも置いていいようなのです。

まあ、これくらいでいいかな。これから運気は上がると信じます(笑)。

西国三十三か所のお寺としては珍しい鐘楼ではなく、木組みの鐘つき堂です。

足元にはたくさんのダルマが並んでいます。

御朱印をいただくために納経所を訪れました。

ご詠歌
重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かちおでら) ほとけを頼む身こそやすけれ
さあ、御朱印を頂いたらおみくじの勝ちダルマをどこかに奉納したいと思います。

土塀にもびっしりと勝ちダルマが並びます。あまざらしはかわいそうですし、できるだけ眺めのいいところがいいなと思い、奉納したのがこちらです。

土塀の瓦の下が空いていました。しかも手前の瓦に置かれたダルマはボンドで固定されているので、振動や風で落ちることはありません。ここなら安心です。

展望もよさそうです。箕面の山々の向こうには大阪市街地と瀬戸内海を見ることができます。
さあ、下山しますよ。

勝尾寺の見どころの一つである多宝塔は残念ながら修理中で足場の中です。
降りる道はつづら折りになっていて、左側には広大な霊園があり、無数のお墓があります。檀家の数が相当多いお寺ですね。

途中で滝がありましたが、その水の流れの中にある岩の隙間にも小さなダルマが置かれていました。どうやっておいたのだろう???

また池に戻ってきました。この池には島があって、鳥居と朱塗りの橋で渡ることができます。こちらは弁天堂です。

日没前の低くなった太陽が池の水面に反射して、なんともすごい風景です。
さあ、帰路につきます。

帰る参拝客はレストランや土産物を販売しているお休み処 花の茶屋を通るようになっています。まるでテーマパークみたいな仕組みですね。

ここではお墓参り用の生花を買うこともできるのは便利です。

そして、すさまじい数のダルマを模したお土産の数々。面白すぎます。

願いを込めた勝ちダルマ専用の座布団も販売されています。

金色のダルマも。

スイーツも豊富です。パイやクッキーも面白いです。でも、惣兵衛は勝ちグミを購入しました。
とにかく印象的なお寺でした。
これで奈良から大阪にまたがる紀行は終わりです。後はお土産編を残すだけ。ゆっくりと後日、紹介したいと思います。
西国三十三か所も色々と個性があって面白いですね。!


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桜に彩られた奈良のお寺を巡り、歴史を体験し、食文化を満喫する旅 ~寄り道編1~ 紫雲山 葛井寺 大阪府藤井寺市
2022/05/14 Sat. 06:00 [西国三十三か所巡り]
奈良紀行の寄り道編です。実は午後2時に大阪で用事ができたので、吉野でお昼ご飯を食べて向かう予定だったのですが、奈良紀行で西国四十四か所巡りがとても楽しくて、早く巡り終えたいと思う気持ちが強くなり、ついでに参拝できるところをお邪魔しようと決めました。
そこで、吉野葛うどんを食べることを断念し、大阪に向かいました。そこで、藤井寺市にある西国三十三か所の五番札所である紫雲山 葛井寺(ふじいでら)にお邪魔することにしました。

ナビで現地近くにお邪魔したのですが、極めて狭い道に囲まれていて、なおかつ駐車場もありません。藤井寺駅前の商店街の駐車場に車を駐車して葛井寺に向かいます。
近道をすると辛國神社の境内を通ることになります。この神社は奈良時代に物部氏の一族によって建立され、摂津の守護である畠山氏によって庇護された神社です。この畠山氏は葛井寺の歴史にも大きく関与します。

住宅街のど真ん中に立派な山門が出現します。これが葛井寺の南大門。豊臣秀頼により建立された藤寺のシンボルです。

南大門をくぐると整然と配置された葛井寺の伽藍が並ぶ境内に入ります。

このころは4月の上旬。桜がきれいでした。このお寺の花は藤。今が最高の花盛りではないでしょうか。

こちらは阿弥陀堂ですが、現在大改修中です。

このお寺の参道には真ん中に2つの灯篭が建てられていて、すごく面白いです。

こちらが大師堂です。

この石灯篭もいい感じですね。

この釣鐘堂がめちゃくちゃかっこいいです。立派ですね。

こちらが本堂です。
葛井寺と藤井寺市の地名の関係です。葛井寺は百済の帰化人である白猪氏の菩提寺として奈良時代初期に建立されたそうです。その後、白猪氏は葛井氏と名を変え、お寺もかなり後になって藤寺と呼ばれるようになったそうです。11世紀に入って、奈良の藤井安基が伽藍の復興に尽くしたことから、このあたりの地名を藤井寺と称したとされています。先の畠山氏による内乱によって伽藍は再び荒廃し、のちに豊臣氏によって復興されたそうです

ご本尊は十一面千手千眼観音菩薩で国宝に指定されています。千手観音は数あれど、1000本の手を持つ仏像はありませんが、この菩薩さまは1,043本の手を持たれている素晴らしい仏さまです。

御朱印もいただきました。
ご詠歌:参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

都会のど真ん中にある西国三十三か所。面白いです。
本殿の中がガラスの反射で全く見えなかったのが残念!

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葛井寺 公式HP
そこで、吉野葛うどんを食べることを断念し、大阪に向かいました。そこで、藤井寺市にある西国三十三か所の五番札所である紫雲山 葛井寺(ふじいでら)にお邪魔することにしました。

ナビで現地近くにお邪魔したのですが、極めて狭い道に囲まれていて、なおかつ駐車場もありません。藤井寺駅前の商店街の駐車場に車を駐車して葛井寺に向かいます。
近道をすると辛國神社の境内を通ることになります。この神社は奈良時代に物部氏の一族によって建立され、摂津の守護である畠山氏によって庇護された神社です。この畠山氏は葛井寺の歴史にも大きく関与します。

住宅街のど真ん中に立派な山門が出現します。これが葛井寺の南大門。豊臣秀頼により建立された藤寺のシンボルです。

南大門をくぐると整然と配置された葛井寺の伽藍が並ぶ境内に入ります。

このころは4月の上旬。桜がきれいでした。このお寺の花は藤。今が最高の花盛りではないでしょうか。

こちらは阿弥陀堂ですが、現在大改修中です。

このお寺の参道には真ん中に2つの灯篭が建てられていて、すごく面白いです。

こちらが大師堂です。

この石灯篭もいい感じですね。

この釣鐘堂がめちゃくちゃかっこいいです。立派ですね。

こちらが本堂です。
葛井寺と藤井寺市の地名の関係です。葛井寺は百済の帰化人である白猪氏の菩提寺として奈良時代初期に建立されたそうです。その後、白猪氏は葛井氏と名を変え、お寺もかなり後になって藤寺と呼ばれるようになったそうです。11世紀に入って、奈良の藤井安基が伽藍の復興に尽くしたことから、このあたりの地名を藤井寺と称したとされています。先の畠山氏による内乱によって伽藍は再び荒廃し、のちに豊臣氏によって復興されたそうです

ご本尊は十一面千手千眼観音菩薩で国宝に指定されています。千手観音は数あれど、1000本の手を持つ仏像はありませんが、この菩薩さまは1,043本の手を持たれている素晴らしい仏さまです。

御朱印もいただきました。
ご詠歌:参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

都会のど真ん中にある西国三十三か所。面白いです。
本殿の中がガラスの反射で全く見えなかったのが残念!


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桜に彩られた奈良のお寺を巡り、歴史を体験し、食文化を満喫する旅 ~その17~ 壺阪山 南法華寺(壷阪寺) 奈良県高市郡高取町
2022/04/30 Sat. 06:00 [西国三十三か所巡り]
岡寺に参拝して、飛鳥鍋でお腹を満たしたら次の目的地へ。西国三十三か所 6番札所 壺阪山 南法華寺です。

ここに来るまでの道路はくねくね曲がった道路でしたが、途中で大渋滞。なんと到着するのに1時間かかりました。でも、到着してこの風景を見たら納得です。まさに桜が満開で、寺院とのコラボレーションが素晴らしいものでした。
右手前の大講堂にはたくさんの方々でにぎわっていました。

右の山を見上げると、桜のピンクの雲海の中から大きな石仏が顔を見せているのが見えます。圧倒的ですね。この写真から見てもわかるように、桜と巨大な石仏が有名なお寺です。

こちらがお寺の入り口になります。さあ、石段を登りますよ。

石段の上には桜が覆いかぶさるように咲いていて、まるで桜のトンネルです。すごいですね。

その桜のトンネルの先にあるのが仁王門です。威風堂々とした建物です。

その仁王門の上には伽藍が立ち並んでいます。

その右側には本尊 大日如来の美しい多宝塔。

そしてその奥には本尊 十一面千手観音菩薩であり、 豊臣秀長公像と本多俊政公像が両側に安置されている灌頂堂があります。
このお寺は戦乱や火災に見舞われ、何度か栄枯盛衰を繰り返しているようです。安土桃山時代には豊臣秀長の家臣えであった本多家がこのお寺の振興に寄与したために、このように大切に敬っておられるようです。

その先に何やら大きな石仏があります。

この石仏は夫婦観音と呼ばれています。次のような伝説からきているそうです。
このお寺の近くに住んでいた夫婦がいました。夫は盲目でしたが、仲の良い夫婦だったようです。ところが妻が夕方に抜け出してどこかに行っていることに気が付いた夫は妻に裏切られたのかと思いました。ところが真相は、妻が夫の目が治るようにとお寺に祈願に行っていたそうです。
そんなに負担になっているのだと思い詰めた夫はこの寺のがけから身を投げて自害しようとし、それを見た妻も追うように身を投げたといわれています。
二人の愛の深さに感心した観音様が二人をこの世に生かし、夫の目も直してくださったそうです。
それから南法華寺は眼病に効能があるお寺として有名になったそうです。

そして多宝塔と仁王門の方に戻ります。すると桜の中に大きな石仏が見えます。壺阪大仏と呼ばれて親しまれています。

身の丈10メートルの巨大な石仏です。壷阪大佛は正式には釈迦如来で、普賢菩薩、文殊菩薩、千手観音も負わします。圧倒されますね。このお寺のシンボルです。
実はこの石仏をはじめ多くの石像が天竺渡来、いわゆるインドから運ばれてきたものです。こちらのお寺ではインドでハンセン病患者救済などを行っておられて、そのお礼に石仏が寄贈されているそうです。すごいですね。

石仏に圧倒されながらまだ石段を上がっていきます。

このお寺にはこのような千手観音像がたくさん安置されています。壷阪寺石仏巡りが人気のようです。

石段を登り切ったら慈眼堂があります。きれいな建物です。

ここからは壺阪大仏の後ろ姿を見ることができます。

そしてこのあたりがこのお寺の中心的な場所になります。

こちらが室町時代建立の重要文化財 三重塔です。威風堂々としていますね。

こちらも室町時代建立の礼堂。もちろん重要文化財です。
開山の弁基上人が水晶の壺をおいて、感得した観音像を刻んで祀ったことから、このお寺は壷阪寺といわれます。北の清水寺を北法華寺と呼び、南はこのお寺を南法華寺と呼び、長谷寺と双璧をなす重要なお寺だったようです。
今ではこの壷阪寺というのが一般的です。これからはそう呼びます。

この礼堂に接する形で西国三十三か所の八角円堂があります。

中にはたくさんのひな人形が並んで驚きました。この時期限定で行っている壺阪寺大雛曼陀羅だそうです。

ひな人形の向こうにはご本尊様が顔を覗いておられました。

ご本尊 十一面観音菩薩様です。最近老眼の惣兵衛。これ以上進まないようにお願いしておきました。

さあ、お参りが終わったら御朱印をいただきます。

とてもきれいです。
ご詠歌
岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん

境内の一番奥にはめがね供養観音です。目に関するものはいろいろと供養してくださいます。そういえばこのお寺には日本で初の養護盲老人ホーム「慈母園」があります。素晴らしい活動をされているお寺ですね。

こちらもインドから送られてきた天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」です。お釈迦様の人生を彫り込まれています。とても大陸的なレリーフでした。
さらに歩みを進めて山のエリアに向かいます。

遠くから見えていた巨大な石仏の足元に立つことができました。天竺渡来大観音石像です。全高20メートルもあります。インドで彫刻されて、この地で組み立てられたそうです。圧倒されますね。

その下の段には天竺渡来大涅槃石像です。全長8メートルもあり、これまた圧倒されます。
驚いてばかりでしたが、帰りに最後の一押しをされます。



まさに、極楽浄土って感じですね。
本当に圧倒されました。ありたや、ありがたや。
桜と石仏がまるで天国のようでした!

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壷阪寺公式HP

ここに来るまでの道路はくねくね曲がった道路でしたが、途中で大渋滞。なんと到着するのに1時間かかりました。でも、到着してこの風景を見たら納得です。まさに桜が満開で、寺院とのコラボレーションが素晴らしいものでした。
右手前の大講堂にはたくさんの方々でにぎわっていました。

右の山を見上げると、桜のピンクの雲海の中から大きな石仏が顔を見せているのが見えます。圧倒的ですね。この写真から見てもわかるように、桜と巨大な石仏が有名なお寺です。

こちらがお寺の入り口になります。さあ、石段を登りますよ。

石段の上には桜が覆いかぶさるように咲いていて、まるで桜のトンネルです。すごいですね。

その桜のトンネルの先にあるのが仁王門です。威風堂々とした建物です。

その仁王門の上には伽藍が立ち並んでいます。

その右側には本尊 大日如来の美しい多宝塔。

そしてその奥には本尊 十一面千手観音菩薩であり、 豊臣秀長公像と本多俊政公像が両側に安置されている灌頂堂があります。
このお寺は戦乱や火災に見舞われ、何度か栄枯盛衰を繰り返しているようです。安土桃山時代には豊臣秀長の家臣えであった本多家がこのお寺の振興に寄与したために、このように大切に敬っておられるようです。

その先に何やら大きな石仏があります。

この石仏は夫婦観音と呼ばれています。次のような伝説からきているそうです。
このお寺の近くに住んでいた夫婦がいました。夫は盲目でしたが、仲の良い夫婦だったようです。ところが妻が夕方に抜け出してどこかに行っていることに気が付いた夫は妻に裏切られたのかと思いました。ところが真相は、妻が夫の目が治るようにとお寺に祈願に行っていたそうです。
そんなに負担になっているのだと思い詰めた夫はこの寺のがけから身を投げて自害しようとし、それを見た妻も追うように身を投げたといわれています。
二人の愛の深さに感心した観音様が二人をこの世に生かし、夫の目も直してくださったそうです。
それから南法華寺は眼病に効能があるお寺として有名になったそうです。

そして多宝塔と仁王門の方に戻ります。すると桜の中に大きな石仏が見えます。壺阪大仏と呼ばれて親しまれています。

身の丈10メートルの巨大な石仏です。壷阪大佛は正式には釈迦如来で、普賢菩薩、文殊菩薩、千手観音も負わします。圧倒されますね。このお寺のシンボルです。
実はこの石仏をはじめ多くの石像が天竺渡来、いわゆるインドから運ばれてきたものです。こちらのお寺ではインドでハンセン病患者救済などを行っておられて、そのお礼に石仏が寄贈されているそうです。すごいですね。

石仏に圧倒されながらまだ石段を上がっていきます。

このお寺にはこのような千手観音像がたくさん安置されています。壷阪寺石仏巡りが人気のようです。

石段を登り切ったら慈眼堂があります。きれいな建物です。

ここからは壺阪大仏の後ろ姿を見ることができます。

そしてこのあたりがこのお寺の中心的な場所になります。

こちらが室町時代建立の重要文化財 三重塔です。威風堂々としていますね。

こちらも室町時代建立の礼堂。もちろん重要文化財です。
開山の弁基上人が水晶の壺をおいて、感得した観音像を刻んで祀ったことから、このお寺は壷阪寺といわれます。北の清水寺を北法華寺と呼び、南はこのお寺を南法華寺と呼び、長谷寺と双璧をなす重要なお寺だったようです。
今ではこの壷阪寺というのが一般的です。これからはそう呼びます。

この礼堂に接する形で西国三十三か所の八角円堂があります。

中にはたくさんのひな人形が並んで驚きました。この時期限定で行っている壺阪寺大雛曼陀羅だそうです。

ひな人形の向こうにはご本尊様が顔を覗いておられました。

ご本尊 十一面観音菩薩様です。最近老眼の惣兵衛。これ以上進まないようにお願いしておきました。

さあ、お参りが終わったら御朱印をいただきます。

とてもきれいです。
ご詠歌
岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん

境内の一番奥にはめがね供養観音です。目に関するものはいろいろと供養してくださいます。そういえばこのお寺には日本で初の養護盲老人ホーム「慈母園」があります。素晴らしい活動をされているお寺ですね。

こちらもインドから送られてきた天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」です。お釈迦様の人生を彫り込まれています。とても大陸的なレリーフでした。
さらに歩みを進めて山のエリアに向かいます。

遠くから見えていた巨大な石仏の足元に立つことができました。天竺渡来大観音石像です。全高20メートルもあります。インドで彫刻されて、この地で組み立てられたそうです。圧倒されますね。

その下の段には天竺渡来大涅槃石像です。全長8メートルもあり、これまた圧倒されます。
驚いてばかりでしたが、帰りに最後の一押しをされます。



まさに、極楽浄土って感じですね。
本当に圧倒されました。ありたや、ありがたや。
桜と石仏がまるで天国のようでした!


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桜に彩られた奈良のお寺を巡り、歴史を体験し、食文化を満喫する旅 ~その15~ 東光山 岡寺 奈良県明日香村
2022/04/28 Thu. 08:00 [西国三十三か所巡り]
柿の葉すしを購入したら次の目的地に向かいます。お邪魔したのが西国三十三か所 7番札所の東光山 岡寺です。

境内には桜が咲き誇っていました。右後方の山には立派な塔も見えるなど、規模はそれほど大きなお寺ではないですが、とてもきれいなお寺です。

こちらが仁王門。とてもバランスのとれた門ですね。両側のに金剛力士像がにらみをきかせていました。

門をくぐると周囲が一段高くなり、まるでお城のようです。でも、圧迫感はなくて桜もきれいでほれぼれします。
手水場で身を清めて先に進みます。

手水場からは右の石段を登りますが、途中で直角に曲がり、2本の枝垂桜が手招きするように迎えてくれます。

ピンクがとてもかわいらしい枝垂桜です。

左手には書院が複数あり。その中の一つの古書院は重要文化財に指定されています。未公開なのが残念です。この明日香村は皆さんもご存じの通り、石舞台など古代の遺跡がたくさんあります。ただ、建造物としての重要文化財は2つしかなく、その2つがこの岡寺にあるのです。

(クリックして拡大してご覧ください)
境内のパノラマ写真です。左にあるのが本堂です。

右に見えた鐘楼は入場可能のようです。早速入ってみます。

鐘を突くこともできるようです。世界の平和を祈って一突きいたしました。

鐘楼のわきにはこんな看板があります。実は岡寺は厄払いの寺として有名なのです。すると妻がフリーズしていました。どうやら厄年だったようです。

これは厄払いをしなければと本堂に向かいます。立派な本堂です。

二人で手を合わせてご本尊である、如意輪観音様にお祈りました。この仏像は塑像といって、土を練って作った像です。ならでは興福寺でもありました。

本堂には納経所も設置されていて、ここで御朱印をいただきました。

ご詠歌は
けさみれば露(つゆ)岡寺の庭の苔 さながら瑠璃(るり)の光なりけり

こちらに、石塔があり、長方形の池があります。龍蓋池と呼ばれています。この池には伝説があります。当時このあたりで暴れていた龍が人々を苦しめていました。そこでこの岡寺の高僧が龍をこの池に閉じ込めて、石を置いて封じたというお話です。その後、龍は改心して、封印の石に触れると恵みの雨が降ると言われています。
その話からこのお寺の当初の名前は龍蓋寺だったそうです。途中で改名したのですね。

本堂の奥には赤い鳥居が見えます。

その先には稲荷社がありました。

さらにその右奥には石洞があります。奥ノ院石窟といいます。中には石仏 弥勒菩薩座像が鎮座されていました。

ここから境内の右にある山のエリアに入っていきます。整備された道が続きます。

そこからは先ほどの桜に囲まれた本堂を見下ろすことができますj。

途中で大きな木が立っています。神社にあるご神木のようなものかと思いきや、こちらは開山 義淵僧正廟所だそうです。

歴代の座主のお墓を通り過ぎると美しい三重塔が見えます。これもまたバランスの取れた美しい塔ですね。こちらが残りの1つの重要文化財に指定されている建物です。

ここからの眺めはとてもよく、しばらく時を過ごしました。

この後は大師堂を過ぎ、本堂に戻ります。

振り返ってみれば、枝垂桜の向こうに美しい三重塔がきれいですね。
とても素敵なお寺でした。妻の厄除けもしっかりできたので、とても気分よくお寺を後にしました。
さあ、おなかが空いてきました。そろそろお昼ごはんです。
桜が美しいお寺ですが、厄除けのご利益も!

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岡寺公式HP


境内には桜が咲き誇っていました。右後方の山には立派な塔も見えるなど、規模はそれほど大きなお寺ではないですが、とてもきれいなお寺です。

こちらが仁王門。とてもバランスのとれた門ですね。両側のに金剛力士像がにらみをきかせていました。

門をくぐると周囲が一段高くなり、まるでお城のようです。でも、圧迫感はなくて桜もきれいでほれぼれします。
手水場で身を清めて先に進みます。

手水場からは右の石段を登りますが、途中で直角に曲がり、2本の枝垂桜が手招きするように迎えてくれます。

ピンクがとてもかわいらしい枝垂桜です。

左手には書院が複数あり。その中の一つの古書院は重要文化財に指定されています。未公開なのが残念です。この明日香村は皆さんもご存じの通り、石舞台など古代の遺跡がたくさんあります。ただ、建造物としての重要文化財は2つしかなく、その2つがこの岡寺にあるのです。

(クリックして拡大してご覧ください)
境内のパノラマ写真です。左にあるのが本堂です。

右に見えた鐘楼は入場可能のようです。早速入ってみます。

鐘を突くこともできるようです。世界の平和を祈って一突きいたしました。

鐘楼のわきにはこんな看板があります。実は岡寺は厄払いの寺として有名なのです。すると妻がフリーズしていました。どうやら厄年だったようです。

これは厄払いをしなければと本堂に向かいます。立派な本堂です。

二人で手を合わせてご本尊である、如意輪観音様にお祈りました。この仏像は塑像といって、土を練って作った像です。ならでは興福寺でもありました。

本堂には納経所も設置されていて、ここで御朱印をいただきました。

ご詠歌は
けさみれば露(つゆ)岡寺の庭の苔 さながら瑠璃(るり)の光なりけり

こちらに、石塔があり、長方形の池があります。龍蓋池と呼ばれています。この池には伝説があります。当時このあたりで暴れていた龍が人々を苦しめていました。そこでこの岡寺の高僧が龍をこの池に閉じ込めて、石を置いて封じたというお話です。その後、龍は改心して、封印の石に触れると恵みの雨が降ると言われています。
その話からこのお寺の当初の名前は龍蓋寺だったそうです。途中で改名したのですね。

本堂の奥には赤い鳥居が見えます。

その先には稲荷社がありました。

さらにその右奥には石洞があります。奥ノ院石窟といいます。中には石仏 弥勒菩薩座像が鎮座されていました。

ここから境内の右にある山のエリアに入っていきます。整備された道が続きます。

そこからは先ほどの桜に囲まれた本堂を見下ろすことができますj。

途中で大きな木が立っています。神社にあるご神木のようなものかと思いきや、こちらは開山 義淵僧正廟所だそうです。

歴代の座主のお墓を通り過ぎると美しい三重塔が見えます。これもまたバランスの取れた美しい塔ですね。こちらが残りの1つの重要文化財に指定されている建物です。

ここからの眺めはとてもよく、しばらく時を過ごしました。

この後は大師堂を過ぎ、本堂に戻ります。

振り返ってみれば、枝垂桜の向こうに美しい三重塔がきれいですね。
とても素敵なお寺でした。妻の厄除けもしっかりできたので、とても気分よくお寺を後にしました。
さあ、おなかが空いてきました。そろそろお昼ごはんです。
桜が美しいお寺ですが、厄除けのご利益も!


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桜に彩られた奈良のお寺を巡り、歴史を体験し、食文化を満喫する旅 ~その10~ 豊山 長谷寺 朝のお勤め編 奈良県桜井市
2022/04/21 Thu. 06:00 [西国三十三か所巡り]
長谷寺湯元 井谷屋さんでゆっくりしたいところですが、朝の5時半に起床しました。そして、朝6時にバスに乗り込みます。

ほぼ、バスは満席でした。何をこれからするのかというと、これから再び豊山 長谷寺に赴き、朝のお勤めをするためなのです。西国三十三か所巡礼では初めての経験なのでわくわくします。

5分ほどでお寺の前に到着します。朝の桜もきれいです。

石段を上ると吊灯篭に灯がともされた仁王門。とても神秘的な感じです。

人気の少ない登廊を登ります。冷たい空気が肺に入ってきて気が引き締まる気分です。

手水場からの2段目の登廊です。吊灯篭の灯りに導かれて石段をゆっくりと登っていきます。

蔵王堂からの3段目の登廊ではお坊さんが石段を丁寧に掃き清められていました。すれ違い間際に、朝のご挨拶をかわします。気持ちがいいです。

本堂に到着しました。そこにはたくさんのお坊さんがおられ、境内を清められ、朝の準備が進められていました。受付で、朝行の参加料(500円)をお支払いします。もう少し高くてもよいような気がします。ありがたいことです。

お坊さんに案内されて画面の右側の礼堂(らいどう)に上らせていただきました。そこには長い座布団が敷いてあり、教本と袈裟が置いてあります。幸いにも一番乗りで最前列の真ん中に座ることができました。若いお坊さんがこれから始まる朝のお勤めの説明をしてくださいます。首に袈裟をかけて準備完了です。かなり分厚い教本で、すべてを唱えるそうなので、これは時間が結構かかるのではないかと心配になりました。
そして6時30分。相の間の向こうにある十一面観音のおあします正堂に週十人のお坊さんが正座されます。座主も真ん中にお座りになられ、いよいよ朝のお勤めの始まりです。
全員によるお経から座主の読経とつづきます。
本当に感動しました。
数十人のお坊さんの唱えるお経は心に深くしみこみ、座主の清廉なお声のお経は心に響き渡りました。そして木魚やリンの音に加えて驚いたのが、リズミカルで迫力ある太鼓の音です。
ドン、ドン、ドン、
ド、ドンドン
・・・・・。
かなりリズムが速く飲み込まれていくようです。
般若心経からは私たち参拝者も一緒にお経を唱えます。
私もですが、周りの人たちの何人かも思わず太鼓のリズムに合わせて体が動きます。
この後は、座主の先導のもと、長谷寺内の数かすの仏様、神様、弘法大師様、開山された道明様などのお名前を唱えます。
ここでお経はいったん中断。お坊さんたちは舞台に移動されます。

写真は朝のお勤めの後ですのでお坊さんはおられませんが、こちらに座主をはじめすべてのお坊さんがそろわれました。

長谷寺の正面と左方に見える山を拝み、五重塔などの長谷寺内の事物に向かってそれぞれお坊さんと一緒に拝みます。

すべてが終わると相の間にすべてのお坊様が並ばれ、私たちと対面します。お坊様から「おはようございます。」とあいさつをいただき、私たちも「おはようございます。」とお返しいたします。
そのあと、座主のありがたいお言葉をいただきました。
これで朝のお勤めの終了です。約40分です。あっと言う間の時間でした。

なんだか心の洗濯をしたような気がします。そして、リズミカルな読経に心躍る気分にもなりました。
不思議な気分です。

夫婦で感想を語りながら、桜咲き乱れるお寺の道を降りていきます。

本当に素敵な経験でした。

お寺を離れる前にもう一度振り返り、長谷寺の本堂を眺めます。心から感謝です。

またお参りしたいと思い、去りがたい気持ちを振り切りながら、門前町を宿に向かって歩いて降りていく惣兵衛夫婦でした。
まさに花の御寺にふさわしい、花に彩られた素晴らしい長谷寺でした!

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ほぼ、バスは満席でした。何をこれからするのかというと、これから再び豊山 長谷寺に赴き、朝のお勤めをするためなのです。西国三十三か所巡礼では初めての経験なのでわくわくします。

5分ほどでお寺の前に到着します。朝の桜もきれいです。

石段を上ると吊灯篭に灯がともされた仁王門。とても神秘的な感じです。

人気の少ない登廊を登ります。冷たい空気が肺に入ってきて気が引き締まる気分です。

手水場からの2段目の登廊です。吊灯篭の灯りに導かれて石段をゆっくりと登っていきます。

蔵王堂からの3段目の登廊ではお坊さんが石段を丁寧に掃き清められていました。すれ違い間際に、朝のご挨拶をかわします。気持ちがいいです。

本堂に到着しました。そこにはたくさんのお坊さんがおられ、境内を清められ、朝の準備が進められていました。受付で、朝行の参加料(500円)をお支払いします。もう少し高くてもよいような気がします。ありがたいことです。

お坊さんに案内されて画面の右側の礼堂(らいどう)に上らせていただきました。そこには長い座布団が敷いてあり、教本と袈裟が置いてあります。幸いにも一番乗りで最前列の真ん中に座ることができました。若いお坊さんがこれから始まる朝のお勤めの説明をしてくださいます。首に袈裟をかけて準備完了です。かなり分厚い教本で、すべてを唱えるそうなので、これは時間が結構かかるのではないかと心配になりました。
そして6時30分。相の間の向こうにある十一面観音のおあします正堂に週十人のお坊さんが正座されます。座主も真ん中にお座りになられ、いよいよ朝のお勤めの始まりです。
全員によるお経から座主の読経とつづきます。
本当に感動しました。
数十人のお坊さんの唱えるお経は心に深くしみこみ、座主の清廉なお声のお経は心に響き渡りました。そして木魚やリンの音に加えて驚いたのが、リズミカルで迫力ある太鼓の音です。
ドン、ドン、ドン、
ド、ドンドン
・・・・・。
かなりリズムが速く飲み込まれていくようです。
般若心経からは私たち参拝者も一緒にお経を唱えます。
私もですが、周りの人たちの何人かも思わず太鼓のリズムに合わせて体が動きます。
この後は、座主の先導のもと、長谷寺内の数かすの仏様、神様、弘法大師様、開山された道明様などのお名前を唱えます。
ここでお経はいったん中断。お坊さんたちは舞台に移動されます。

写真は朝のお勤めの後ですのでお坊さんはおられませんが、こちらに座主をはじめすべてのお坊さんがそろわれました。

長谷寺の正面と左方に見える山を拝み、五重塔などの長谷寺内の事物に向かってそれぞれお坊さんと一緒に拝みます。

すべてが終わると相の間にすべてのお坊様が並ばれ、私たちと対面します。お坊様から「おはようございます。」とあいさつをいただき、私たちも「おはようございます。」とお返しいたします。
そのあと、座主のありがたいお言葉をいただきました。
これで朝のお勤めの終了です。約40分です。あっと言う間の時間でした。

なんだか心の洗濯をしたような気がします。そして、リズミカルな読経に心躍る気分にもなりました。
不思議な気分です。

夫婦で感想を語りながら、桜咲き乱れるお寺の道を降りていきます。

本当に素敵な経験でした。

お寺を離れる前にもう一度振り返り、長谷寺の本堂を眺めます。心から感謝です。

またお参りしたいと思い、去りがたい気持ちを振り切りながら、門前町を宿に向かって歩いて降りていく惣兵衛夫婦でした。
まさに花の御寺にふさわしい、花に彩られた素晴らしい長谷寺でした!


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