舞鶴の山上にある歴史香る古刹参り ~西国三十三カ所 西国第二十九番札所 松尾寺 京都府舞鶴市
2018/05/01 Tue. 06:00 [西国三十三か所巡り]
せっかく惣兵衛が帰ってきたというのに、長男は大学の部活。次男も高校の部活だというので、夫婦で何かしようとなりました。そこで奥方が提案してくれたのが西国三十三か所巡りです。
手短に行けるところがいいということでお邪魔したのが京都府舞鶴市にある西国第二十九番札所 青葉山松尾寺さんです。

舞鶴若狭自動車道路の舞鶴東ICを降りて、国道27号線を東に行って、途中お寺の案内看板をみてから細い道を登ります。その先にあるのは20台ほど停車できる駐車場です。車を止めてお寺に向かうと薄く敷く、時代の風雨にさらされて味のある仁王門に出ます。

惣兵衛は仁王門にある仁王様を見るのが大好きなのですが、不在で、代わりに美しい牡丹が花開いていました。肝心の仁王さんは仁王門の右手にある宝物殿にあるのでご覧ください。

仁王門をくぐると美しい境内に入ります。

仁王門をくぐると右手に仁王さんが負わします宝物殿がありますが、左手には使われていない門があります。その門には菊の御門がありますので、恐らく勅使門でしょうか。

さらに石段を登ります。大木の根の発達だけでなく、長年の風化でいびつな階段になっています。でも、味があっていいですね。

石段を上り詰めると美しい屋根の形状を誇るように建つ本堂が見えます。この屋根の形は宝形造りですね。

古くて傷みもありますが、それだけに歴史の積み重ねを感じます。

さっそく本堂にお参りしますが、見上げると素晴らしい彫物ですね。

さっそくお参りしますが、御本尊は馬頭観音様です。

左側には美しい杉の大木があります。

さらにその左には精悍な六地蔵さんが並ぶ地蔵堂さんですね。

このお寺は左斜めから見てもとても美しいです。

漆喰の建物がありますが、これは経堂です。

こちらが鐘楼ですが、珍しく樹木に囲まれていますね。

本堂を右から見ますが、とてもきれい。アーチ系の通路が太子堂にもつながっていて綺麗なお寺です。

境内を下って、仁王門を出て右に出ると赤い屋根の方丈がありました。

その奥には立派な庫裡があります。

方丈で御朱印を書いてもらいました。

ここにも美しいボダンがあります。
このお寺は近々、本堂と仁王門の大修理を行うそうです。参拝するならば今のうちだと思います。素敵なお寺で楽しかったです。
舞鶴の山寺も素晴らしいです!
御詠歌 : そのかみは 幾世(いくよ)経ぬらん便りをば 千歳もここに 松の尾の寺


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手短に行けるところがいいということでお邪魔したのが京都府舞鶴市にある西国第二十九番札所 青葉山松尾寺さんです。

舞鶴若狭自動車道路の舞鶴東ICを降りて、国道27号線を東に行って、途中お寺の案内看板をみてから細い道を登ります。その先にあるのは20台ほど停車できる駐車場です。車を止めてお寺に向かうと薄く敷く、時代の風雨にさらされて味のある仁王門に出ます。

惣兵衛は仁王門にある仁王様を見るのが大好きなのですが、不在で、代わりに美しい牡丹が花開いていました。肝心の仁王さんは仁王門の右手にある宝物殿にあるのでご覧ください。

仁王門をくぐると美しい境内に入ります。

仁王門をくぐると右手に仁王さんが負わします宝物殿がありますが、左手には使われていない門があります。その門には菊の御門がありますので、恐らく勅使門でしょうか。

さらに石段を登ります。大木の根の発達だけでなく、長年の風化でいびつな階段になっています。でも、味があっていいですね。

石段を上り詰めると美しい屋根の形状を誇るように建つ本堂が見えます。この屋根の形は宝形造りですね。

古くて傷みもありますが、それだけに歴史の積み重ねを感じます。

さっそく本堂にお参りしますが、見上げると素晴らしい彫物ですね。

さっそくお参りしますが、御本尊は馬頭観音様です。

左側には美しい杉の大木があります。

さらにその左には精悍な六地蔵さんが並ぶ地蔵堂さんですね。

このお寺は左斜めから見てもとても美しいです。

漆喰の建物がありますが、これは経堂です。

こちらが鐘楼ですが、珍しく樹木に囲まれていますね。

本堂を右から見ますが、とてもきれい。アーチ系の通路が太子堂にもつながっていて綺麗なお寺です。

境内を下って、仁王門を出て右に出ると赤い屋根の方丈がありました。

その奥には立派な庫裡があります。

方丈で御朱印を書いてもらいました。

ここにも美しいボダンがあります。
このお寺は近々、本堂と仁王門の大修理を行うそうです。参拝するならば今のうちだと思います。素敵なお寺で楽しかったです。
舞鶴の山寺も素晴らしいです!
御詠歌 : そのかみは 幾世(いくよ)経ぬらん便りをば 千歳もここに 松の尾の寺


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[edit]
はやくも2か所目のお参りです ~西国三十三か所巡り 第十八番札所 六角堂 京都市中央区
2018/01/17 Wed. 06:00 [西国三十三か所巡り]
さてさて、東福寺で京都の膳時の雰囲気を満喫したら、そのあとは京阪電鉄に乗って四条に界隈で子どもたちは洋服を買いにお買い物、惣兵衛夫婦とお義父さんとお義母さんとは錦市場で楽しみました。
子どもたちの買い物が長いので、その時間を使って西国三十三か所巡りをすることにしました。
お寺の通称は六角堂。本当の名称は紫雲山頂法寺さんです。

場所は錦市場の最西端からあるいて10分くらいの場所にあります。ビルに囲まれていてびっくりですが、創建は聖徳太子といわれていますが、10世紀の建立ともいわれています。当時は周りには何もなかったのでしょうね。時の流れとともにビルに囲まれてしまった感じです。

でも、お寺の雰囲気はなかなかのものです。熱心な参拝者がたくさんおられました。

頭を垂れて、両手を合わせて心から祈ります。

本堂の隣には十六羅漢があります。
新しい池と仏像軍ですが、これがこのお寺の特徴なのでしょうか。このお寺はもともと別のお寺の境内寺で、小野妹子が花をささげたことから華道の由来とされています。よって華道発祥の地とされているのです。

本堂の側面に立つと、このお寺の建造物としての特徴が分かります。
裏は完全なる六角形の建物で、その前におまえりの為に唐様の形状を持った平入の建造物が並び立っている感じです。
完全なる六角形の建物は奈良時代にはいくつかあったので、実際は10世紀の建物だったのですが、それ以前のものとされたのかもしれませんね。

裏に回ると素晴らしく均整の取れた六角形の建物をめでることができます。」

さっそく御朱印をいただきました。
「わが思う心のうちは六の角 ただ円かれと祈るなりけり」
今年2か所目の西国三十三か所巡りです!

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子どもたちの買い物が長いので、その時間を使って西国三十三か所巡りをすることにしました。
お寺の通称は六角堂。本当の名称は紫雲山頂法寺さんです。

場所は錦市場の最西端からあるいて10分くらいの場所にあります。ビルに囲まれていてびっくりですが、創建は聖徳太子といわれていますが、10世紀の建立ともいわれています。当時は周りには何もなかったのでしょうね。時の流れとともにビルに囲まれてしまった感じです。

でも、お寺の雰囲気はなかなかのものです。熱心な参拝者がたくさんおられました。

頭を垂れて、両手を合わせて心から祈ります。

本堂の隣には十六羅漢があります。
新しい池と仏像軍ですが、これがこのお寺の特徴なのでしょうか。このお寺はもともと別のお寺の境内寺で、小野妹子が花をささげたことから華道の由来とされています。よって華道発祥の地とされているのです。

本堂の側面に立つと、このお寺の建造物としての特徴が分かります。
裏は完全なる六角形の建物で、その前におまえりの為に唐様の形状を持った平入の建造物が並び立っている感じです。
完全なる六角形の建物は奈良時代にはいくつかあったので、実際は10世紀の建物だったのですが、それ以前のものとされたのかもしれませんね。

裏に回ると素晴らしく均整の取れた六角形の建物をめでることができます。」

さっそく御朱印をいただきました。
「わが思う心のうちは六の角 ただ円かれと祈るなりけり」
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京都御所のおひざ元にある札所で初参り ~西国十九番札所 革堂 行願寺 京都市中央区
2018/01/10 Wed. 06:00 [西国三十三か所巡り]
京都についたらホテルにチェックインして、義父母に再会しました。すでに夕方までそれほど時間が残っていないのでゆっくりと大きなお寺に参ることは不可能ですので、お邪魔したのが
西国三十三カ寺の一つ 第19番札所の革堂 行願寺さんです。

場所は京都御所の東に面し南北に走る寺町通りを、丸太町通りを渡ってさらに南下してすぐの場所にあります。

宗派:天台宗
本尊:千手観世音菩薩
開基:行円上人
開祖の円行上人は元は猟師だったのですが、射止めた牝鹿のお腹の子どもが生きていたのを見て仏門に入ったとされています。その後もずっとシカの皮を着ていたので『皮堂』という名称がつき、今でもその皮の上着が秘蔵されているそうです。

山門からすぐに中の建物が見えます。境内はそれほど広くなさそうです。

手洗舎で清めて本堂に向かいます。

さあ、お参りしましょう。

頭上にはなかなか立派な大提灯があります。寺内におわします千手観音さんの穏やかな姿に心安らかに祈ります。

境内は本堂の右側に回廊のように広がりを見せています。写真のすぐ左にあるのが寿老人神堂です。

ここの寿老人は桃山時代に豊臣秀吉が祀ったもとのされていて、都七福神巡り(京都七福神巡りともいう)の一つとされています。七福神の石像も並んでいますが、たくさんの方々が七福神巡りの台紙に朱印をもらっておられました。

さらに奥に歩みを進めると立派な鐘楼があります。

その先には加茂大明神五輪塔があります。このおてらの本尊様は賀茂神社のケヤキがつかわれたという言い伝えがあるそうで、何か意味があるのかもしれません。

この辺りのお地蔵さんが集められたのか、たくさんの歴史ありそうなお地蔵さんが並んでいました。

「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん 」
今年初の西国三十三か所巡りです!

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西国三十三カ寺の一つ 第19番札所の革堂 行願寺さんです。

場所は京都御所の東に面し南北に走る寺町通りを、丸太町通りを渡ってさらに南下してすぐの場所にあります。

宗派:天台宗
本尊:千手観世音菩薩
開基:行円上人
開祖の円行上人は元は猟師だったのですが、射止めた牝鹿のお腹の子どもが生きていたのを見て仏門に入ったとされています。その後もずっとシカの皮を着ていたので『皮堂』という名称がつき、今でもその皮の上着が秘蔵されているそうです。

山門からすぐに中の建物が見えます。境内はそれほど広くなさそうです。

手洗舎で清めて本堂に向かいます。

さあ、お参りしましょう。

頭上にはなかなか立派な大提灯があります。寺内におわします千手観音さんの穏やかな姿に心安らかに祈ります。

境内は本堂の右側に回廊のように広がりを見せています。写真のすぐ左にあるのが寿老人神堂です。

ここの寿老人は桃山時代に豊臣秀吉が祀ったもとのされていて、都七福神巡り(京都七福神巡りともいう)の一つとされています。七福神の石像も並んでいますが、たくさんの方々が七福神巡りの台紙に朱印をもらっておられました。

さらに奥に歩みを進めると立派な鐘楼があります。

その先には加茂大明神五輪塔があります。このおてらの本尊様は賀茂神社のケヤキがつかわれたという言い伝えがあるそうで、何か意味があるのかもしれません。

この辺りのお地蔵さんが集められたのか、たくさんの歴史ありそうなお地蔵さんが並んでいました。

「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん 」
今年初の西国三十三か所巡りです!

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高野山の麓にある大伽藍をもつ名刹 ~西国三番札所 粉河寺 和歌山県紀の川市
2017/04/18 Tue. 12:00 [西国三十三か所巡り]
施福寺を後にして、車で新しくできたトンネルを使って和泉山地を越えて和歌山県紀の川市に入りました。目的地は西国三番札所 粉河寺さんです。

いきなり朱色の美しい巨大な大門が迎えてくれます。
ここから駅まで800メートルの門前町が連なっています。ちょっと食事をと思いましたが、道路を車が通りやすくするために拡張し、通りを人々が来るまで素通りしてしまうのですっかりすたれたそうです。街づくりの難しさですね。おなかがすいたのですがお好み焼屋さんくらいしか見つからなかったので我慢して参拝いたします。

大門をくぐりますが、両脇を固める金剛力士像や門そのものの巨大さも相まって圧倒されますね。

門をくぐると不動堂があり、ここから参道は川に沿って右に弓状になっています。

ここに案内看板がありますが、参道の左側に堂塔が並びます。

こちらは本坊。住職の住む僧房ですね。

その隣は白壁と朱塗りの柱が鮮やかな童男堂です。千手千眼観世音が姿を変えたといわれる童男大士が本尊として祀られています。

童男堂から右手に白壁が連なっていますが、門が開いていて、覗くときれいな日本庭園と池が見えます。写真は撮りはぐれましたが穏やかな表情の童男大士の像があります。
童男大士はこの池から出現したといわれていて、病を治す霊験あらたかな仏とされていて、願いがかなったものが鯉をこの池に放すということです。

参道の脇に東屋があり、石塔が立っていました。よく見ると

石には足形が刻まれていました。これは仏足跡と呼ばれています。釈迦の足跡を石に刻んだものですね。インドでは仏像を作る習慣がなく、足跡を信仰の対象としたものだそうです。後に日本に伝わり、各地にあるそうです。

つづいて念仏堂があります。

そして太子堂です。

ここからはすこし建物が切れて、参道がまっすぐと伸びています。その先にこのお寺の本堂が見えますね。

さあ、お参りしましょう。

まずは手水場で身を清めます。なんと手水は蓮の花からあふれ出る演出ですね。

その隣には身代わり地蔵尊様ですね。

足元には参拝者がお供えしたかわいらしい身代わり地蔵さんが並んでいます。

さあ、これが中門です。これはまたすごい立派な門です。

中門をくぐると丈六堂や地蔵堂が迎えてくれました。

そこから本堂は一段上にあり、その段差を利用して複雑かつ美しい国の指定文化財である石庭 粉河寺庭園があります。

さあ、いよいよ本堂です。立派ですね~。
粉河寺は天台宗のお寺です。豊臣秀吉がこの地に攻め入った時に焼かれ、現在の建物は再建された江戸時代以降のもののようです。

お参りをいたしました。

御朱印を書いていただきました。こちらでは西国三十三カ所の1300年事業として薬師如来の御開帳をしていると案内してもらいました。

本堂の右奥に向かいます。こちらは鐘楼ですね。

本堂を振り返ってみますが、こちらからもなかなかの迫力と美しさですね。

六角堂もあります。

この先に御開帳をしていただいている薬師堂があります。お参りをいたしましたが、建物の前の扉を大きく開けて開帳されていました。内部が映りこむと申し訳ないので撮影はやめましたが、薬師如来さまの手から紐が伸びていて、それをつかむことができました。なんだか心が落ち着く瞬間でしたね。
さて、薬師堂の左奥に緩やかな石段があってかわいらしい門が見えたので登ってみることにしました。

漆喰と曲線美が美しい築地門です。

門をくぐると素晴らしい庭園と本堂、庫裡が見えます。
こちらは十禅律院といいます。天台宗安楽律院派の仏教寺院で粉河寺の塔頭の一つです。塔頭とは禅宗のお寺において、住職が隠居した際に隠居所として建てたものや、偉大な住職の死後に弟子たちがその偉業をたたえるために立てたものです。
このお寺を管理されておられる女性の方に案内されて庫裡に入りました。

こちらは紀州徳川家のお殿様専用の部屋だったそうです。別荘と加休憩所として使われたみたいですね。
お話によるとこのお寺は塔頭として建立されてのち、紀州徳川家により庇護されていて天台宗のお寺とされたそうです。そのため檀家が無いとのことです。ですので、明治維新後は庇護もなくなり厳しい状況にあるみたいで、建物のあらゆるところで傷みが目立っていました。

裏の山を借景とした庭園があります。洗心庭といいます。

参道を戻って大門の脇にある茶店でお土産を買いましたよ。ミカン農家みたいで柑橘類が美味しそうです。
今年初の和歌山の郊外に素敵なお寺がありました!
御詠歌 : 父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や


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いきなり朱色の美しい巨大な大門が迎えてくれます。
ここから駅まで800メートルの門前町が連なっています。ちょっと食事をと思いましたが、道路を車が通りやすくするために拡張し、通りを人々が来るまで素通りしてしまうのですっかりすたれたそうです。街づくりの難しさですね。おなかがすいたのですがお好み焼屋さんくらいしか見つからなかったので我慢して参拝いたします。

大門をくぐりますが、両脇を固める金剛力士像や門そのものの巨大さも相まって圧倒されますね。

門をくぐると不動堂があり、ここから参道は川に沿って右に弓状になっています。

ここに案内看板がありますが、参道の左側に堂塔が並びます。

こちらは本坊。住職の住む僧房ですね。

その隣は白壁と朱塗りの柱が鮮やかな童男堂です。千手千眼観世音が姿を変えたといわれる童男大士が本尊として祀られています。

童男堂から右手に白壁が連なっていますが、門が開いていて、覗くときれいな日本庭園と池が見えます。写真は撮りはぐれましたが穏やかな表情の童男大士の像があります。
童男大士はこの池から出現したといわれていて、病を治す霊験あらたかな仏とされていて、願いがかなったものが鯉をこの池に放すということです。

参道の脇に東屋があり、石塔が立っていました。よく見ると

石には足形が刻まれていました。これは仏足跡と呼ばれています。釈迦の足跡を石に刻んだものですね。インドでは仏像を作る習慣がなく、足跡を信仰の対象としたものだそうです。後に日本に伝わり、各地にあるそうです。

つづいて念仏堂があります。

そして太子堂です。

ここからはすこし建物が切れて、参道がまっすぐと伸びています。その先にこのお寺の本堂が見えますね。

さあ、お参りしましょう。

まずは手水場で身を清めます。なんと手水は蓮の花からあふれ出る演出ですね。

その隣には身代わり地蔵尊様ですね。

足元には参拝者がお供えしたかわいらしい身代わり地蔵さんが並んでいます。

さあ、これが中門です。これはまたすごい立派な門です。

中門をくぐると丈六堂や地蔵堂が迎えてくれました。

そこから本堂は一段上にあり、その段差を利用して複雑かつ美しい国の指定文化財である石庭 粉河寺庭園があります。

さあ、いよいよ本堂です。立派ですね~。
粉河寺は天台宗のお寺です。豊臣秀吉がこの地に攻め入った時に焼かれ、現在の建物は再建された江戸時代以降のもののようです。

お参りをいたしました。

御朱印を書いていただきました。こちらでは西国三十三カ所の1300年事業として薬師如来の御開帳をしていると案内してもらいました。

本堂の右奥に向かいます。こちらは鐘楼ですね。

本堂を振り返ってみますが、こちらからもなかなかの迫力と美しさですね。

六角堂もあります。

この先に御開帳をしていただいている薬師堂があります。お参りをいたしましたが、建物の前の扉を大きく開けて開帳されていました。内部が映りこむと申し訳ないので撮影はやめましたが、薬師如来さまの手から紐が伸びていて、それをつかむことができました。なんだか心が落ち着く瞬間でしたね。
さて、薬師堂の左奥に緩やかな石段があってかわいらしい門が見えたので登ってみることにしました。

漆喰と曲線美が美しい築地門です。

門をくぐると素晴らしい庭園と本堂、庫裡が見えます。
こちらは十禅律院といいます。天台宗安楽律院派の仏教寺院で粉河寺の塔頭の一つです。塔頭とは禅宗のお寺において、住職が隠居した際に隠居所として建てたものや、偉大な住職の死後に弟子たちがその偉業をたたえるために立てたものです。
このお寺を管理されておられる女性の方に案内されて庫裡に入りました。

こちらは紀州徳川家のお殿様専用の部屋だったそうです。別荘と加休憩所として使われたみたいですね。
お話によるとこのお寺は塔頭として建立されてのち、紀州徳川家により庇護されていて天台宗のお寺とされたそうです。そのため檀家が無いとのことです。ですので、明治維新後は庇護もなくなり厳しい状況にあるみたいで、建物のあらゆるところで傷みが目立っていました。

裏の山を借景とした庭園があります。洗心庭といいます。

参道を戻って大門の脇にある茶店でお土産を買いましたよ。ミカン農家みたいで柑橘類が美味しそうです。
今年初の和歌山の郊外に素敵なお寺がありました!
御詠歌 : 父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や


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大阪南部の山上にある仏の世界に浸る ~西国四番札所 施福寺 大阪府和泉市
2017/04/18 Tue. 11:00 [西国三十三か所巡り]
大阪駅前を出発したら阪神高速道路湾岸線を和歌山方面に南下していきます。助松出口で降りて、初めて和泉市に降り立ちました。そこからは一般道路を数回右左折しながら南にある山に向かいます。国道170号線を横断すると府道228号線を進みますが、狭い集落を抜けたかと思うと、車がすれ違うのが厳しいくらいの狭い道になり、我慢しながらずんずん進むと駐車場に到着しました。

40台くらい停められる駐車場です。周りは山登りをするような格好の高齢者がメイン。惣兵衛夫婦はなぜかスーツ・・・・。やっちゃった感があります。着替えるものもないのでそのままお寺に向かうことにしました。

駐車場の前にあるのは万願寺不動尊さんです。お参りして出発です。

入り口にあるのが槇尾山観光センターです。地元の産物やお土産、ジュースやうどんなどの軽食がいただけます。この先には一切販売所が無いので、水分を持っていないならばここで買ってください。

あとで帰りにジュースやお土産を買いました。次の目的地に向かう道路も教えてくれる優しい店主さんがいらっしゃいますので会話を楽しんでくださいね。

登り始めてすぐに満願滝弁財天があります。残念ながら入り口が閉鎖されていたので中に入れませんでしたが、入ればきれいな滝が見えるそうです。
先を急ぎましょう。

見上げればもみじの新緑が綺麗です。秋はこの参道から見上げると真っ赤に染まっているのでしょうね。

アスファルトの道が続きます。スキー場くらいの結構な急坂でお年寄りにはきつそうです。

道脇にはユリ科の野生種であるシャガの花がとてもきれいです。このほかにもヤマブキなど綺麗な山野草などが目を楽しませてくれます。

アスファルトの上り坂が終わったところに石塔と石橋があります。昔は対岸の細道だったのでしょうね。

その先には立派な楼門がみえました。森の中に見える立派な山門におもわず「お~~~っ!」と声が出てしまいます。

両脇には金剛力士像があります。周りには小さな草履がたくさんつるされています。これは巡礼の無事を祈るためにつるされたもののようです。

山門をくぐってもお寺の建物は全く見えません。ここから20分ほどの山登りになります。緩やかな道と緑が綺麗ですね。

5分ほど歩くと、石段になり、その傾斜を増していきます。

10分ほどすると建物が見えました。これで到着かと思いきや、この辺りが中間点になります。この建物は庫裡として使われているのかな? 資料が無いのでわかりません。

どんどん急になっていき、つづらおりの石段になります。

森林の中の石段でしたが、少し光が当たる場所に愛染堂がありました。ここは空海が剃髪をした場所ということです。

愛染堂からは、天に向かうような斜度のきつい石段を上ることになります。

石段の中間地点に弘法大師御髪堂があります。先ほどの愛染堂で剃髪した髪が収められているそうです。

石段を登り終えると本堂が見えてきます。

手水場では龍の口から流れる水で清めます。

こちらが施福寺 本堂です。
施福寺は本来は真言宗のおてらでしたが、紀州徳川家に庇護を受けてからは天台宗のお寺となったそうです。
実は何度も焼失の憂き目に遭っているお寺のようです。南北朝時代に南朝方の拠点となって焼かれ、再建されたものの織田信長に反旗を上げて山焼をうけ、豊臣秀吉によって再興されるものの、江戸末期に山門を残してすべてを失ってしまったそうです。

しかしながら本堂の中、内陣のお参りができるのですが、大きな大仏もあり、この日は西国三十三カ所の1300年ということで槇尾七福神を拝観することができました。それと珍しい足の裏を前にした馬頭観音様があり、足の病を治すといわれています。ここまでお参りすれば足も鍛えられますからね。それと御利益まであれば健康間違いなしです。

バイオトイレなどを見学したりしながらゆっくりと下山しました。登るときには気が付かなかったかわいらしいお地蔵さんがお見送りしてくださいました。
とてもいいお寺でした。次に来るときには動きやすい服装でゆっくり訪れたいものです。
山上のお寺も素晴らしいですね!
御詠歌 : 深山路や 檜原松原 わけゆけば 槇の尾寺に 駒ぞいさめる


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駐車場の前にあるのは万願寺不動尊さんです。お参りして出発です。

入り口にあるのが槇尾山観光センターです。地元の産物やお土産、ジュースやうどんなどの軽食がいただけます。この先には一切販売所が無いので、水分を持っていないならばここで買ってください。

あとで帰りにジュースやお土産を買いました。次の目的地に向かう道路も教えてくれる優しい店主さんがいらっしゃいますので会話を楽しんでくださいね。

登り始めてすぐに満願滝弁財天があります。残念ながら入り口が閉鎖されていたので中に入れませんでしたが、入ればきれいな滝が見えるそうです。
先を急ぎましょう。

見上げればもみじの新緑が綺麗です。秋はこの参道から見上げると真っ赤に染まっているのでしょうね。

アスファルトの道が続きます。スキー場くらいの結構な急坂でお年寄りにはきつそうです。

道脇にはユリ科の野生種であるシャガの花がとてもきれいです。このほかにもヤマブキなど綺麗な山野草などが目を楽しませてくれます。

アスファルトの上り坂が終わったところに石塔と石橋があります。昔は対岸の細道だったのでしょうね。

その先には立派な楼門がみえました。森の中に見える立派な山門におもわず「お~~~っ!」と声が出てしまいます。


両脇には金剛力士像があります。周りには小さな草履がたくさんつるされています。これは巡礼の無事を祈るためにつるされたもののようです。

山門をくぐってもお寺の建物は全く見えません。ここから20分ほどの山登りになります。緩やかな道と緑が綺麗ですね。

5分ほど歩くと、石段になり、その傾斜を増していきます。

10分ほどすると建物が見えました。これで到着かと思いきや、この辺りが中間点になります。この建物は庫裡として使われているのかな? 資料が無いのでわかりません。

どんどん急になっていき、つづらおりの石段になります。

森林の中の石段でしたが、少し光が当たる場所に愛染堂がありました。ここは空海が剃髪をした場所ということです。

愛染堂からは、天に向かうような斜度のきつい石段を上ることになります。

石段の中間地点に弘法大師御髪堂があります。先ほどの愛染堂で剃髪した髪が収められているそうです。

石段を登り終えると本堂が見えてきます。

手水場では龍の口から流れる水で清めます。

こちらが施福寺 本堂です。
施福寺は本来は真言宗のおてらでしたが、紀州徳川家に庇護を受けてからは天台宗のお寺となったそうです。
実は何度も焼失の憂き目に遭っているお寺のようです。南北朝時代に南朝方の拠点となって焼かれ、再建されたものの織田信長に反旗を上げて山焼をうけ、豊臣秀吉によって再興されるものの、江戸末期に山門を残してすべてを失ってしまったそうです。

しかしながら本堂の中、内陣のお参りができるのですが、大きな大仏もあり、この日は西国三十三カ所の1300年ということで槇尾七福神を拝観することができました。それと珍しい足の裏を前にした馬頭観音様があり、足の病を治すといわれています。ここまでお参りすれば足も鍛えられますからね。それと御利益まであれば健康間違いなしです。

バイオトイレなどを見学したりしながらゆっくりと下山しました。登るときには気が付かなかったかわいらしいお地蔵さんがお見送りしてくださいました。
とてもいいお寺でした。次に来るときには動きやすい服装でゆっくり訪れたいものです。
山上のお寺も素晴らしいですね!
御詠歌 : 深山路や 檜原松原 わけゆけば 槇の尾寺に 駒ぞいさめる


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