いろいろなおもてなしが感激を生む動物園 ~旭川市旭山動物園 北海道旭川市
2017/06/02 Fri. 08:02 [北海道・東北旅行記とお土産]
さあ、旭川についたらここですよね。旭川市旭山動物園に行ってまいりました。

旭川駅から路線バスで40分ほどで到着します。凄い人ですね。

ゲートの中もすごい人です。家族連れがとても多いですね。

全体図はこんな感じです。奥に向けて様々な施設が広がっていますね。

さあ、どんどん奥に歩いていきますよ~。

とても広い動物園ですが、体に障害のある方やお年寄り、妊娠中の方の為にはこのような移動手段も準備されています。いいことですね。

この動物園のいいところはここにもあります。子どもたちが芝生で遊んだり、御弁当を広げ、食べるスペースもすごく広く取ってあります。この日は学校の遠足かな? たくさんのお子さんでにぎわっていましたよ。

まず最初に到着したのがぺんぎん館です。

入ってすぐに度肝を抜かれます。水槽の中に透明のチューブがとおしてあって、その中を観客が歩くのです。まるで水中散歩です!

ペンギンがこちらの方を不思議そうに眺めているように見えます。水中でのペンギンの泳ぐ様子が手に取るように見えるのがすごいです。

そして、もう一つすごいのが手づくりの説明書です。とても温かみを感じますし、解り易いのです。

上を見上げるとペンギンがまた来ました。まるでペンギンが空を飛んでいるように見えますね。

そしてチューブを出るとペンギンの地上の様子も見学できます。

冬には名物のペンギンの散歩も見ることができます。

ペンギン館だけでも十分満足できました。

この女の子もたのしそうですね。さあ、隣の建物に移動しますよ。

こちらも有名なあざらし館です。

かわいらしい看板です。

また、ここでも度肝を抜かれます。入ってすぐの通路の真ん中に大きなチューブがあります。そこを・・・・・

あざらしがすいすいと泳いでいきます。ペンギン館は人間がチューブを通るのですが、こちらではチューブをアザラシが通るのです。この演出がすごいですね。

アザラシがこんなに生き生きとしている様子を見るのは初めてです。素晴らしいですね。

つぎはすぐ隣のほっきょくぐま館です。

入ってすぐにまるで北の極限の島のような雰囲気の場所に大きくてきれいなホッキョクグマがいました。

しかも手前は水槽になっていて水中を巨大なホッキョクグマが泳いできます。凄い迫力です。

こんなに近くでホッキョクグマの顔を見られるなんて信じられません。

外へ出も手も素晴らしいホッキョクグマの勇姿が見られます。

その姿を見てもストレスなく生活している感じが伝わってきます。他の動物園の中には少しかわいそうに思うこともありましたから、この動物園の素晴らしさを感じますね。

つづいてもうじゅう館です。

はじめに迎えてくれたのがアムールトラです。

阪神タイガースファンとしてはうれしいです。

隣りにライオンもいたのですが眠っていてこちらを見てくれないので写真はありません。ライオンズファンの方すいません・・・・。

つづいてアムールヒョウがいました。
さすがに猛獣ですから奇抜な見せ方はできないのかなと思っていたら・・・・・

係の人がどうぞと声をかけてくれました。なんと網の下をくぐるようになっていて、見上げると・・・・・

アムールヒョウが上に寝ていました。

こんなに近くで猛獣の肉球を見たのは初めてです。我が家の飼い猫 銀之助ちゃんと構造は同じですが、迫力は段違いですね。

子どもたちがわいわい集まっている施設に移動です。ここはレッサーパンダ舎。

たくさんのレッサーパンダがかわいらしい姿を見せてくれます。

ここでも驚かされたのが、その檻から隣の木に吊り橋がかかっているのです。

その上にはなんとレッサーパンダがいるではないですか! 逃げないのかな??

逃げるどころかぐっすりと眠っていました。これは可愛い!

こちらはおおかみの森。写真がいいのがなかったので皆さん観に行ってくださいね。

こちらはエゾシカの森です。

この施設の他にも北海道の動物を見学できる施設もあるのでいいことだと思います。

ここから先は巨大なケージがずらりと並んでいます。

タンチョウ舎では綺麗な鶴が見られます。




おらうんうーたん館、くもざる・かぴぱら館、サル舎、てながざる館、チンパンジーの森など、霊長類の施設が一番奥のエリアに集中してあります。それぞれが面白い造りになっていて、サルたちも活発に活動しています。




「ふんなどを投げることがあるので注意してくださん。」という注意の看板がすごいですね(笑)。
さあ、帰りますよ。

お土産もたのしいのでぜひ期待してください。こちらの人形飴は動物の飴を実演販売しています。とてもかわいらしいのでお勧めです。

ソフトクリームもおいしかったです。
こちらの動物園は噂にたがわぬおもしろさです。大人が見ても充分、いやそれ以上に楽しめますよ!
次は家族でお邪魔したいです!

にほんブログ村 ←素晴らしいアイデアで人気の高い、そして動物たちも幸せそうな旭川市旭山動物園さんに、応援クリックお願いします!
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%B8%82%E6%97%AD%E5%B1%B1%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92/@43.7622025,142.3589241,12.37z/data=!4m5!3m4!1s0x5f0ce0ccb5e023cb:0xc825dcbd1da853d3!8m2!3d43.7684248!4d142.4800801

旭川駅から路線バスで40分ほどで到着します。凄い人ですね。

ゲートの中もすごい人です。家族連れがとても多いですね。

全体図はこんな感じです。奥に向けて様々な施設が広がっていますね。

さあ、どんどん奥に歩いていきますよ~。

とても広い動物園ですが、体に障害のある方やお年寄り、妊娠中の方の為にはこのような移動手段も準備されています。いいことですね。

この動物園のいいところはここにもあります。子どもたちが芝生で遊んだり、御弁当を広げ、食べるスペースもすごく広く取ってあります。この日は学校の遠足かな? たくさんのお子さんでにぎわっていましたよ。

まず最初に到着したのがぺんぎん館です。

入ってすぐに度肝を抜かれます。水槽の中に透明のチューブがとおしてあって、その中を観客が歩くのです。まるで水中散歩です!

ペンギンがこちらの方を不思議そうに眺めているように見えます。水中でのペンギンの泳ぐ様子が手に取るように見えるのがすごいです。

そして、もう一つすごいのが手づくりの説明書です。とても温かみを感じますし、解り易いのです。

上を見上げるとペンギンがまた来ました。まるでペンギンが空を飛んでいるように見えますね。

そしてチューブを出るとペンギンの地上の様子も見学できます。

冬には名物のペンギンの散歩も見ることができます。

ペンギン館だけでも十分満足できました。

この女の子もたのしそうですね。さあ、隣の建物に移動しますよ。

こちらも有名なあざらし館です。

かわいらしい看板です。

また、ここでも度肝を抜かれます。入ってすぐの通路の真ん中に大きなチューブがあります。そこを・・・・・

あざらしがすいすいと泳いでいきます。ペンギン館は人間がチューブを通るのですが、こちらではチューブをアザラシが通るのです。この演出がすごいですね。

アザラシがこんなに生き生きとしている様子を見るのは初めてです。素晴らしいですね。

つぎはすぐ隣のほっきょくぐま館です。

入ってすぐにまるで北の極限の島のような雰囲気の場所に大きくてきれいなホッキョクグマがいました。

しかも手前は水槽になっていて水中を巨大なホッキョクグマが泳いできます。凄い迫力です。

こんなに近くでホッキョクグマの顔を見られるなんて信じられません。

外へ出も手も素晴らしいホッキョクグマの勇姿が見られます。

その姿を見てもストレスなく生活している感じが伝わってきます。他の動物園の中には少しかわいそうに思うこともありましたから、この動物園の素晴らしさを感じますね。

つづいてもうじゅう館です。

はじめに迎えてくれたのがアムールトラです。

阪神タイガースファンとしてはうれしいです。

隣りにライオンもいたのですが眠っていてこちらを見てくれないので写真はありません。ライオンズファンの方すいません・・・・。

つづいてアムールヒョウがいました。
さすがに猛獣ですから奇抜な見せ方はできないのかなと思っていたら・・・・・

係の人がどうぞと声をかけてくれました。なんと網の下をくぐるようになっていて、見上げると・・・・・

アムールヒョウが上に寝ていました。

こんなに近くで猛獣の肉球を見たのは初めてです。我が家の飼い猫 銀之助ちゃんと構造は同じですが、迫力は段違いですね。

子どもたちがわいわい集まっている施設に移動です。ここはレッサーパンダ舎。

たくさんのレッサーパンダがかわいらしい姿を見せてくれます。

ここでも驚かされたのが、その檻から隣の木に吊り橋がかかっているのです。

その上にはなんとレッサーパンダがいるではないですか! 逃げないのかな??

逃げるどころかぐっすりと眠っていました。これは可愛い!

こちらはおおかみの森。写真がいいのがなかったので皆さん観に行ってくださいね。

こちらはエゾシカの森です。

この施設の他にも北海道の動物を見学できる施設もあるのでいいことだと思います。

ここから先は巨大なケージがずらりと並んでいます。

タンチョウ舎では綺麗な鶴が見られます。




おらうんうーたん館、くもざる・かぴぱら館、サル舎、てながざる館、チンパンジーの森など、霊長類の施設が一番奥のエリアに集中してあります。それぞれが面白い造りになっていて、サルたちも活発に活動しています。




「ふんなどを投げることがあるので注意してくださん。」という注意の看板がすごいですね(笑)。
さあ、帰りますよ。

お土産もたのしいのでぜひ期待してください。こちらの人形飴は動物の飴を実演販売しています。とてもかわいらしいのでお勧めです。

ソフトクリームもおいしかったです。
こちらの動物園は噂にたがわぬおもしろさです。大人が見ても充分、いやそれ以上に楽しめますよ!
次は家族でお邪魔したいです!

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[edit]
北海道の開拓の歴史を求めて札幌市内を散策 ~北海道札幌市
2017/06/01 Thu. 08:01 [北海道・東北旅行記とお土産]
札幌です。久しぶりですね~。大学生時代は北海道が大好きで旅行やスキーに何度か訪れていましたし、社会人になってもゴルフでお邪魔しました。
せっかくなので一人で札幌の開拓の歴史の跡をたどりながら歩いてみることにしました。

まずはホテルを出発して札幌駅前通りを歩きます。札幌駅と北海道最大の繁華街であるススキノを結ぶにぎやかな道路です。大阪で言うと御堂筋になるのかな。

そしてすぐに出会えるのが札幌狸小路です。札幌最古の商店街で、名前の由来はわかりませんが、狸に騙されたように財布の口が開くといったことという説もあるそうです。庶民的な店が多く、この中の居酒屋で一人で飲んだ思い出があります。魚介類がめちゃくちゃ新鮮で安かった思い出がありますが、一人で1升酒を飲んだので結構支払った記憶が・・・・・・(汗)。

さらに歩を進めていくと路面電車に出会えました。札幌市電というそうです。大きな街に路面電車がある風景はいいですね。岡山、広島・・・。京都市等は廃止してしまいましたが、残してほしかった気がします。

しばらく歩くと皆さんもご存じの札幌のシンボルである大通公園があります。冬には雪まつり、夏にはよさこいが行われる札幌市民の憩いの場です。




花がとてもきれいですね。本土とは1か月くらい花の時期が違います。

噴水だけでなく、素敵な芸術作品である銅像もたくさんありますよ。
さらに歩を進めます。歴史的な意味合いのある石碑のようです。

この石碑は昭和11年に北海道で陸軍大演習が行われるに当たり、昭和天皇が行幸された記念として、昭和14年に建立された「聖恩碑」です。
正面には、「聖恩無彊(疆)」(せいおんむきょう)の四文字が刻まれています。「聖恩」とは「天皇の恩恵(=皇恩)」を意味しており、「無彊(疆)」とは「限りのないこと」を意味しています。つまり、この四文字で「天皇の恩恵は限りないものである」ということを表しているようです。

こちらは大通公園野外ステージです。大通公園は憩いの場でもあり、イベントが開催される賑わいの場でもあるのですが、この日はラーメンのイベントが開催されていました。


札幌といえば札幌ラーメン。様々なお店が腕を競う大激戦地です。そこで全国各地のラーメンが集うのですから面白いでしょうね。

こちらは北海道の開拓にあたり農業・漁業・道路建築など多岐にわたり活躍したアメリカ人 ホーレス・ケプロンの像です。開拓の歴史を感じますね~。

そこから先は欧州式の庭園であるサンクガーデンがきれいな水と緑のコントラストを見せ暮れて、そのさらに先に札幌市資料館が見えます。

立派な建物ですね。大通公園の西の端になります。

開拓当時は札幌控訴院庁舎。つまりは裁判所です。今は札幌市の様々な分野の歴史の資料が展示されているそうです。
大通公園から少し離れて北西に行くと大きな敷地に素敵な建物があります。

内部は一部の庭園を除いて非公開なのですが、北海道 知事公館です。すごいですね・・・(汗)。
中が見ることができなくてはつまらないので東に反転します。

都市の真ん中ですが、すさまじく広い植物園のような建物と庭があります。これは北海道大学 植物園だそうです。さすが国立大学ですね。

さらに東に行くと、目を見張るようなレンガ造りの建物が見えてきます。

これは北海道庁 旧本庁舎です。


これはすごいです。中に入りたいけど無理ですね(笑)。

さらに東に行って札幌駅前通りの反対側に移動すると有名な札幌市時計台があります
まあ、何度もお邪魔したので・・・・。

最後に大通公園の東の恥にあるさっぽろテレビ塔を眺めて散策を終えました。
札幌には何度も来ましたが、こうして街歩きするのは初めてですね。こうして歩くと楽しいものです。次は西の丸山公園と北海道の一宮である北海道神社を歩いてみたいと思いました。
やっぱり札幌はいいところです!

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せっかくなので一人で札幌の開拓の歴史の跡をたどりながら歩いてみることにしました。

まずはホテルを出発して札幌駅前通りを歩きます。札幌駅と北海道最大の繁華街であるススキノを結ぶにぎやかな道路です。大阪で言うと御堂筋になるのかな。

そしてすぐに出会えるのが札幌狸小路です。札幌最古の商店街で、名前の由来はわかりませんが、狸に騙されたように財布の口が開くといったことという説もあるそうです。庶民的な店が多く、この中の居酒屋で一人で飲んだ思い出があります。魚介類がめちゃくちゃ新鮮で安かった思い出がありますが、一人で1升酒を飲んだので結構支払った記憶が・・・・・・(汗)。

さらに歩を進めていくと路面電車に出会えました。札幌市電というそうです。大きな街に路面電車がある風景はいいですね。岡山、広島・・・。京都市等は廃止してしまいましたが、残してほしかった気がします。

しばらく歩くと皆さんもご存じの札幌のシンボルである大通公園があります。冬には雪まつり、夏にはよさこいが行われる札幌市民の憩いの場です。




花がとてもきれいですね。本土とは1か月くらい花の時期が違います。

噴水だけでなく、素敵な芸術作品である銅像もたくさんありますよ。
さらに歩を進めます。歴史的な意味合いのある石碑のようです。

この石碑は昭和11年に北海道で陸軍大演習が行われるに当たり、昭和天皇が行幸された記念として、昭和14年に建立された「聖恩碑」です。
正面には、「聖恩無彊(疆)」(せいおんむきょう)の四文字が刻まれています。「聖恩」とは「天皇の恩恵(=皇恩)」を意味しており、「無彊(疆)」とは「限りのないこと」を意味しています。つまり、この四文字で「天皇の恩恵は限りないものである」ということを表しているようです。

こちらは大通公園野外ステージです。大通公園は憩いの場でもあり、イベントが開催される賑わいの場でもあるのですが、この日はラーメンのイベントが開催されていました。


札幌といえば札幌ラーメン。様々なお店が腕を競う大激戦地です。そこで全国各地のラーメンが集うのですから面白いでしょうね。

こちらは北海道の開拓にあたり農業・漁業・道路建築など多岐にわたり活躍したアメリカ人 ホーレス・ケプロンの像です。開拓の歴史を感じますね~。

そこから先は欧州式の庭園であるサンクガーデンがきれいな水と緑のコントラストを見せ暮れて、そのさらに先に札幌市資料館が見えます。

立派な建物ですね。大通公園の西の端になります。

開拓当時は札幌控訴院庁舎。つまりは裁判所です。今は札幌市の様々な分野の歴史の資料が展示されているそうです。
大通公園から少し離れて北西に行くと大きな敷地に素敵な建物があります。

内部は一部の庭園を除いて非公開なのですが、北海道 知事公館です。すごいですね・・・(汗)。
中が見ることができなくてはつまらないので東に反転します。

都市の真ん中ですが、すさまじく広い植物園のような建物と庭があります。これは北海道大学 植物園だそうです。さすが国立大学ですね。

さらに東に行くと、目を見張るようなレンガ造りの建物が見えてきます。

これは北海道庁 旧本庁舎です。


これはすごいです。中に入りたいけど無理ですね(笑)。

さらに東に行って札幌駅前通りの反対側に移動すると有名な札幌市時計台があります
まあ、何度もお邪魔したので・・・・。

最後に大通公園の東の恥にあるさっぽろテレビ塔を眺めて散策を終えました。
札幌には何度も来ましたが、こうして街歩きするのは初めてですね。こうして歩くと楽しいものです。次は西の丸山公園と北海道の一宮である北海道神社を歩いてみたいと思いました。
やっぱり札幌はいいところです!

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東北独自の文化を開いた奥州藤原氏の至宝 中尊寺を訪ねる ~中尊寺 岩手県平泉町
2017/05/06 Sat. 06:00 [北海道・東北旅行記とお土産]
みちのく弾丸ツアーは秋田新幹線 こまち に乗って岩手県へ。新幹線とはいえ、単線なので山の中で反対側の新幹線を待ったり微妙です。


ただ、盛岡駅で東北新幹線 はやぶさと連結するシーンはかっこいいです。
岩手県ではついに念願かなって奥州藤原氏の至宝である、平泉にある中尊寺を生まれて初めて訪問することができました。

ここで奥州藤原家のことを簡単に復習しましょう。
初代の藤原清衡は、前九年の役で父が負け方について子どものころに失いますが、母が勝利した清原家にめとられたために養子として処刑を逃れます。
その後、後三年の役では、清原家の長男に対し謀反を起すも敗走。ところが長男が病死し、守護職の仲介で他の義理の兄弟と所領を分割所領するものの、一方の兄に攻められ敗走。守護職が清衡に同調し、これを排除し藤原三代の礎を築きます。ここで平泉を中心として街を整備し、中尊寺を建立しました。
二代目の藤原基衡は世継ぎの長男に反乱を起こして藤原家を引き継ぎます。奥州守護と争い事を起す中で、都と守護との距離を縮め安定をもたらします。
三代 藤原秀衡の代に藤原家は全盛期を迎えます。都は平家が全盛を迎えますが、都とのパイプを強くしながらも独自の発展を遂げます。このころ平家から逃れた源義経を迎えています。源頼朝が平家に反旗を翻した時に、気に入った義経を引き留めようとしますが、かなわず義経は頼朝に合流します。平家を滅ぼした頼朝は奥州藤原氏を狙い始めますが、なんとかこれを回避します。しかしながら謀反の疑いを受けた義経を保護することを決断し、その後に死去します。
四代 藤原泰衡は頼朝の圧力に屈して、秀衡の遺言を守れず義経を攻め殺し、頼朝に異心ないことを示しますが、結局は頼朝の策にはまり奥州合戦により、鎌倉勢に攻められ、平泉が陥落、泰衡は裏切りにあい命を落とし、奥州藤原氏の権勢はここに潰えます。

花が咲き競うなかで、足元にはきれいな池があります。夏には蓮の花が咲き中尊寺ハスといわれています。
これは四代 藤原泰衡の首桶の中にあったハスの種を現代になって発芽をこころみたところ成功し、800年の時間をこえて美しい花を咲かしているのです。仏の心を感じますね。

藤原氏の栄枯盛衰と、度重なる流血の歴史をいやすような、何とも美しい風景が心をいやしてくれています。

この場所からタクシーを離れて坂を上がり境内に向かいます。

ここからは境内の中心にいきなり入ります。しかしかなり広いですよ。

上がってすぐ左手に讃衡堂があります。中には各寺院に所蔵されていた国宝級の仏像や仏具、藤原3代それぞれの棺桶や副葬品、泰衡の首桶などの本物が展示されています。
火事や劣化を防ぐためにこのようにされているようです。写真は禁止ですのでご紹介できませんが、圧倒的な美しさと迫力、時空を超えた緊張感を当地で感じてほしいと思います。

これが金色堂です。まわりは覆堂という建物で囲まれていますが、この中に金をふんだんに使った藤原氏の仏教世界観が表現されています。これには圧倒されました。
ここももちろん写真撮影は禁止ですのであしからず。パンフレットの写真をご覧ください。

しばらく立ち尽くしてしまいました。

金色堂に圧倒されながらも歩みを進めると経堂がありました。経堂といえども立派な建物です。

中尊寺の中には沢山の神社がありますが、その一つである開山天満宮です。根が形作る階段の参道が面白いです。

また歩みを進めると松尾芭蕉の歌碑がありました。松尾芭蕉がこの寺を訪れた時に、金色堂に立ち寄り、 「五月雨の降のこしてや光堂」という句を詠んだそうです。


こちらは旧覆堂です。現在の金色堂にかぶさっている覆堂の前に鎌倉幕府によって作られ、昭和40年に現在の場所に移設されるまでは500年も金色堂を守ってきたとのことです。
ぐるりと回る道から境内に戻ってくるとお堂があります。

釈迦堂ですね。

そこから中尊寺の最深部に向かって長い道が続きます。

そこにあるのが白山神社です。

神社に向かう前には立派な能舞台がありました。周りは傾斜になっていて観客席になっています。昭和天皇がご覧になった場所には記念の植樹がありました。

奥の白山神社でお参りを済ませます。ここから平泉一帯を見渡せます。

参道を戻って境内に帰ってくると池の中に浮かぶように立つ弁財天堂があります。

そこから金色堂の前に帰ってきますが、そこから寺の出口に向かって下っていくと面白い形の鐘堂があります。

ずんずん下っていくとある大日堂。

こちらが峯薬師堂です。

そして不動堂。

そしてこちらが本堂です。実はこちらの本堂は明治時代に焼け落ちてしまったのですが、中に安置してあった本尊の仏像は京都に修復に出していて無事だったようです。本尊は国宝で先に紹介した讃衝堂に保存されていて、別の立派な仏像が本堂にはいらっしゃいました。
このほかにも弁慶由来の場所などの建物があるのですが、時間の都合上ここでバスに戻りました。
詳しくは中尊寺の公式HPをご覧ください。
じつはこの平泉は中尊寺を中心とした沢山の歴史的遺構が点在していて、研究と復元が進みつつあります。また時をおいてゆっくりと廻ってみたいと思いました。
奥州の素晴らしい歴史をご覧ください!

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ただ、盛岡駅で東北新幹線 はやぶさと連結するシーンはかっこいいです。
岩手県ではついに念願かなって奥州藤原氏の至宝である、平泉にある中尊寺を生まれて初めて訪問することができました。

ここで奥州藤原家のことを簡単に復習しましょう。
初代の藤原清衡は、前九年の役で父が負け方について子どものころに失いますが、母が勝利した清原家にめとられたために養子として処刑を逃れます。
その後、後三年の役では、清原家の長男に対し謀反を起すも敗走。ところが長男が病死し、守護職の仲介で他の義理の兄弟と所領を分割所領するものの、一方の兄に攻められ敗走。守護職が清衡に同調し、これを排除し藤原三代の礎を築きます。ここで平泉を中心として街を整備し、中尊寺を建立しました。
二代目の藤原基衡は世継ぎの長男に反乱を起こして藤原家を引き継ぎます。奥州守護と争い事を起す中で、都と守護との距離を縮め安定をもたらします。
三代 藤原秀衡の代に藤原家は全盛期を迎えます。都は平家が全盛を迎えますが、都とのパイプを強くしながらも独自の発展を遂げます。このころ平家から逃れた源義経を迎えています。源頼朝が平家に反旗を翻した時に、気に入った義経を引き留めようとしますが、かなわず義経は頼朝に合流します。平家を滅ぼした頼朝は奥州藤原氏を狙い始めますが、なんとかこれを回避します。しかしながら謀反の疑いを受けた義経を保護することを決断し、その後に死去します。
四代 藤原泰衡は頼朝の圧力に屈して、秀衡の遺言を守れず義経を攻め殺し、頼朝に異心ないことを示しますが、結局は頼朝の策にはまり奥州合戦により、鎌倉勢に攻められ、平泉が陥落、泰衡は裏切りにあい命を落とし、奥州藤原氏の権勢はここに潰えます。

花が咲き競うなかで、足元にはきれいな池があります。夏には蓮の花が咲き中尊寺ハスといわれています。
これは四代 藤原泰衡の首桶の中にあったハスの種を現代になって発芽をこころみたところ成功し、800年の時間をこえて美しい花を咲かしているのです。仏の心を感じますね。

藤原氏の栄枯盛衰と、度重なる流血の歴史をいやすような、何とも美しい風景が心をいやしてくれています。

この場所からタクシーを離れて坂を上がり境内に向かいます。

ここからは境内の中心にいきなり入ります。しかしかなり広いですよ。

上がってすぐ左手に讃衡堂があります。中には各寺院に所蔵されていた国宝級の仏像や仏具、藤原3代それぞれの棺桶や副葬品、泰衡の首桶などの本物が展示されています。
火事や劣化を防ぐためにこのようにされているようです。写真は禁止ですのでご紹介できませんが、圧倒的な美しさと迫力、時空を超えた緊張感を当地で感じてほしいと思います。

これが金色堂です。まわりは覆堂という建物で囲まれていますが、この中に金をふんだんに使った藤原氏の仏教世界観が表現されています。これには圧倒されました。
ここももちろん写真撮影は禁止ですのであしからず。パンフレットの写真をご覧ください。

しばらく立ち尽くしてしまいました。

金色堂に圧倒されながらも歩みを進めると経堂がありました。経堂といえども立派な建物です。

中尊寺の中には沢山の神社がありますが、その一つである開山天満宮です。根が形作る階段の参道が面白いです。

また歩みを進めると松尾芭蕉の歌碑がありました。松尾芭蕉がこの寺を訪れた時に、金色堂に立ち寄り、 「五月雨の降のこしてや光堂」という句を詠んだそうです。


こちらは旧覆堂です。現在の金色堂にかぶさっている覆堂の前に鎌倉幕府によって作られ、昭和40年に現在の場所に移設されるまでは500年も金色堂を守ってきたとのことです。
ぐるりと回る道から境内に戻ってくるとお堂があります。

釈迦堂ですね。

そこから中尊寺の最深部に向かって長い道が続きます。

そこにあるのが白山神社です。

神社に向かう前には立派な能舞台がありました。周りは傾斜になっていて観客席になっています。昭和天皇がご覧になった場所には記念の植樹がありました。

奥の白山神社でお参りを済ませます。ここから平泉一帯を見渡せます。

参道を戻って境内に帰ってくると池の中に浮かぶように立つ弁財天堂があります。

そこから金色堂の前に帰ってきますが、そこから寺の出口に向かって下っていくと面白い形の鐘堂があります。

ずんずん下っていくとある大日堂。

こちらが峯薬師堂です。

そして不動堂。

そしてこちらが本堂です。実はこちらの本堂は明治時代に焼け落ちてしまったのですが、中に安置してあった本尊の仏像は京都に修復に出していて無事だったようです。本尊は国宝で先に紹介した讃衝堂に保存されていて、別の立派な仏像が本堂にはいらっしゃいました。
このほかにも弁慶由来の場所などの建物があるのですが、時間の都合上ここでバスに戻りました。
詳しくは中尊寺の公式HPをご覧ください。
じつはこの平泉は中尊寺を中心とした沢山の歴史的遺構が点在していて、研究と復元が進みつつあります。また時をおいてゆっくりと廻ってみたいと思いました。
奥州の素晴らしい歴史をご覧ください!

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歴史薫る武家屋敷の街並みと枝垂桜、穏やかな流れと古木の桜が美しい秋田の名所 ~秋田県仙北市角館町
2017/05/04 Thu. 06:00 [北海道・東北旅行記とお土産]
ゴールデンウィークですね。みちのく旅行です。但馬は桜が散りましたが、東北は今がピーク。
桜の時期に秋田に行ったらここに行きなさいといわれたので、いわれるがままに仙北市の角館町(かくのだてちょう)にお邪魔してきました。

初めて角館に訪れたのですが、枝垂桜が歴史ある武家屋敷胃の並ぶ中で、花のナイアガラの滝のように咲き誇っている風景は感動的でした。
久保田藩(秋田藩)は戦国時代に秋田氏から何度も支配者が変わります。猪苗代あたりの有力大名である蘆名氏(芦名氏)では後継者問題やお家騒動や内紛が重なり、常陸の国(今の茨城)の佐竹氏から養子を迎え領主とし、北の伊達氏と対峙していました。ところが関ヶ原の戦いにおいて、西軍の上杉軍と積極的な戦いを避けたために、徳川幕府により佐竹氏はこの地に転封されました。血縁の深い蘆名氏も1万余りの減封となって角館に移されたようです。

蘆名氏が移り住んだ角館城の城下町は白の北側にあったのですが、狭いうえに水害や大規模な火災に見舞われ、現在の南に街を移し、街の真ん中に火除け地として東西に土塁を築き、北を武士の住む内町、南を町民が済む外町として整備したそうです。
蘆名氏は結局世継ぎが産まれずお家断絶となり、佐武氏の分家がこの角館を治めたようですね。

車が2台がすれ違っても歩行者もゆったり歩けるに十分な広さの道ですが、昔からこの通りであったかどうかは疑問です。しかし、広い道ですが両側から見事な枝垂桜が枝を垂れていて、空は広く感じないのがまたすごいですね。

(町の全体の概略図です。クリックして拡大してご覧ください)

こちらは角館樺細工史料館です。この辺りでは樺の木の皮を用いた民芸用品が特産のようで、その資料が並んでいるようです。すでに5時を過ぎていたので見ることはできませんでしたが、門前の枝垂桜が見事です。

空の青さと枝垂桜の美しさがとても素晴らしいコントラストを見せてくれました。

こちらは周りの風景に溶け込んだような土産物屋さんです。こちらでも樺細工が売っていました。このほかにもカフェや物産売り場や当地の銘菓である秋田諸越の御店もたくさんありましたよ。

武家屋敷のひとつを覗いてみます。こちらは青柳家です。

茅葺の質素な建物ながら蘆名家の名門であった青柳家の屋敷の敷地は3千坪と広大です。

もうすでに入館時間を過ぎていたので中には入れませんが、少しだけ見せてもらった内部の様子です。武具が表にあるのも武士の家らしいですね。

角館にはたくさんのしだれ桜がありますが、そのうちの162本が国の天然記念物だそうです。とりたてこの北の橋にあるしだれ桜は見事ですね。
もう一度南に歩いて武家屋敷を訪ねます。

こちらは石黒家です。こちらは蘆名氏の後に入った佐竹氏の分家である佐竹北家の財務関係の有力武家で、現存する武家屋敷の中で最も家格の高い家のようです。

簡素な造りがいいですね。しかもこの日は開館時間を延長しておられて、仲を見ることができました。

玄関を入ると広めの土間があり、各部屋の中が見通せます。

仏間の手前にある表の間には端午の節句を祝う、立派な節句の飾りが展示されていました。

その右手には囲炉裏のある居間があります。家族でゆっくりと食事を楽しんだのでしょうか。

その奥には書斎があります。当主が様々な業務をここで行ったに違いありません。歴史を振り返って当時をしのびます。

もう一度土間に下りて、奥の建物につづく短い渡り通路を歩きます。そこには乳母車ならぬ乳母そり?
もしかしたら荷物を運んだかもしれませんが、車輪ではなくそりになっているのが当地の雪の深さを物語っていますね。子連れ狼も秋田ならそりだったのかな?

隣りには蔵がありました。とても立派な装飾もされています。

こちらは野菜を保管する地下収納庫です。このようなものは初めて見ました。

その奥には石黒家の武具などを集めた資料館があります。

刀のつばや当時の町割りの図面などもあり、見ごたえのある展示でした。
石黒家を出て、さらに南に行くと小さな武家屋敷に出合えます。

こちらは松本家です。番組、鉄砲組などの組の構成員である組下に属する武士の家だそうですが、とても

夕暮れが近づいてきたので桜並木がきれいだといわれた桧木内川に向かいます。

これは素晴らしい!!!

約2キロの桜並木です。しかも昭和天皇がご誕生された時に記念に植えた桜を大事に育てて、ここまでに仕上げたそうです。見事としか言いようがないですね。何度か伐採の危機を迎えたそうですが、住民の皆さんの協力によりここまで残され、国の天然記念物にまでなったようです。

この桜のトンネルもまた素晴らしい。市では桜を管理する部署を作って秋田の各地の桜を管理されているとか。驚くべきことですが、この角館だけでも年間80万人が訪れるといいますから、わかる気もします。

角館を離れる前に川の対岸からも写真を撮りました。
本当に素晴らしい場所ですね。しだれ桜と武家屋敷の風景。美しい川と両岸を埋め尽くすさくら。但馬にもこんな風景があればいいなと思いました。
私が今回歩けたのは角館の半分くらいでしょうか。下町の町民街やのちに入ってきた佐竹氏の武士が入った田町を今度来た時にはお邪魔したいと思います。
秋田の皆さん、すばらしい桜の花をありがとうございました!

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桜の時期に秋田に行ったらここに行きなさいといわれたので、いわれるがままに仙北市の角館町(かくのだてちょう)にお邪魔してきました。

初めて角館に訪れたのですが、枝垂桜が歴史ある武家屋敷胃の並ぶ中で、花のナイアガラの滝のように咲き誇っている風景は感動的でした。
久保田藩(秋田藩)は戦国時代に秋田氏から何度も支配者が変わります。猪苗代あたりの有力大名である蘆名氏(芦名氏)では後継者問題やお家騒動や内紛が重なり、常陸の国(今の茨城)の佐竹氏から養子を迎え領主とし、北の伊達氏と対峙していました。ところが関ヶ原の戦いにおいて、西軍の上杉軍と積極的な戦いを避けたために、徳川幕府により佐竹氏はこの地に転封されました。血縁の深い蘆名氏も1万余りの減封となって角館に移されたようです。

蘆名氏が移り住んだ角館城の城下町は白の北側にあったのですが、狭いうえに水害や大規模な火災に見舞われ、現在の南に街を移し、街の真ん中に火除け地として東西に土塁を築き、北を武士の住む内町、南を町民が済む外町として整備したそうです。
蘆名氏は結局世継ぎが産まれずお家断絶となり、佐武氏の分家がこの角館を治めたようですね。

車が2台がすれ違っても歩行者もゆったり歩けるに十分な広さの道ですが、昔からこの通りであったかどうかは疑問です。しかし、広い道ですが両側から見事な枝垂桜が枝を垂れていて、空は広く感じないのがまたすごいですね。

(町の全体の概略図です。クリックして拡大してご覧ください)

こちらは角館樺細工史料館です。この辺りでは樺の木の皮を用いた民芸用品が特産のようで、その資料が並んでいるようです。すでに5時を過ぎていたので見ることはできませんでしたが、門前の枝垂桜が見事です。

空の青さと枝垂桜の美しさがとても素晴らしいコントラストを見せてくれました。

こちらは周りの風景に溶け込んだような土産物屋さんです。こちらでも樺細工が売っていました。このほかにもカフェや物産売り場や当地の銘菓である秋田諸越の御店もたくさんありましたよ。

武家屋敷のひとつを覗いてみます。こちらは青柳家です。

茅葺の質素な建物ながら蘆名家の名門であった青柳家の屋敷の敷地は3千坪と広大です。

もうすでに入館時間を過ぎていたので中には入れませんが、少しだけ見せてもらった内部の様子です。武具が表にあるのも武士の家らしいですね。

角館にはたくさんのしだれ桜がありますが、そのうちの162本が国の天然記念物だそうです。とりたてこの北の橋にあるしだれ桜は見事ですね。
もう一度南に歩いて武家屋敷を訪ねます。

こちらは石黒家です。こちらは蘆名氏の後に入った佐竹氏の分家である佐竹北家の財務関係の有力武家で、現存する武家屋敷の中で最も家格の高い家のようです。

簡素な造りがいいですね。しかもこの日は開館時間を延長しておられて、仲を見ることができました。

玄関を入ると広めの土間があり、各部屋の中が見通せます。

仏間の手前にある表の間には端午の節句を祝う、立派な節句の飾りが展示されていました。

その右手には囲炉裏のある居間があります。家族でゆっくりと食事を楽しんだのでしょうか。

その奥には書斎があります。当主が様々な業務をここで行ったに違いありません。歴史を振り返って当時をしのびます。

もう一度土間に下りて、奥の建物につづく短い渡り通路を歩きます。そこには乳母車ならぬ乳母そり?
もしかしたら荷物を運んだかもしれませんが、車輪ではなくそりになっているのが当地の雪の深さを物語っていますね。子連れ狼も秋田ならそりだったのかな?

隣りには蔵がありました。とても立派な装飾もされています。

こちらは野菜を保管する地下収納庫です。このようなものは初めて見ました。

その奥には石黒家の武具などを集めた資料館があります。

刀のつばや当時の町割りの図面などもあり、見ごたえのある展示でした。
石黒家を出て、さらに南に行くと小さな武家屋敷に出合えます。

こちらは松本家です。番組、鉄砲組などの組の構成員である組下に属する武士の家だそうですが、とても

夕暮れが近づいてきたので桜並木がきれいだといわれた桧木内川に向かいます。

これは素晴らしい!!!

約2キロの桜並木です。しかも昭和天皇がご誕生された時に記念に植えた桜を大事に育てて、ここまでに仕上げたそうです。見事としか言いようがないですね。何度か伐採の危機を迎えたそうですが、住民の皆さんの協力によりここまで残され、国の天然記念物にまでなったようです。

この桜のトンネルもまた素晴らしい。市では桜を管理する部署を作って秋田の各地の桜を管理されているとか。驚くべきことですが、この角館だけでも年間80万人が訪れるといいますから、わかる気もします。

角館を離れる前に川の対岸からも写真を撮りました。
本当に素晴らしい場所ですね。しだれ桜と武家屋敷の風景。美しい川と両岸を埋め尽くすさくら。但馬にもこんな風景があればいいなと思いました。
私が今回歩けたのは角館の半分くらいでしょうか。下町の町民街やのちに入ってきた佐竹氏の武士が入った田町を今度来た時にはお邪魔したいと思います。
秋田の皆さん、すばらしい桜の花をありがとうございました!

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岩手県のお土産といえばこれかな? ~南部鉄器と面白いお菓子
2015/11/22 Sun. 06:00 [北海道・東北旅行記とお土産]
岩手県に行った時に買ったお土産を紹介します。

そうです。南部鉄器(2,052円)です。
南部鉄器といえば湯を沸かす鉄瓶がお茶席などで使われていますが、かなり重たいし、日用品としてはメインテナンスもむずかしそうなので断念して、香炉を購入しました。

かっこいいでしょう? 焼き物の香炉と比べると割れないので安心ですね。

淡路島で購入した御香をたいて玄関でがんばってもらうことにしました。
南部鉄器は平安時代に欧州で繁栄した奥州藤原氏の藤原清衡が近江から職人を招いて始まりました。岩手県には鋳物に使う良質の材料がたくさんあったので、栄華を極めた平泉で大いに用いられたようですね。
その後は衰退しますが、盛岡藩により庇護され4家が受注を独占して再び栄えます。幕末には大砲を作ったりもしたようです。
近代化が進みアルミなどの新素材に押されて衰退しますが、お茶の流行や、県として地場産として見直され、また注目されているようですね。

もう一つかったのが仙台空港で発見した風鈴(1,080円)です。

とても清らかな音がして、とても涼やかなのです。お勧めです。
それから面白いお菓子もあったので購入しました。

銘菓「ぶすのこぶ」 (8個入り 1,263円)です。
なんという名前なんですかっ! と怒られそうですが、真面目な名前なのです。
昔、このあたりのある場所の窪地に、ブシとよばれるアイヌ人たちがいたようです。そこに流れる川には小石がゴロゴロあって、そこにたくさんのカニが卵を産んで、まるで黄金のように見えたということです。ブシが「ぶす」になまり、窪地を当地で「コブ」とよぶために、そのあたりを「ぶすのこぶ」と呼んだそうです。
お菓子の姿をそれに見立てて、商品名をつけたそうです。

外側は香ばしく、中の餡はしっとりと甘くておいしいお菓子でした。私の大好きな出石の湖月堂さんの沢庵饅頭に似ていますね。お勧めです。
もう一つが かもめの玉子 (12個 1,360円)です。

このちょっと渋めの包装紙に、動物の名前を冠した和菓子ということで、購入をかなりためらいましたが、買って正解でした。

あんこは和の黄身餡で、周りをマーガリンを含ませたカステラで包み、その周りをホワイトチョコレートが包む、和洋折衷のお菓子です。
このお菓子屋さんは、港町大船渡にあり、湊にちなんだお土産を作りたいということで、この商品が産まれたようですね。
岩手には素晴らしいものがたくさんありますね!

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そうです。南部鉄器(2,052円)です。
南部鉄器といえば湯を沸かす鉄瓶がお茶席などで使われていますが、かなり重たいし、日用品としてはメインテナンスもむずかしそうなので断念して、香炉を購入しました。

かっこいいでしょう? 焼き物の香炉と比べると割れないので安心ですね。

淡路島で購入した御香をたいて玄関でがんばってもらうことにしました。
南部鉄器は平安時代に欧州で繁栄した奥州藤原氏の藤原清衡が近江から職人を招いて始まりました。岩手県には鋳物に使う良質の材料がたくさんあったので、栄華を極めた平泉で大いに用いられたようですね。
その後は衰退しますが、盛岡藩により庇護され4家が受注を独占して再び栄えます。幕末には大砲を作ったりもしたようです。
近代化が進みアルミなどの新素材に押されて衰退しますが、お茶の流行や、県として地場産として見直され、また注目されているようですね。

もう一つかったのが仙台空港で発見した風鈴(1,080円)です。

とても清らかな音がして、とても涼やかなのです。お勧めです。
それから面白いお菓子もあったので購入しました。

銘菓「ぶすのこぶ」 (8個入り 1,263円)です。
なんという名前なんですかっ! と怒られそうですが、真面目な名前なのです。
昔、このあたりのある場所の窪地に、ブシとよばれるアイヌ人たちがいたようです。そこに流れる川には小石がゴロゴロあって、そこにたくさんのカニが卵を産んで、まるで黄金のように見えたということです。ブシが「ぶす」になまり、窪地を当地で「コブ」とよぶために、そのあたりを「ぶすのこぶ」と呼んだそうです。
お菓子の姿をそれに見立てて、商品名をつけたそうです。

外側は香ばしく、中の餡はしっとりと甘くておいしいお菓子でした。私の大好きな出石の湖月堂さんの沢庵饅頭に似ていますね。お勧めです。
もう一つが かもめの玉子 (12個 1,360円)です。

このちょっと渋めの包装紙に、動物の名前を冠した和菓子ということで、購入をかなりためらいましたが、買って正解でした。

あんこは和の黄身餡で、周りをマーガリンを含ませたカステラで包み、その周りをホワイトチョコレートが包む、和洋折衷のお菓子です。
このお菓子屋さんは、港町大船渡にあり、湊にちなんだお土産を作りたいということで、この商品が産まれたようですね。
岩手には素晴らしいものがたくさんありますね!

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