600年の歴史を誇る、徳川将軍家ゆかりの大寺 ~増上寺 東京都港区
2019/10/16 Wed. 06:00 [関東旅行記とお土産]
東京で少しぶらり歩きです。お邪魔したのは浜松町から少し西に歩いたところにある芝公園の増上寺さん。
1470年に創建され、関東における浄土宗教学の殿堂とされていました。安土桃山時代に入って江戸を徳川家が納めるようになって徳川家菩提寺に指名されます。その後は6人の将軍まの墓所を設けられています。お寺は120を超える堂宇をもち、3000名を超える学窓を抱えるなど栄えたそうです。

浜松町から数ブロック歩くと芝大門駅がありますが、その通りに山門があります。

ビルとのコントラストがなかなか面白いです。このあたりも昔はお寺の敷地だったのでしょうね。

通りのわきには古い建物がありますが、昔の寺内施設だったのかな??

さらに歩くと横長の芝公園があり、通りの向こうに大きな門が目の前に立ちはだかります。これは三解脱門というそうです。

(クリックして拡大してご覧ください)
このあたりにお寺の配置図と説明があるのでしっかり読みましょう。

門をくぐると本堂に当たる大殿があります。その向こうには東京タワーが、まるで五重塔のようにそびえています。歴史的な建物と近代建造物の競演が面白いですね。

まずは手水場で口と手、そして身を清めます。

こちらは参道の右側にある鐘楼です。一般的なお寺の鐘楼と比べると大きなものですが、この規模のお寺としては小さく感じますね。

さあ、大殿にむかいます。一段高い場所にあるのですごく権威を示す感じです。京都のお寺では山門をこえたらフラットな境内が多いので、なにか中国の宮殿のような威圧感を感じますね。
内部は京都の本願寺に似たような作りです。

大殿の左側には増上寺会館があります。

右手には安国殿があります。徳川家康が深く信仰した「黒本尊阿弥陀如来」が秘仏として祀ってあるそうです。

大殿の地下に入るスロープがあり、ここには増上寺宝物展示室があります。建立当時の書物や絵画、増上寺の復元模型が展示されています。

右手には徳川将軍家墓所に続く道です。毛糸の服を着て、風車を持つお地蔵さんがたくさん並んでいます。

この青銅製の門の向こうにお墓があります。

徳川家15代のうち6代の将軍、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂ですね。

こちらは秀忠のお墓です。関が原に遅れてきたということで様々な評価がありますが、私自身は良い将軍であったと思います。
将軍の奥様もここに眠っておられます。静かに手を合わせて墓所を後にしました。
境内に戻って南にある敷地に足を踏み入れます。

そこには経堂と慈雲閣があります。多目的施設で、2階は開山堂になっているようです。

最後は質素ながら歴史を感じる黒門をくぐって増上寺を後にしました。
20年ぶりにお邪魔しましたが、こんな感じだったかな??って感じでした。記憶ってあいまいなものですね。
江戸にいるのですから、江戸の歴史もめぐりたいものです!

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1470年に創建され、関東における浄土宗教学の殿堂とされていました。安土桃山時代に入って江戸を徳川家が納めるようになって徳川家菩提寺に指名されます。その後は6人の将軍まの墓所を設けられています。お寺は120を超える堂宇をもち、3000名を超える学窓を抱えるなど栄えたそうです。

浜松町から数ブロック歩くと芝大門駅がありますが、その通りに山門があります。

ビルとのコントラストがなかなか面白いです。このあたりも昔はお寺の敷地だったのでしょうね。

通りのわきには古い建物がありますが、昔の寺内施設だったのかな??

さらに歩くと横長の芝公園があり、通りの向こうに大きな門が目の前に立ちはだかります。これは三解脱門というそうです。

(クリックして拡大してご覧ください)
このあたりにお寺の配置図と説明があるのでしっかり読みましょう。

門をくぐると本堂に当たる大殿があります。その向こうには東京タワーが、まるで五重塔のようにそびえています。歴史的な建物と近代建造物の競演が面白いですね。

まずは手水場で口と手、そして身を清めます。

こちらは参道の右側にある鐘楼です。一般的なお寺の鐘楼と比べると大きなものですが、この規模のお寺としては小さく感じますね。

さあ、大殿にむかいます。一段高い場所にあるのですごく権威を示す感じです。京都のお寺では山門をこえたらフラットな境内が多いので、なにか中国の宮殿のような威圧感を感じますね。
内部は京都の本願寺に似たような作りです。

大殿の左側には増上寺会館があります。

右手には安国殿があります。徳川家康が深く信仰した「黒本尊阿弥陀如来」が秘仏として祀ってあるそうです。

大殿の地下に入るスロープがあり、ここには増上寺宝物展示室があります。建立当時の書物や絵画、増上寺の復元模型が展示されています。

右手には徳川将軍家墓所に続く道です。毛糸の服を着て、風車を持つお地蔵さんがたくさん並んでいます。

この青銅製の門の向こうにお墓があります。

徳川家15代のうち6代の将軍、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂ですね。

こちらは秀忠のお墓です。関が原に遅れてきたということで様々な評価がありますが、私自身は良い将軍であったと思います。
将軍の奥様もここに眠っておられます。静かに手を合わせて墓所を後にしました。
境内に戻って南にある敷地に足を踏み入れます。

そこには経堂と慈雲閣があります。多目的施設で、2階は開山堂になっているようです。

最後は質素ながら歴史を感じる黒門をくぐって増上寺を後にしました。
20年ぶりにお邪魔しましたが、こんな感じだったかな??って感じでした。記憶ってあいまいなものですね。
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大石りくさんに敬意を表して東京の忠臣蔵の聖地にお参りしました ~泉岳寺 東京都港区泉岳寺
2019/04/13 Sat. 06:00 [関東旅行記とお土産]
東京での休日です。久しぶりに泉岳寺に行ってみることにしました。泉岳寺といえば、あの忠臣蔵での重要な舞台になったお寺です。

都営浅草線の泉岳寺駅を降りて、北に向かうとすぐに青銅の屋根が美しい門が見えます。

これは泉岳寺の中門になります。

中門をくぐって先に進むと立派な山門が目の前に現れました。

ここにお寺の境内の地図があります。ちゃんと外国語での説明書きもありますね。それもそのはず、さほど多くはないですが、外国人観光客の姿も目に付きます。

山門の脇には大きな銅像がありました。これは大石内蔵助の銅像です。

山門を横から見たところです。街歩きのお年寄りのグループが楽しそうに見学されていました。

山門を先に行くと広い境内に入ります。

(クリックして拡大してご覧ください)
ごらんのとおり、建物で囲まれています。

こちらが本堂です。立派ですね。

説明書きがあります。
このお寺は徳川家康が若き頃に育てられた今川義元の菩提を弔うために桜田門の近くに建立されたお寺だそうです。
その後、三代将軍家光の命により現在の高輪に移転しましたが、作業を命じられた毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の5家がその縁から檀家になったそうです。
よって、江戸での浅野家の菩提寺となり、切腹した浅野内匠頭がここに弔われ、四十七技師の墓所となったそうです。

立派な本殿の彫り物です。

左手にある鐘楼の前には美しい桜が咲いていました。

さらに境内の西に面した場所に石柱が並んでいる場所があります。赤穂義士墓地です。

こちらが血染めの梅と血染めの石です。浅野内匠頭の切腹の際に地で赤く染まったといわれる梅と石をこのお寺に移動して安置したそうです。

こちらは首洗い井戸。義士たちが殊勲の墓前に吉良上野介の首を備える前に、この井戸できれいに首を洗い清めたといわれています。


こちらが大石家の墓所です。

墓所の前には小さな小屋があって、そこで線香(一束 100円)に火をつけてもらえます。

竹を割った器に線香を載せて墓参りです。

先ずは浅野家の墓地にまいります。


そしてこちらがその浅野内匠頭の墓です。当時はこの墓前に義士たちが集まって男泣きにくれたのですね。

そのわきには浅野内匠頭の奥方様のお墓もありました。

その先には赤穂浪士墓地です。じつは討ち入りを果たした四十七義士に加えて、討ち入りを志願したものの、周囲の反対で参加できず、無念の切腹をした菅野三平の墓もあるので四十八基の墓があります。




それぞれにひとつづつ線香をお供えしました。

一番奥にあるのが大石内蔵助のお墓です。
赤穂浪士の話は但馬にとっても他人事ではありません。大石内蔵助の妻 大石りくさんは豊岡藩の出身だからです。深く頭を下げ、お墓参りをいたしました。

最後に赤穂浪士記念館や木像の展示を拝見して泉岳寺参りを終了しました。
記念館のVTRは英語版がないのが残念でした。せっかくの日本の武士の精神の象徴ともいえる赤穂浪士討ち入りのお話を理解されずに帰られています。
良い墓参りができました。
赤穂浪士四十七志と大石りくさんの魂の安らからんことを

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都営浅草線の泉岳寺駅を降りて、北に向かうとすぐに青銅の屋根が美しい門が見えます。

これは泉岳寺の中門になります。

中門をくぐって先に進むと立派な山門が目の前に現れました。

ここにお寺の境内の地図があります。ちゃんと外国語での説明書きもありますね。それもそのはず、さほど多くはないですが、外国人観光客の姿も目に付きます。

山門の脇には大きな銅像がありました。これは大石内蔵助の銅像です。

山門を横から見たところです。街歩きのお年寄りのグループが楽しそうに見学されていました。

山門を先に行くと広い境内に入ります。

(クリックして拡大してご覧ください)
ごらんのとおり、建物で囲まれています。

こちらが本堂です。立派ですね。

説明書きがあります。
このお寺は徳川家康が若き頃に育てられた今川義元の菩提を弔うために桜田門の近くに建立されたお寺だそうです。
その後、三代将軍家光の命により現在の高輪に移転しましたが、作業を命じられた毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の5家がその縁から檀家になったそうです。
よって、江戸での浅野家の菩提寺となり、切腹した浅野内匠頭がここに弔われ、四十七技師の墓所となったそうです。

立派な本殿の彫り物です。

左手にある鐘楼の前には美しい桜が咲いていました。

さらに境内の西に面した場所に石柱が並んでいる場所があります。赤穂義士墓地です。

こちらが血染めの梅と血染めの石です。浅野内匠頭の切腹の際に地で赤く染まったといわれる梅と石をこのお寺に移動して安置したそうです。

こちらは首洗い井戸。義士たちが殊勲の墓前に吉良上野介の首を備える前に、この井戸できれいに首を洗い清めたといわれています。


こちらが大石家の墓所です。

墓所の前には小さな小屋があって、そこで線香(一束 100円)に火をつけてもらえます。

竹を割った器に線香を載せて墓参りです。

先ずは浅野家の墓地にまいります。


そしてこちらがその浅野内匠頭の墓です。当時はこの墓前に義士たちが集まって男泣きにくれたのですね。

そのわきには浅野内匠頭の奥方様のお墓もありました。

その先には赤穂浪士墓地です。じつは討ち入りを果たした四十七義士に加えて、討ち入りを志願したものの、周囲の反対で参加できず、無念の切腹をした菅野三平の墓もあるので四十八基の墓があります。




それぞれにひとつづつ線香をお供えしました。

一番奥にあるのが大石内蔵助のお墓です。
赤穂浪士の話は但馬にとっても他人事ではありません。大石内蔵助の妻 大石りくさんは豊岡藩の出身だからです。深く頭を下げ、お墓参りをいたしました。

最後に赤穂浪士記念館や木像の展示を拝見して泉岳寺参りを終了しました。
記念館のVTRは英語版がないのが残念でした。せっかくの日本の武士の精神の象徴ともいえる赤穂浪士討ち入りのお話を理解されずに帰られています。
良い墓参りができました。
赤穂浪士四十七志と大石りくさんの魂の安らからんことを


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初めての靖国参拝で桜の美しさとはかなさを改めて実感 ~靖国神社 東京都千代田区九段下
2019/04/12 Fri. 06:00 [関東旅行記とお土産]
友人を通じて但馬の桜が満開で、美しい状況を聞いています。ゴールデンウィークにはゆっくりできそうですので楽しみにしています。
そこで少し前で、今では散ってしまっていますが東京の桜巡りのお話を少しします。
今回お邪魔したのは靖国神社です。地下鉄九段下駅を降りてすぐのところにあります。今年は「靖国神社 御創立150年」になるのですね。

今回お邪魔したのは靖国神社です。
平成最後に、これまでの戦争で命を落としたあまたの英霊の御霊に手を合わせることには意義があると思って参拝することにしました。
地下鉄から地上に出ると道の反対側に日本武道館があり、そこには歴史を感じる高燈籠があります。
昔は品川の沖にある船舶には目印になっていたようです。それだけ当時はこの高台まで見渡せたということですね。

さらに参道にむかう道にでると大きな鳥居が目に入ります。これは第一鳥居(大鳥居)といいます大正10年に日本一の大鳥居として建立されたそうです。現在のものは昭和49年に再建されたものです。
その参道のわきには大きな石碑やモニュメントが並びます。

こちらが常陸丸殉難記念碑。日露戦争で攻撃を受けて沈没して船と運命を共にした千名余りの被害者の慰霊碑です。

これは田中支隊忠魂碑。

こちらが慰霊の泉。地獄のような戦場でのどの渇きを訴えながら亡くなった戦死者のために清らかな水をささげる母をイメージして作られたそうです。


参道の中央に立派な銅像が立っています。こちらは大村益次郎銅像です。陸軍の創設者で靖国神社の双肩に尽力したそうです。日本最初の西洋銅像だそうです。

さらに進むと道を渡り、先ほどの大鳥居よりも小さいものの、大きな鳥居に出会います。こちらは第二鳥居です。

そのわきにある大手水社で手と口を清め、いよいよ参拝に向かいます。


ここで初めて本格的な建築物である神門をくぐります。大きく開き放たれた戸には大きな菊の紋章が光り輝いていました。

(クリックして拡大してご覧ください)
こちらが境内の全景です。想像していたよりも大きくないので帰ってびっくりする惣兵衛です。でも、10本ほどの桜が迎えてくれました。

こちらに今回の話題にしたかった桜の木があります。これが「桜の標本木」です。毎回東京の桜の開花を知らせるためにメディアが取材に来る木です。この時も数台のカメラが来ていました。
ただ単に有名なだけでなく、美しい桜の花をたくさんつけています。

その奥にあるのが能楽堂です。さすがに立派なものですね。

この先には中門鳥居と拝殿・本殿があります。

心を込めて英霊の魂の安らからんことと、日本の天下泰平をお祈りします。

参拝が済んだら明治維新の建国からこれまでの歴史についての資料がならぶ遊就館を見学することにしました。

入ると玄関ホールです。




零式艦上戦闘機52型やC56型31号機関車、89式15糎加農砲、96式15糎榴弾砲などがありました。

ゼロ戦の座席をご覧ください。軽量化を図るために穴まで開いていて防弾能力はまるでゼロです。海外の戦闘機には防弾装備があることを考えると考えさせられます。
このあと、有料展示を拝見します。武士の歴史から明治維新、近代戦争への歴史について様々な資料が並びます。

途中の大展示室には艦上爆撃機「彗星」がありましたが、人間魚雷の「回天」や、ロケット特攻機「桜花」、特攻用に作られた高速艇など、見るのもつらくなる展示です。「九七式中戦車」もありましたが、洗車と呼べる代物ではなく、当時対峙したアメリカ軍のパットン戦車から見るとおもちゃくらいの防御力と戦闘力です。命の大切さをもう一度考えさせられます。




この後の展示では戦死者の遺影と遺書が並べられています。母親が結婚すらできず若く命を異国で散らした息子に、せめてあの世で結婚生活をと送った花嫁人形など、ぐっとくるものがあります。
改めて戦争を起こしてはいけないという気持ちをむねに、そして多くの犠牲の上に立つ今の日本を大切にしたいと思い、美しい桜を愛でながら帰路につきました。
心から世界の平和を祈ります

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そこで少し前で、今では散ってしまっていますが東京の桜巡りのお話を少しします。
今回お邪魔したのは靖国神社です。地下鉄九段下駅を降りてすぐのところにあります。今年は「靖国神社 御創立150年」になるのですね。

今回お邪魔したのは靖国神社です。
平成最後に、これまでの戦争で命を落としたあまたの英霊の御霊に手を合わせることには意義があると思って参拝することにしました。
地下鉄から地上に出ると道の反対側に日本武道館があり、そこには歴史を感じる高燈籠があります。
昔は品川の沖にある船舶には目印になっていたようです。それだけ当時はこの高台まで見渡せたということですね。

さらに参道にむかう道にでると大きな鳥居が目に入ります。これは第一鳥居(大鳥居)といいます大正10年に日本一の大鳥居として建立されたそうです。現在のものは昭和49年に再建されたものです。
その参道のわきには大きな石碑やモニュメントが並びます。

こちらが常陸丸殉難記念碑。日露戦争で攻撃を受けて沈没して船と運命を共にした千名余りの被害者の慰霊碑です。

これは田中支隊忠魂碑。

こちらが慰霊の泉。地獄のような戦場でのどの渇きを訴えながら亡くなった戦死者のために清らかな水をささげる母をイメージして作られたそうです。


参道の中央に立派な銅像が立っています。こちらは大村益次郎銅像です。陸軍の創設者で靖国神社の双肩に尽力したそうです。日本最初の西洋銅像だそうです。

さらに進むと道を渡り、先ほどの大鳥居よりも小さいものの、大きな鳥居に出会います。こちらは第二鳥居です。

そのわきにある大手水社で手と口を清め、いよいよ参拝に向かいます。


ここで初めて本格的な建築物である神門をくぐります。大きく開き放たれた戸には大きな菊の紋章が光り輝いていました。

(クリックして拡大してご覧ください)
こちらが境内の全景です。想像していたよりも大きくないので帰ってびっくりする惣兵衛です。でも、10本ほどの桜が迎えてくれました。

こちらに今回の話題にしたかった桜の木があります。これが「桜の標本木」です。毎回東京の桜の開花を知らせるためにメディアが取材に来る木です。この時も数台のカメラが来ていました。
ただ単に有名なだけでなく、美しい桜の花をたくさんつけています。

その奥にあるのが能楽堂です。さすがに立派なものですね。

この先には中門鳥居と拝殿・本殿があります。

心を込めて英霊の魂の安らからんことと、日本の天下泰平をお祈りします。

参拝が済んだら明治維新の建国からこれまでの歴史についての資料がならぶ遊就館を見学することにしました。

入ると玄関ホールです。




零式艦上戦闘機52型やC56型31号機関車、89式15糎加農砲、96式15糎榴弾砲などがありました。

ゼロ戦の座席をご覧ください。軽量化を図るために穴まで開いていて防弾能力はまるでゼロです。海外の戦闘機には防弾装備があることを考えると考えさせられます。
このあと、有料展示を拝見します。武士の歴史から明治維新、近代戦争への歴史について様々な資料が並びます。

途中の大展示室には艦上爆撃機「彗星」がありましたが、人間魚雷の「回天」や、ロケット特攻機「桜花」、特攻用に作られた高速艇など、見るのもつらくなる展示です。「九七式中戦車」もありましたが、洗車と呼べる代物ではなく、当時対峙したアメリカ軍のパットン戦車から見るとおもちゃくらいの防御力と戦闘力です。命の大切さをもう一度考えさせられます。




この後の展示では戦死者の遺影と遺書が並べられています。母親が結婚すらできず若く命を異国で散らした息子に、せめてあの世で結婚生活をと送った花嫁人形など、ぐっとくるものがあります。
改めて戦争を起こしてはいけないという気持ちをむねに、そして多くの犠牲の上に立つ今の日本を大切にしたいと思い、美しい桜を愛でながら帰路につきました。
心から世界の平和を祈ります


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豊岡の誇り『豊岡鞄』がついに東京へ本格進出!! ~豊岡鞄kitte丸の内店 東京都中央区丸の内
2018/10/09 Tue. 06:00 [関東旅行記とお土産]
東京駅のすぐそばに豊岡鞄の旗艦店が出展されたというのでお邪魔してきました。
場所は東京丸の内出口のすぐ前にあるKITTE。昔の東京中央郵便局内の商業スペースにあります。

1階には三角形の吹き抜けの広場があり、そこにありました。

豊岡鞄 kitte 丸の内店さんです。
鞄は豊岡の地場産業として日本一の生産量を誇ります。しかしながらほとんどが東京などのブランドのOEMだったので、中国が世界の工場として台頭するに従い、安さを求めて鞄の生産が豊岡だけでなく日本から中国へ移り、厳しい状況になりました。
そこで、『メイドイン豊岡』の鞄を『豊岡鞄』としてブランド化して、自ら販売し、最近では高い評価を得ています。

素敵な鞄が並べられていますね。

女性用の鞄も素敵です。
財布などの小物もありますよ。価格は1万円台の手ごろなものから十数万の高級品まで並びます。
約15社が出資して開店されたお店だそうです。ですのでここに並ぶ鞄はごく一部。どんどん展示内容も変わるそうです。これは楽しみだ。

ここには東大美術館もあり、初代(東京大学になってからは2代目)の総長である豊岡市出石藩出身の加藤弘之氏の胸像にも出会えます。入場無料ですので是非お立ち寄りください。
東京に進出した豊岡鞄をぜひ応援してください!

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場所は東京丸の内出口のすぐ前にあるKITTE。昔の東京中央郵便局内の商業スペースにあります。

1階には三角形の吹き抜けの広場があり、そこにありました。

豊岡鞄 kitte 丸の内店さんです。
鞄は豊岡の地場産業として日本一の生産量を誇ります。しかしながらほとんどが東京などのブランドのOEMだったので、中国が世界の工場として台頭するに従い、安さを求めて鞄の生産が豊岡だけでなく日本から中国へ移り、厳しい状況になりました。
そこで、『メイドイン豊岡』の鞄を『豊岡鞄』としてブランド化して、自ら販売し、最近では高い評価を得ています。

素敵な鞄が並べられていますね。

女性用の鞄も素敵です。
財布などの小物もありますよ。価格は1万円台の手ごろなものから十数万の高級品まで並びます。
約15社が出資して開店されたお店だそうです。ですのでここに並ぶ鞄はごく一部。どんどん展示内容も変わるそうです。これは楽しみだ。

ここには東大美術館もあり、初代(東京大学になってからは2代目)の総長である豊岡市出石藩出身の加藤弘之氏の胸像にも出会えます。入場無料ですので是非お立ち寄りください。
東京に進出した豊岡鞄をぜひ応援してください!

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江戸の下町情緒あふれる浅草を散歩しました
2016/09/04 Sun. 06:00 [関東旅行記とお土産]
ホテルが浅草だったので少し散歩しました。

まずは浅草の南部を東西に走る雷門通りです。今やすっかり浅草の風景のひとつになった東京スカイツリーが見えますね。ここから隅田川にかかる吾妻橋にむかいます。

この記事がアップされたころには既に終了していますが、三社祭などとならんで、浅草のイベントとして有名なサンバパレードの看板もあります。

吾妻橋までくると、朝日が東京スカイツリーと、手前にあるアサヒビール本社ビルを美しく照らしていました。アサヒビール本社ビルは天井にあるビールの泡を模した構造物の形と色から、「ウ〇チビル」とも呼ばれて親しまれて(?)います。

雷門通りを引き返して浅草のシンボルである雷門に到着します。まだ朝早いのでがらがらですが、9時を過ぎるとたくさんの観光客でごった返します。
この日はかわいらしい中国人の3人娘さん達だけでした。

まだ店が一軒も開店されていない仲見世通りを歩きます。人気の全くない仲見世通りから見る浅草寺の風景もまたいいものですね。

仲見世通りに直角に交わる伝法院通りに到着します。この辺りは古い店が多いらしく看板がその名残ですね。もっと西に行けば古い風情を感じることができるそうです。次には見に行きたいです。

仲見世通りを抜けると浅草寺の宝蔵門にでますよ。

そして本堂です。既にたくさんの方々が読経をされていました。

お参りを済ませたら浅草寺とお別れです。今回は5重の塔が修繕中でちょっと寂しかったです。ここからは境内を東に出ます。

ここは花やしき通り。その名とおり花やしき遊園地があります。下町のヒーロー「こちら亀有公園前派出所」の両津勘吉の絵がすごいですね。
「低予算型テーマパーク」ってのがまたいいですね~(笑)。

ここからまたに南にまがります。そこにはたくさんの庶民的な店がならぶ煮込み通りがあります。写真はその賑わいを感じていただくために夕方の写真を使っております。
昔はごっちゃりした感じの通りでしたが、いまでは店先にテーブルと椅子が並べられ、若者がたくさん集まってお酒を飲む賑やかな場所になっていました。

こんな感じのメニューです。

その通りと伝法寺通りの交差点には老舗の天麩羅 健天さんがあります。夕方には閉まってしまうのでお昼前後の利用がいいと思います。

この先には浅草演芸ホールがありますが、その外灯の柱には下町の芸人さんの写真が張られています。関西ではなじみの無い人が多いです。でも、哀川翔さんの写真を発見!
浅草もたくさんの商店街がありますし、それぞれ魅力があります。名所を観るのもいいですが、こうしていろいろ散歩するのもいいですね。
浅草を歩いてみましょう!

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まずは浅草の南部を東西に走る雷門通りです。今やすっかり浅草の風景のひとつになった東京スカイツリーが見えますね。ここから隅田川にかかる吾妻橋にむかいます。

この記事がアップされたころには既に終了していますが、三社祭などとならんで、浅草のイベントとして有名なサンバパレードの看板もあります。

吾妻橋までくると、朝日が東京スカイツリーと、手前にあるアサヒビール本社ビルを美しく照らしていました。アサヒビール本社ビルは天井にあるビールの泡を模した構造物の形と色から、「ウ〇チビル」とも呼ばれて親しまれて(?)います。

雷門通りを引き返して浅草のシンボルである雷門に到着します。まだ朝早いのでがらがらですが、9時を過ぎるとたくさんの観光客でごった返します。
この日はかわいらしい中国人の3人娘さん達だけでした。

まだ店が一軒も開店されていない仲見世通りを歩きます。人気の全くない仲見世通りから見る浅草寺の風景もまたいいものですね。

仲見世通りに直角に交わる伝法院通りに到着します。この辺りは古い店が多いらしく看板がその名残ですね。もっと西に行けば古い風情を感じることができるそうです。次には見に行きたいです。

仲見世通りを抜けると浅草寺の宝蔵門にでますよ。

そして本堂です。既にたくさんの方々が読経をされていました。

お参りを済ませたら浅草寺とお別れです。今回は5重の塔が修繕中でちょっと寂しかったです。ここからは境内を東に出ます。

ここは花やしき通り。その名とおり花やしき遊園地があります。下町のヒーロー「こちら亀有公園前派出所」の両津勘吉の絵がすごいですね。
「低予算型テーマパーク」ってのがまたいいですね~(笑)。

ここからまたに南にまがります。そこにはたくさんの庶民的な店がならぶ煮込み通りがあります。写真はその賑わいを感じていただくために夕方の写真を使っております。
昔はごっちゃりした感じの通りでしたが、いまでは店先にテーブルと椅子が並べられ、若者がたくさん集まってお酒を飲む賑やかな場所になっていました。

こんな感じのメニューです。

その通りと伝法寺通りの交差点には老舗の天麩羅 健天さんがあります。夕方には閉まってしまうのでお昼前後の利用がいいと思います。

この先には浅草演芸ホールがありますが、その外灯の柱には下町の芸人さんの写真が張られています。関西ではなじみの無い人が多いです。でも、哀川翔さんの写真を発見!
浅草もたくさんの商店街がありますし、それぞれ魅力があります。名所を観るのもいいですが、こうしていろいろ散歩するのもいいですね。
浅草を歩いてみましょう!

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