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「日本アルプスの総鎮守」といわれる由緒正しい神社にお参り ~穂高神社 長野県安曇野市 

 おそばを頂いたら、その近くにある穂高神社に参拝することにしました。有名な神社なのですが、これまで一度もお参りしたことがありません。

穂高駅前

 こちらが穂高駅です。小さくて雰囲気の良い駅舎ですね。駅前通り側にも駐車場があるのですが、惣兵衛たちは駅と反対側の南の駐車場を利用することにしました。
 そこにはバス停があり、登山客も利用するようですね。

穂高神社 南の鳥居

 こちらが南側の鳥居です。駅前から入る北にも鳥居があります。

穂高神社 石碑と説明書き

 こちらに木製の説明書がありましたが、ちょっと読みづらいです。

穂高神社 参集殿

 こちらは参集殿で、氏子さんたちが集う場所のようです。

穂高神社 正面の鳥居

 参集殿の向こうに鳥居が見えます。あれが本来の参道の大鳥居です。

穂高神社 手水舎

 珍しい総石造りの手水舎です。両手と口をしっかりと清めて先に進みます。

穂高神社 白馬の神馬舎

 手水舎の反対側には神馬舎(しんめしゃ)があります。中には白馬の像があります。立派な装飾がされた木曽馬をモデルにされているそうです。

穂高神社 鳥居

 鳥居の向こうにりっぱな神社の姿があります。

穂高神社 神楽殿

 拝殿の前には立派な神楽殿があります。新しく修繕されたもののようです。

穂高神社 神楽殿の風鈴

 この日は神楽殿の中に入ることができました。中にはイベントが行われていて、風鈴がたくさん吊り下げられていて、涼やかな音を奏でていました。
 安曇野市も暑いのですが、気温は28℃。大阪や但馬が38℃と言っている中ですからとても涼しいのです。

穂高神社 若宮社

 神楽殿の右側には大小の社があります。大きなものが若宮社です。ご祀神は安曇連比羅夫命。百済への使者として活躍し、のちに白村江の戦で戦死して、ここに祀られているそうです。
 若宮相殿は信濃中将という御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる人物を祀っております。そのほかにもたくさんの摂社や末社があります。

穂高神社 栗毛の神馬舎

 こちらは絵馬堂のようですが、中には栗毛の神馬像があり、神馬舎です。こちらには珍しく2つの神馬舎があるのです。

 本来、神社には本物の馬が奉納されることが多かったようです。雨ごいには黒毛の馬を、天候の回復を祈るために白馬を奉納したという記述があるようです。戦の前に武将が馬を奉納することもあったようです。神社では馬の世話が負担になり、奉納する側も高価な馬は負担が重いことから、絵馬に変わっていったといわれています。
 
穂高神社 拝殿

 こちらが拝殿です。社務所と費と並びになっているので熊野神社のような両翼の広い立派な建物です。

穂高神社 本殿

 拝殿から本殿を望むと3つの本殿が並んでいて驚きました。

穂高神社 説明

 説明文を読んで納得しました。

 左殿綿津見命(わたつみのみこと) 海神で、安曇氏の祖神です。元は神社を管理する安曇氏は九州の海辺の一族で、信州の開発に功をあげて、この地を納めることとなり、海神である穂高見命を祭神とする穂高神社を創建したとされています。

 真ん中に鎮座されているのが中殿穂高見命(ほたかみのみこと) が祀られています。綿津見命の子どもとされています。

 右殿瓊瓊杵命(ににぎのみこと)。天照大神の孫です。

 ここにも書かれているのですが、実はこの神社には奥宮と嶺宮があります。

 奥宮は上高地にある明神池にあり、信仰を集めています。そして嶺宮は穂高岳の山頂にあるそうで、穂高に宿る神様とも言えますね。そこで「日本アルプスの総鎮守」といわれているそうです。


 穂高の山頂も目指したいと思います。



登山の無事をありがとうございました! またお邪魔します



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登山の後はやっぱりお風呂が一番! ~安曇野蝶ヶ岳温泉 ほりでーゆー 四季の郷 長野県安曇野市 

 登山が終わったらとりあえずやりたいことといえばお風呂です。体や洗髪するシートを利用していましたが、やはり温泉で汗を流し、こわばった筋肉をほぐしてやりたいものです。
 そこでお邪魔したのが安曇野蝶ヶ岳温泉 ほりでーゆー 四季の郷です。

ほりでーゆー 外観

 一の沢登山口を出て、保養地やゴルフ場を超えて、南北に走る幹線道路を少し南に下り、そこから再び山に向かった山間の場所にある保養施設です。

ほりでーゆー 登山者用駐車場

 登山者の利用が多いようで、登山者専用駐車場がありました。

ほりでーゆー 施設

 このように大きな施設です。登山の前泊や下山後の宿としてもいいかもです。汚れた登山靴用の下駄箱もありました。

ほりでーゆー フロント

 フロントの脇にある自動販売機で入浴券(大人600円)を購入してお風呂に向かいます。

ほりでーゆー お土産コーナー

 お土産コーナーには地元の野菜やスイカも販売されています。

ほりでーゆー 温泉入り口

 さあ、温泉に入りましょう。

ほりでーゆー 温泉
<ほりでーゆー公式HPより>

 とても広くてきれいな温泉です。お昼前ということもあって利用者もほどほどでゆったりできました。

ほりでーゆー 露天風呂

 露天風呂も2つもあって気持ちがいいです。ゆっくり汗を流し、湯船の中でストレッチをして、体にご褒美です。


 とても気持ちが良くて、最高でした!



お湯をご馳走様でした! またお邪魔します



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ほりでーゆー四季の郷



関連ランキング:料理旅館 | 安曇野市その他


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今回買った新潟のお土産ベスト5! 

 新潟土産をいろいろと探しましたよ。食べ物の本当においしい新潟県ですが、いろいろとみて廻りましたが意外と素朴なものが多くてびっくりしました。
 いろいろ悩みながら今回買った5品をご紹介します!!


第5位 笹団子 田中屋本店 (5個 700円)

新潟土産 笹団子  新潟土産 笹団子 

 新潟名物の笹団子です。沢山のメーカーがあるのですが、地元の方のおすすめがこの田中屋本店さんでした。

新潟土産 笹団子 田中屋本店 道の駅

 新潟空港に向かう途中にある新潟ふるさと館という大きなお土産屋で実演販売されていました。

新潟土産 笹団子 田中屋本店 道の駅

 ヨモギ色の団子は本物の笹の葉っぱで二つずつ丁寧に包まれていました。

新潟土産 笹団子 

 実に素朴な味でびっくりでした。青臭さといっていいほどの濃厚な緑の香りがつんとして、素朴なお餅の中に、こしあんや粒あんが入っていました。おいしいですよ。でも早く食べないと、保存料などの添加物を使っておられないようですのでお餅が硬くなってしまいます。

田中屋本店 新潟ふるさと村店



関連ランキング:和菓子 | 小針駅青山駅




第4位 元祖 柿の種  浪花屋製菓 (レギュラー缶 1,080円)

新潟土産 元祖 柿の種 浪花屋製菓

 全国的には亀田製菓さんが有名ですが、もともと柿の種のお菓子を作ったのはこの浪花屋製菓さんです。

新潟土産 元祖 柿の種 浪花屋製菓

 昭和的な四角いかんかんの容器がいいですね。その中に一人分ずつ小包装されていますよ。

新潟土産 元祖 柿の種 浪花屋製菓

 とても香ばしくてもち米のうまみを感じるかきの種でした。旨かったです。


第3位 いち井 ラーメン (どちらも3食 1,080円)


 新潟には燕三条背脂ラーメンや三条カレーラーメンなど5大ラーメンがありますが、長岡市ではあっさり醤油ラーメンが有名なようです。そのなかでも有名な「いち井」さんのラーメンがお土産になっていたので買ってみましたよ。

いち井 ラーメン

 いい感じのパッケージです。

いち井 ラーメン

 さっそくいただきましょう。

いち井 ラーメン

 左の醤油は豚骨スープにアジなどの魚介スープをミックスした個性的な豚骨醤油です。濃厚な中にもうまみがたっぷり詰まっていました。塩も珍しいことに豚骨―プが使用されています。そこにトビウオの魚介スープを加え、塩でありながら十分なうまみと濃厚さを纏ったラーメンに仕上がっています。

 これは長岡に行って食べたくなりましたよ。




第2位 包丁 藤次郎

新潟土産 藤次郎 包丁

 燕市は三条市とならんで鍛冶製品が有名な場所です。そこで包丁の品質の素晴らしさで有名な藤次郎 包丁(6,500円)を購入しました。

 とても切れ味がよく、重さのバランスもよいので使いやすい包丁でした。お気に入りの一本になりましたよ。

 購入したのがこちらの藤次郎さんの本社です。

新潟土産 藤次郎 包丁

 こちらのショールームには素晴らしい包丁などの製品が並んでいました。

新潟土産 藤次郎 包丁

新潟土産 藤次郎 包丁

 ぜひ、燕市に行かれた時には寄ってみてくださいね。


第1位 日本酒

新潟土産 越乃寒梅と久保田

 新潟といえばこれですね。旨いお酒がたくさんあります。関西で購入するとプレミアがついてとても高いのですが、地元密着のお店だと普通の地酒の値段で販売されています。しかも、あらゆる種類がそろっていてびっくりしました。
 お店の名前は長谷川屋(公式HP)です。なんと久保田の千寿が2,446円、越乃寒梅の純米吟醸が三千円前半だったと思います。このほかにも新潟の地酒でないものはないくらいの品ぞろえにビックリしました。
 

 新潟もまたゆっくり廻ってみたいと思いました。



ごちそうさまでした。またお邪魔します!


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越後の国の一宮で心静かに手を合わせてきました ~彌彦神社 新潟県弥彦村 

 せっかく新潟に来たのですからもっとも新潟の人々の信仰を集める神社に行こうと彌彦神社(いけひこやじんじゃ)にお参りに行ってまいりました。

 一の鳥居に一礼して参道を進みます。

彌彦神社 鳥居

 この神社は弥彦神社とも書かれていますね。新潟の人々には「やひこじんじゃ」と呼ばれることが多いようです。

彌彦神社 玉の橋
 
 一の鳥居をくぐったらすぐに参道の足元をきれいな小川が流れています。右側を眺めると丸くアーチを描いた朱色の橋が見えます。これは玉の橋といって、神様が通る橋とされていて、人間はここを通ることを許されません。
 
彌彦神社 土俵

 広い境内を歩く前にトイレに行きたいと参道を外れて右側にある広場に向かいますが、ここには立派な土俵がありました。

 この彌彦神社は「古事記」によると「高倉下」が越後開拓の命を受け、新潟にて産業を振興させて越後国を造った神として弥彦山に「天香山命」として祭神として祀られ、神社を創建されたという歴史があります。
 それだけに新潟の人々の信仰を集めている神社なのですね。

彌彦神社 札所

 100mほど参道を進むと少し開けたところにでます。ここに札所がありました。

 その右奥には石で作られた俵が積まれていましたね。

彌彦神社 火の玉石

 その右奥には大の上に2つの少し大きめの石が2つ並んでいました。

彌彦神社 火の玉石

 これは火の玉石といわれる石です。別名では「重いの軽いの石」とも呼ばれているそうです。
 この石が軽く持ちあがれば願いはかない、重くて持ち上がらなければ願いはかなわないといわれる石で、皆さんそれぞれに持ちあげていました。惣兵衛も持ちあがりましたよ。いいことがあればいいですね。

 ここから参道は右に折れて進みます。

彌彦神社 手水社

 ここからは聖域に入るので手水社で身を清めて先に進みます。

彌彦神社 参道

 また閑静な参道がまっすぐ本殿に向けて続きます。

彌彦神社 摂社・末社

 参道の脇には5つの摂社3つの末社があります。さすがに大きな神社なのでたくさんありますね。これ以外にも3つの摂社が境内の外にあります。

彌彦神社 摂社・末社 説明書き

 こうしてみると関西に多い秋葉神社などの神社がなくて東の神様が多いですね。

彌彦神社 隋神門 

 さらに参道を進むと立派な隋神門をくぐることになります。

彌彦神社 隋神門  彌彦神社 隋神門 

 隋神門の両脇には二体の随神が収められています。「桜井古水鏡」によると、紀州熊野から天香山命(あめかごやまのみこと)に随行してきた印南鹿神(いなしかしん)を父とする兄弟の神様と言われています。

彌彦神社 隋神門

 さあ、隋神門から本殿に向かいます。

彌彦神社 本殿と拝殿

 境内はとても広くて歴史を感じるというよりはとてもきれいに管理されていることに感心します。

 惣兵衛もお参りしますが、普通の「二礼二拍手一礼」ではなく、出雲大社と同じく「二礼四拍手一礼」ですからお気を付けくださいね。

彌彦神社 拝殿

 本殿は見ることはできませんでしたが、拝殿では沢山の方々がお祓いを受けていました。

彌彦神社 境内

 本殿から境内を見渡しますが、先ほどくぐった隋神門など様々な社がきれいに並んでいますよ。

彌彦神社 舞殿

 まだまだたくさんの社があるのですが、すべてはご紹介できません。参道を戻ると深い森の中に舞殿があります。

彌彦神社 舞殿

 とても神秘的な雰囲気ですよ。

彌彦神社 斎館

 その奥には斎館がありました。

彌彦神社 宝物殿

 そして最後に宝物殿に寄ります。

 中は非公開ですので写真はありませんが、大名などから寄進された名刀の数々が展示されていました。すさまじいものはとてももてそうもない数メートルの日本刀もありました。
 それから初代からの天皇陛下の肖像画も展示されていましたよ。



新潟の方々の信仰を集める神社に新潟にお寄りの際はぜひ参拝してくださいね!



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彌彦神社 境内図

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新潟に残る日本指折りの大地主の豪邸に驚く! 

 新潟市の郊外に凄い大きさを誇る歴史ある豪邸があるというのでお邪魔してきました。
 
 現在の名前は北方文化博物館といいます。

北方文化博物館 入り口

 正門に設けられた入り口でにゅうかんりょうをお払いして中に入ります。前庭の様子ですがここでも度肝を抜かれました。立派な松が素晴らしい庭です。
 
北方文化博物館 石像

 正門の脇にはかわいらしい石仏がいくつかこちらを覗いていましたよ。

北方文化博物館 表の蔵を見る

 前庭から正門を見ますが、門というより一つの屋敷のような建物です。それもそのはず、米を大量に蓄えていた蔵でもあったそうです。武家屋敷ならば武者だまりになっていますが、豪商ですので蔵ですね。

北方文化博物館 大玄関

 前庭の奥には大きくてぜいたくなケヤキをふんだんに使った大玄関があります。これは年間に数回だけくる貴賓を迎えるためだけに作られた玄関だそうです。

北方文化博物館 大玄関

 玄関の先には贅を尽くした大広間庭園が見えますが、ここからは入れないので、後ほど紹介しますね。

 北方文化博物館 母屋

 大玄関から母屋に向かいますが、この屋根のつくりもすさまじいものがありますね。

 そもそもこの大豪邸の主人はどんな人だったのでしょうか。

 1756年ですから江戸中期の正月。文吉という20歳の若者が一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられ百姓として分家しました。文吉は妻の実家の家業から藍を扱う商売も始め、その利益で田畑を増やしていきます。
 そのあとを継いだ2代目文吉は藍だけでなく、雑穀をあつかい、質屋や倉庫業と手を広げ、農業をやめて豪商としての道を歩き始めます。その後、3代目文吉とともに名字帯刀を許され「伊藤文吉」を名乗ることになりました。
 明治時代になり、4代目文吉は早逝しますが、跡を継いだ若き5代目文吉は122町歩余(122ha)の田畑の産む財力を元手にこの豪邸を立てることを決心します。工事は明治15年に始まり、明治22年の暮れといいますから、8年間もの時間を費やし現在の屋敷が完成したそうです。その後も土地は増え続け明治34年(1901年)には1,063町歩(1,063ha)というすさまじい大地主となりました。

 では、この大豪邸は「伊藤家邸宅跡」などという名勝ではなく博物館になったのか。これはこの石碑が説明してくれます。

北方文化博物館 石碑

 伊藤家は栄え続け、京都や奈良に新婚旅行に行くなどしています。世は変わり大正時代に入り、7代目文吉はペンシルバニア大学に留学をします。
 ところがここで、日本中の大地主が消滅する大きな出来事が起こります。昭和に入って太平洋戦争による敗戦、そして進駐軍による農地解放令です。大地主の土地は強制徴取され、全て小作農に分割贈与されたのです。
 伊藤家にも軍の隠し財産があるという名目でライト中尉が派遣されてきます。ここで奇跡が起こります。ライト中尉は文吉と同じペンシルバニア大学の卒業生で、土地をとられても屋敷を残す方法は博物館として寄付するしかないとアドバイスするのです。文吉はこれに従い、屋敷を寄付し、屋敷の一部で生活を続ける決心をしました。これで、この屋敷は現在まで朽ちることなく保存されたのです。

 凄い物語ですね。感激してしまいました。

 そんないろいろな歴史を感じながら母屋に歩を進めます。

北方文化博物館 居間

 こちらが文吉たち家族がくつろいだ囲炉裏のある居間でしょうか。

北方文化博物館 中庭

 中庭の風情がとても素晴らしいです。その向こうには大玄関のあった大広間が見えますね。

北方文化博物館 磁器

北方文化博物館 伊万里焼

 ここには当時使った食器などが展示されていますが、伊万里焼の素晴らしい作品の数々に目を奪われますね。これはこの屋敷で行われた宴席で使われていたもののようです。

北方文化博物館 婚儀の御品書き

 その一つがこれですね。長い書物の巻物に見えますが、実はここで行われた三日三晩の結婚式で出された お料理の御品書き だそうです。凄いですね~。

 そしてこの建物すさまじさを示すもののひとつがこれです。

北方文化博物館 一本通しの杉の丸桁

 上の桁材を見てほしいのですが、なんと18間もある杉の桁です。この巨大な桁を運び入れるために周囲の家を数件壊したというからすさまじいです。

 屋敷の裏舞台に移ります。

北方文化博物館 トキの剥製

 なぜか国の点々記念物であるトキの剥製が展示されていました。

北方文化博物館 台所と居間

 さらにその先には板ばりの居間台所風呂がありました。

北方文化博物館 台所

 沢山の使用人さんたちがここで料理をして、食事を共にされていたのでしょうね。

 2階に上がります。

北方文化博物館 2階の展示

 ここは昔は子どもたちの遊び場のようになっていたそうですが、今では様々な道具の展示がありました。この辺りの農村風景が目の前に浮かんできそうです。

北方文化博物館 土地台帳

 さらに、伊藤家に取って最も大事であったろう、土地所有の証書や質の記録など財産に関する目録や書類がたくさん展示されていました。

 さあ、いよいよお客さんが使った大広間に移動します。

北方文化博物館 大広間

 かなり広い畳の部屋です。テニスコートくらいはありますね。

北方文化博物館 庭

 畳の上に正座して眺める庭園は素晴らしいの一言です。写真には全ては写っていませんが、なんとこの庭の周りに5つの茶室が点在しています。

北方文化博物館 吊り欄間

 縁と庭を隔てる雨戸をかける欄間をご覧ください。建物の角に至るまで柱がありません。長大な吊り欄間です。お金がかかっていますね~。

 さてさて、母屋から離れて裏庭に出ます。

北方文化博物館 藤だな

 ここには立派な藤棚がありました。花の咲く春はきれいでしょうね。さらに奥には不思議な建物があります。

北方文化博物館 三角亭

 鋭角に作られた壁の建物があります。これは三角亭といいます。

 京都などで、豪商が遊び心で作ったりされていたようです。

北方文化博物館 三角亭

北方文化博物館 三角亭

 とてもおもしろいです。

 このお国は非公開の屋敷がありますが、実はここに元の子の家のある寺である伊藤家の方々がお住いです。この日も少しだけですが、そのお姿を見ることができました。

北方文化博物館 食堂とお土産やさん

 藤棚の向こうには大きな平屋の建物があります。現在ではレストランとお土産やさんになっていますが、この屋敷を立てるときに、当然腕の良い大工さんがこの辺りにいないので、京都など各地から腕の良い大工さんを8年もの間、住み込みで働いてもらう必要があったのですが、これがその宿舎だったそうです。家を建てる前に大工さん様に家を作ったというから驚きですね。

 さらにその奥に立派ながあります。

北方文化博物館 集古館

 これは集古館といって、伊藤家の集めたお宝が展示されているのです。

北方文化博物館 集古館

 家の中にあったように、貴重な焼きものや掛け軸などが展示されているのかなと思ったら、想像をかなり超えていました。

 日本の古い仏像だけでなく、世界各地の貴重な遺物がたくさん展示されていました。古代中国やシルクロードに関わる品々、はてはこんなものも・・・・・

北方文化博物館 集古館

 エジプトのミイラのマスクです。こんなところに保管していていいものなのでしょうか?

北方文化博物館 蓮畑

 まさに度肝を抜かれた屋敷でしたね。蓮畑が驚きを収めてくれましたよ。

 新潟の歴史は関西とはまた違ったもので、興味津々でした。またよく調べて再訪してみたいと思います。



でっかい田んぼで育ったでっかい豪商の屋敷です!



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北方文化博物館 平面図

北方文化博物館 地図

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