倉敷の銘菓「むらすずめ」の本店でお買い物 ~橘香堂 本店 岡山県倉敷市
2017/07/15 Sat. 06:00 [中国旅行記とお土産]
岡山県の倉敷にお邪魔してきたときのことです。倉敷の土産を探します。いろいろと白壁の街並みのならぶ美観地区にはたくさんのお土産屋さんがあるのですが、惣兵衛としては懐かしいお土産をチョイスしたくなります。そこでお邪魔したのが倉敷駅に向かう大通りにある橘香堂 本店さんです。

こちらに明治時代から続く銘菓があるのです。

さすが歴史を誇る老舗のお店です。お目当てのお菓子以外にも様々な和菓子がずらりと並んでいました。

洋菓子的なお菓子もあるのですね。これも食べてみたいです。でも、お目当てを探しますよ~。

ありました。あました。これですよ。

「むらすずめ」といいます。パッケージも昭和の懐かしい雰囲気がいいですね。地元のみやげ物を買ってきたという実感がわきますね。

この通り乾燥を防ぐためにビニールで覆われています。さっそくいただきましょう。

どうです? おいしそうでしょう?
このお菓子は薄いカステラ的な皮をやいて、その中にこしあんを載せて、編み笠の様に包まれていますね。黄色い皮は気泡による細かな穴が開いていて、黄金の稲穂に群がる雀のようだと、明治10年に当時の倉敷市長が「むらすずめ」と命名したそうです。
生地はとてもふんわりしていますが、主張は控えめ。なんといってもこのこしあんが最高にうまいのです。そのまま食べても、抹茶でいただいてもいいですね。おすすめです。
実は倉敷を中心に岡山の和菓子屋さんが、同じようなお菓子をまったく同じ名前の「むらすずめ」と名付けて売っておられます。それぞれ美味しいと思いますが、まずはこのお店のむらすずめをお食べくださいね。
京阪神や首都圏の百貨店でも売っているのでぜひお試しあれ。
ごちそうさまでした。またお邪魔します!

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こちらに明治時代から続く銘菓があるのです。

さすが歴史を誇る老舗のお店です。お目当てのお菓子以外にも様々な和菓子がずらりと並んでいました。

洋菓子的なお菓子もあるのですね。これも食べてみたいです。でも、お目当てを探しますよ~。

ありました。あました。これですよ。

「むらすずめ」といいます。パッケージも昭和の懐かしい雰囲気がいいですね。地元のみやげ物を買ってきたという実感がわきますね。

この通り乾燥を防ぐためにビニールで覆われています。さっそくいただきましょう。

どうです? おいしそうでしょう?
このお菓子は薄いカステラ的な皮をやいて、その中にこしあんを載せて、編み笠の様に包まれていますね。黄色い皮は気泡による細かな穴が開いていて、黄金の稲穂に群がる雀のようだと、明治10年に当時の倉敷市長が「むらすずめ」と命名したそうです。
生地はとてもふんわりしていますが、主張は控えめ。なんといってもこのこしあんが最高にうまいのです。そのまま食べても、抹茶でいただいてもいいですね。おすすめです。
実は倉敷を中心に岡山の和菓子屋さんが、同じようなお菓子をまったく同じ名前の「むらすずめ」と名付けて売っておられます。それぞれ美味しいと思いますが、まずはこのお店のむらすずめをお食べくださいね。
京阪神や首都圏の百貨店でも売っているのでぜひお試しあれ。
ごちそうさまでした。またお邪魔します!

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[edit]
たまたま大規模な茶会が行われていた日本三大名園に魅了される ~岡山後楽園 岡山県岡山市
2017/05/18 Thu. 06:00 [中国旅行記とお土産]
初めての岡山城から橋を渡ったら、久しぶりの岡山 後楽園です。
子どもたちがまだ小さいころに奥方の母上様とお邪魔して以来です。
この庭園はご存知の通り金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並び日本三大名園の一つです。宇喜多家の後を受けた池田氏が城の縄張りが終わった後に造営した見事な庭園です。

岡山城から入るのは初めてですが、大きな茶室と茶店があります。
むむ??

きれいな和装の方が茶室にたくさんおられました。後でわかったのですが、茶道の各流派が合同で大規模な茶会が催されていたようです。これは凄いですね。

後楽園の全景を見るために、庭園の中央にある唯心山という小山に登ります。

北側には大きな池 沢の池と芝生があり、周囲を大小の茶室などの建物と森が囲んでいる様子が素晴らしいです。

東側も池と茶室が連なり、井田(いでん)という昔の田畑の名残が残されています。

中央の茶室にもたくさんの方々が野点を楽しんでおられました。

庭園の南端にあるのが茶祖堂です。当初は千利休を祀ったので利休堂とされていましたが、岡山出身の茶を中国からもたらした僧を合祀したのでこの名前に変更されたそうです。
小高い山を下りて東に歩みを進めます。

本当にたくさんの茶室がありますが、ご覧のとおり大きさも趣向もそれぞれ個性的な茶室になっています。それぞれじっくりと干渉するのもたのしいと思います。

東の端に到達して振り向くと唯心山の向こうに岡山城が見えました。ここから振り返った池田の殿さまは誇らしい気持ちだったのでしょうね。
ここで少し茶店で休憩しますが、後日紹介しますね。

ここには後楽園内神社という小さな社があります。その隣に変わった石がみえました。

これは慈眼堂といって、池田綱政が池田家と岡山の領民の反映を願って観音像を祀ったものです。

その隣には烏帽子岩といって、巨大な岩を36個に割って運び込まれた陰陽石です。岩を割る際に打ち込んだ楔の跡がきれいに残っていますね。

ここからは沢の池の向こうに堂々とした岡山城の勇姿が見られます。

園の北端には後楽園で最も大きな建物群があります。

延養亭です。茅葺の屋根が本当に素晴らしい建物で、歴代藩主もここから園を眺めたとされていて、最も美しい風情が楽しめる場所です。

その裏には栄唱の間と呼ばれる立派な建物があります。

この裏には能舞台があるそうです。この日は裏千家さんの茶会が終わったばかりだったので、すぐ近くまで寄ることができましたよ。

その脇には花葉の池というはすいけがあります。この時はまだハスはほとんどかをお出しておらず、亀が甲羅干しをしている姿を見ることができました。その先にはまたもや大きな岩があります。
これは大立石といって、先ほどの烏帽子岩と同じく人工的に割られてここに設置された陰陽岩です。これはあまりに大きなものなので90個以上に割られていました。パズルみたいですね。
池田の殿さんは巨石が好きだったのですね。ご家来衆も要望に応えるのが大変だったのかな(笑)。
今回は1時間ほどでぐるりと回りましたが、できれば2時間くらいかけてゆっくりとすべてを見尽くしてみたいと思いましたよ。
詳細は岡山後楽園公式HPをご覧ください。

さて、ゆっくりと散策を始めますか~。

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子どもたちがまだ小さいころに奥方の母上様とお邪魔して以来です。
この庭園はご存知の通り金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並び日本三大名園の一つです。宇喜多家の後を受けた池田氏が城の縄張りが終わった後に造営した見事な庭園です。

岡山城から入るのは初めてですが、大きな茶室と茶店があります。
むむ??

きれいな和装の方が茶室にたくさんおられました。後でわかったのですが、茶道の各流派が合同で大規模な茶会が催されていたようです。これは凄いですね。

後楽園の全景を見るために、庭園の中央にある唯心山という小山に登ります。

北側には大きな池 沢の池と芝生があり、周囲を大小の茶室などの建物と森が囲んでいる様子が素晴らしいです。

東側も池と茶室が連なり、井田(いでん)という昔の田畑の名残が残されています。

中央の茶室にもたくさんの方々が野点を楽しんでおられました。

庭園の南端にあるのが茶祖堂です。当初は千利休を祀ったので利休堂とされていましたが、岡山出身の茶を中国からもたらした僧を合祀したのでこの名前に変更されたそうです。
小高い山を下りて東に歩みを進めます。

本当にたくさんの茶室がありますが、ご覧のとおり大きさも趣向もそれぞれ個性的な茶室になっています。それぞれじっくりと干渉するのもたのしいと思います。

東の端に到達して振り向くと唯心山の向こうに岡山城が見えました。ここから振り返った池田の殿さまは誇らしい気持ちだったのでしょうね。
ここで少し茶店で休憩しますが、後日紹介しますね。

ここには後楽園内神社という小さな社があります。その隣に変わった石がみえました。

これは慈眼堂といって、池田綱政が池田家と岡山の領民の反映を願って観音像を祀ったものです。

その隣には烏帽子岩といって、巨大な岩を36個に割って運び込まれた陰陽石です。岩を割る際に打ち込んだ楔の跡がきれいに残っていますね。

ここからは沢の池の向こうに堂々とした岡山城の勇姿が見られます。

園の北端には後楽園で最も大きな建物群があります。

延養亭です。茅葺の屋根が本当に素晴らしい建物で、歴代藩主もここから園を眺めたとされていて、最も美しい風情が楽しめる場所です。

その裏には栄唱の間と呼ばれる立派な建物があります。

この裏には能舞台があるそうです。この日は裏千家さんの茶会が終わったばかりだったので、すぐ近くまで寄ることができましたよ。

その脇には花葉の池というはすいけがあります。この時はまだハスはほとんどかをお出しておらず、亀が甲羅干しをしている姿を見ることができました。その先にはまたもや大きな岩があります。
これは大立石といって、先ほどの烏帽子岩と同じく人工的に割られてここに設置された陰陽岩です。これはあまりに大きなものなので90個以上に割られていました。パズルみたいですね。
池田の殿さんは巨石が好きだったのですね。ご家来衆も要望に応えるのが大変だったのかな(笑)。
今回は1時間ほどでぐるりと回りましたが、できれば2時間くらいかけてゆっくりとすべてを見尽くしてみたいと思いましたよ。
詳細は岡山後楽園公式HPをご覧ください。

さて、ゆっくりと散策を始めますか~。

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川との風景に溶け込む漆黒のお城 ~岡山城 岡山県岡山市
2017/05/17 Wed. 06:00 [中国旅行記とお土産]
初めてゆっくりと岡山市を散策します。歴史好きな惣兵衛としてはまず始めにお邪魔したいと思ったのが岡山城です。

岡電の城下駅から東の方面が岡山城です。ゆっくりと歩いている道路上に高い石垣が見えました。

この辺りが二の丸だったようです。現在の航空写真と照らし合わせてみます。

この通り昔は岡山駅の近くまで堀が何重にもあった巨大なお城だったようですね。

ほどなく小さな公園となりますが、その先には旭川が流れ、その流れの右岸に岡山城が真っ黒な姿を見せてくれます。

そこからお城に入ることもできるのですが、折角なのでお城の正面から入ることにしました。すこし堤防を降りて先に進みます。この辺りは明治になって堀が埋められてしまい、町屋が並んだのでしょう。立派な家にその名残を見ることができます。

そしてしばらく進むと堀の向こうに立派な本丸の石垣が見えました。

本丸に向かう道路は昔は巨大な橋だったと思われますが、今は埋め立てられて堀の一部のような通路になっています。

さあ、本丸ですよ。ここから天守には、攻めての勢いを落とすためにカギの様に屈折した石垣に囲まれた階段状の通路を登っていく必要があります。

その先には守り手の塀をおける広場があり、その先に立派な不明門にたどり着きます。

門をくぐると立派な天守閣が見えます。
このお城は秀吉の腹心である宇喜多秀家が築いたお城です。大阪城を見本に作ったお城は大きく、漆黒の壁と金のしゃちほこが美しいお城だったようです。姫路城は白く「白鷺城」と呼ばれましたが、それと対比されて岡山城は「烏城(うじょう)」と呼ばれています。
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで敗軍の将となり八丈島に流され、その代わりに東軍についた宇喜多秀秋が城主となり白と城下町の拡張を進めますが、夭折します。
その後は池田家が岡山藩主として明治までこの地を治めます。明治維新によって廃城令がだされ、堀は本丸猪堀を残して埋められ市街地に変わりますが、天守などは残されます。しかしながら太平洋戦争の爆撃によって焼失し、昭和41年にコンクリートの建物として復元されました。

かっこいいお城だな~と思ったのですが、何やらカラフルな紙が貼られています。(涙)
ちょっと興ざめですね。

入場料を払ってエレベーターと階段で天守閣の最上部に登って岡山の市街地を見下ろします。いい眺めです。

岡山城主にまつわる鎧や刀剣、巻物などが展示されているので興味深く拝見しました。写真撮影は禁止されているので紹介できなくて残念です。
その他にもこのように着物体験コーナーや備前焼の体験コーナーもあります。

一階まで再び降りてきて、なんで天守閣に派手な紙が貼られてるのかわかりました。
どうやら倉敷にあるマスキングテープの会社の製品を使って、岡山の街を彩ろうという企画のようです。

たしかにこういうイベントはきれいだし楽しいけど、お城の外部までやってしまうのはちょっとやりすぎですね。歴史ロマンを感じたくてお邪魔したのに・・・・・・。

天守閣を降りて本丸を離れるために大きな門をくぐります。

これは廊下門というそうです。天守閣と楼閣をつないでいるのですね。

この裏からの岡山城の姿が一番きれいですね。マスキングテープもないし(笑)。

さあ、橋を渡って次のエリアに向かいましょう。
次は何かな?

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岡電の城下駅から東の方面が岡山城です。ゆっくりと歩いている道路上に高い石垣が見えました。

この辺りが二の丸だったようです。現在の航空写真と照らし合わせてみます。

この通り昔は岡山駅の近くまで堀が何重にもあった巨大なお城だったようですね。

ほどなく小さな公園となりますが、その先には旭川が流れ、その流れの右岸に岡山城が真っ黒な姿を見せてくれます。

そこからお城に入ることもできるのですが、折角なのでお城の正面から入ることにしました。すこし堤防を降りて先に進みます。この辺りは明治になって堀が埋められてしまい、町屋が並んだのでしょう。立派な家にその名残を見ることができます。

そしてしばらく進むと堀の向こうに立派な本丸の石垣が見えました。

本丸に向かう道路は昔は巨大な橋だったと思われますが、今は埋め立てられて堀の一部のような通路になっています。

さあ、本丸ですよ。ここから天守には、攻めての勢いを落とすためにカギの様に屈折した石垣に囲まれた階段状の通路を登っていく必要があります。

その先には守り手の塀をおける広場があり、その先に立派な不明門にたどり着きます。

門をくぐると立派な天守閣が見えます。
このお城は秀吉の腹心である宇喜多秀家が築いたお城です。大阪城を見本に作ったお城は大きく、漆黒の壁と金のしゃちほこが美しいお城だったようです。姫路城は白く「白鷺城」と呼ばれましたが、それと対比されて岡山城は「烏城(うじょう)」と呼ばれています。
宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで敗軍の将となり八丈島に流され、その代わりに東軍についた宇喜多秀秋が城主となり白と城下町の拡張を進めますが、夭折します。
その後は池田家が岡山藩主として明治までこの地を治めます。明治維新によって廃城令がだされ、堀は本丸猪堀を残して埋められ市街地に変わりますが、天守などは残されます。しかしながら太平洋戦争の爆撃によって焼失し、昭和41年にコンクリートの建物として復元されました。

かっこいいお城だな~と思ったのですが、何やらカラフルな紙が貼られています。(涙)
ちょっと興ざめですね。

入場料を払ってエレベーターと階段で天守閣の最上部に登って岡山の市街地を見下ろします。いい眺めです。

岡山城主にまつわる鎧や刀剣、巻物などが展示されているので興味深く拝見しました。写真撮影は禁止されているので紹介できなくて残念です。
その他にもこのように着物体験コーナーや備前焼の体験コーナーもあります。

一階まで再び降りてきて、なんで天守閣に派手な紙が貼られてるのかわかりました。
どうやら倉敷にあるマスキングテープの会社の製品を使って、岡山の街を彩ろうという企画のようです。

たしかにこういうイベントはきれいだし楽しいけど、お城の外部までやってしまうのはちょっとやりすぎですね。歴史ロマンを感じたくてお邪魔したのに・・・・・・。

天守閣を降りて本丸を離れるために大きな門をくぐります。

これは廊下門というそうです。天守閣と楼閣をつないでいるのですね。

この裏からの岡山城の姿が一番きれいですね。マスキングテープもないし(笑)。

さあ、橋を渡って次のエリアに向かいましょう。
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岡山市街地をぶらり散策&路面電車を満喫 ~岡山市
2017/05/16 Tue. 06:00 [中国旅行記とお土産]
長男の様子をうかがいに岡山市を訪問しました。これからもちょくちょくお邪魔すると思います。

ちょっと面白いものを発見。
岡山市内のいたるところにある岡山市コミュニティサイクル ももちゃりです。
1回(60分以内) 100円。一日200円でIKOCAも使える便利なレンタル自転車です。

こんな店もありました。JAPAN BLUE JEANSさんです。東京などにもお店がある国産のジーンズのショップです。岡山の西部はジーンズの生地の生産地があり、最近では生地だけでなくジーンズなどの商品も作られて、オリジナルブランドが立ちあがっていますね。

めちゃかっこいいですね。しかも驚くほど高くないです。

お城好きな惣兵衛としてはお城などの歴史を求めて移動します。

岡山には路面電車が走っています。岡山電気軌道という会社が運営されています。

レトロな昭和の車両から、最新式の2両編成の車両もありますよ。

たくさんの方々でにぎわっています。県庁までが100円、それ以上のっても140円という安さも魅力です。

城下という駅まで路面電車で移動しました。

この辺りは文字通り城下町です。残念ながら古い街並みは目にできませんでしたが、古い立派な商家など、その名残も散見できます。

この辺りは出石町というようです。なんだか親近感がわきますね。どういう由来なのか興味がわきますね。一説によると貝塚が発見されてこのような名前がついたところもあるという記事を読んだ記憶があります。

マンホールも桃太郎。街中の銅像も犬・猿・雉もおりました。ゆっくりと岡山の魅力探しをしたいと思います。お勧めの場所があればコメントくださいね。
さて、ゆっくりと散策を始めますか~。

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1回(60分以内) 100円。一日200円でIKOCAも使える便利なレンタル自転車です。

こんな店もありました。JAPAN BLUE JEANSさんです。東京などにもお店がある国産のジーンズのショップです。岡山の西部はジーンズの生地の生産地があり、最近では生地だけでなくジーンズなどの商品も作られて、オリジナルブランドが立ちあがっていますね。

めちゃかっこいいですね。しかも驚くほど高くないです。

お城好きな惣兵衛としてはお城などの歴史を求めて移動します。

岡山には路面電車が走っています。岡山電気軌道という会社が運営されています。

レトロな昭和の車両から、最新式の2両編成の車両もありますよ。

たくさんの方々でにぎわっています。県庁までが100円、それ以上のっても140円という安さも魅力です。

城下という駅まで路面電車で移動しました。

この辺りは文字通り城下町です。残念ながら古い街並みは目にできませんでしたが、古い立派な商家など、その名残も散見できます。

この辺りは出石町というようです。なんだか親近感がわきますね。どういう由来なのか興味がわきますね。一説によると貝塚が発見されてこのような名前がついたところもあるという記事を読んだ記憶があります。

マンホールも桃太郎。街中の銅像も犬・猿・雉もおりました。ゆっくりと岡山の魅力探しをしたいと思います。お勧めの場所があればコメントくださいね。
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古い街並みが残る岡山の倉敷をぶらり歩き ~その2~早朝の駅前商店街から美観地区 鶴形山公園
2016/06/26 Sun. 06:00 [中国旅行記とお土産]
ぶっ掛けうどんを朝ごはんに頂いたあとは、まだほとんどシャッターを閉めたままの店が続く商店街を歩きます。

まだ早い時間なので、あまり通行人もいませんね。しばらく南に歩いていると・・・

小さな山の登り口にぶつかります。

これは倉敷の駅と美観地区にど~んと広がる独立丘である、鶴形山公園です。鳥居はこの山に鎮座する阿智神社の鳥居です。朝の散歩としてちょうどいいので歩いてみます。

なかなか大きな神社のようですね。

こちらは主な参道ではなく、東にある補助的な参道のようですね。かわいらしい社が点在しています。

どの社にもお供えがあることから、阿智神社が倉敷の人々の振興を集めている事が容易に想像できますね。


高度のある見晴らしのいい参道を気持ちよくあるていると、鳥居があり、その向こうに朱色の建物が見えます。この向こうが境内になるようですね。

ここで、参道に合流します。写真の右から左に参道がありますよ。ここの手水社で清めて石段に向かいます。

石段の上には立派な隋神門があり、境内に足を踏み入れます。

境内は意外と広く立派な拝殿が目の前に迫ります。

すばらしいです。

拝殿からは本殿に向けて立派な通路があり、すばらしい作りになっています。


境内には沢山の施設があり、信仰の厚さが解りますね。

こちらが神楽殿と社務所です。

神社の蔵がいくつかありましたが、倉敷らしい作りですね。


沢山の支社があります。護国神社や稲荷神社です。この他にもたくさんありましたよ。

出石の振鼓楼によく似た高灯篭と絵馬堂ですね。

絵馬堂は下から見ると京都の清水寺のような造りになっていて立派なものです。
阿智神社を後にして、石畳の通路を歩き降りていきます。


途中で墓所を通りますが、大きなお墓もありました。由来は不明です。

ちょっと傷みが激しいですが雰囲気のある鐘堂がありました。これは真言宗観龍寺です。

このお寺は、江戸末期に長州藩の第二奇兵隊の脱走兵が代官所を襲った後に、この地を本陣に定めたという場所になるようです。

ここからの眺めがまた素晴らしいのです。

この場所になぜお城が内の中と思ったら、やはりあったそうです。
倉敷城といわれ、この山の南端にあったそうです。昔はこの山の近くが海岸線で、島の一部だったようです。ここに城が立てられたのは、藤原純友の乱です。
私も歴史の教科書の中で覚えていますが、詳細なことを調べてみると、藤原純友は当時瀬戸内海を跋扈していた海賊の討伐に向かうも、これと同調します。関東で平将門の乱が起こると同時にこうした動きがあたので、朝廷は危険を感じ藤原純友といったん休戦したものの、将門の乱が終息した後に、改めて討伐に向かいます。
当時は1000隻を超える海賊船を支配下に置いた藤原純友でしたが、戦を重ねて、ついには太宰府での戦いに敗れた滅びました。
この時に伊予の藤原純友にそなえ、この場所に城を朝廷側が作ったようです。のちに工場を作るために城のあった場所は削られて、今では平地になっているようです。

この山があることで、倉敷の南北の交通が妨げられているので、ここに歩行者専用の鶴形山隧道があります。とてもユニークな山の後援でしたね。
今回はざっと倉敷を歩きましたが、また、改めてお邪魔したいと思いましたよ。
歴史を調べながら歩くのは楽しいですね!

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まだ早い時間なので、あまり通行人もいませんね。しばらく南に歩いていると・・・

小さな山の登り口にぶつかります。

これは倉敷の駅と美観地区にど~んと広がる独立丘である、鶴形山公園です。鳥居はこの山に鎮座する阿智神社の鳥居です。朝の散歩としてちょうどいいので歩いてみます。

なかなか大きな神社のようですね。

こちらは主な参道ではなく、東にある補助的な参道のようですね。かわいらしい社が点在しています。

どの社にもお供えがあることから、阿智神社が倉敷の人々の振興を集めている事が容易に想像できますね。


高度のある見晴らしのいい参道を気持ちよくあるていると、鳥居があり、その向こうに朱色の建物が見えます。この向こうが境内になるようですね。

ここで、参道に合流します。写真の右から左に参道がありますよ。ここの手水社で清めて石段に向かいます。

石段の上には立派な隋神門があり、境内に足を踏み入れます。

境内は意外と広く立派な拝殿が目の前に迫ります。

すばらしいです。

拝殿からは本殿に向けて立派な通路があり、すばらしい作りになっています。


境内には沢山の施設があり、信仰の厚さが解りますね。

こちらが神楽殿と社務所です。

神社の蔵がいくつかありましたが、倉敷らしい作りですね。


沢山の支社があります。護国神社や稲荷神社です。この他にもたくさんありましたよ。

出石の振鼓楼によく似た高灯篭と絵馬堂ですね。

絵馬堂は下から見ると京都の清水寺のような造りになっていて立派なものです。
阿智神社を後にして、石畳の通路を歩き降りていきます。


途中で墓所を通りますが、大きなお墓もありました。由来は不明です。

ちょっと傷みが激しいですが雰囲気のある鐘堂がありました。これは真言宗観龍寺です。

このお寺は、江戸末期に長州藩の第二奇兵隊の脱走兵が代官所を襲った後に、この地を本陣に定めたという場所になるようです。

ここからの眺めがまた素晴らしいのです。

この場所になぜお城が内の中と思ったら、やはりあったそうです。
倉敷城といわれ、この山の南端にあったそうです。昔はこの山の近くが海岸線で、島の一部だったようです。ここに城が立てられたのは、藤原純友の乱です。
私も歴史の教科書の中で覚えていますが、詳細なことを調べてみると、藤原純友は当時瀬戸内海を跋扈していた海賊の討伐に向かうも、これと同調します。関東で平将門の乱が起こると同時にこうした動きがあたので、朝廷は危険を感じ藤原純友といったん休戦したものの、将門の乱が終息した後に、改めて討伐に向かいます。
当時は1000隻を超える海賊船を支配下に置いた藤原純友でしたが、戦を重ねて、ついには太宰府での戦いに敗れた滅びました。
この時に伊予の藤原純友にそなえ、この場所に城を朝廷側が作ったようです。のちに工場を作るために城のあった場所は削られて、今では平地になっているようです。

この山があることで、倉敷の南北の交通が妨げられているので、ここに歩行者専用の鶴形山隧道があります。とてもユニークな山の後援でしたね。
今回はざっと倉敷を歩きましたが、また、改めてお邪魔したいと思いましたよ。
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