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但馬の海事と城崎郡を治めた豪族の社を訪ねて ~式内海神社 豊岡市小島地区 

 今年の初詣で但馬五社巡りを行いましたが、そこで紹介した絹巻神社にかかわりが深く、お邪魔したいと思っていた
式内海神社さんにお参りしてきました。

式内海神社 前の通り

 城崎温泉街をさらに北に北上し、左に山が迫り、右は円山川が流れる狭い場所にあり、手前に金属製の大きな水槽があるので神社がそこにあるとはちょっとわかりにくいと思います。

式内海神社 神社遠景

 駐車場らしきものはなく、ちょっとした空き地に車を停めて参道の真正面に来てそこに神社があるとわかるほどです。

式内海神社 石碑

 石碑をみると歴史を感じますね。

 実は歴史だけでなく、式内神社であり、名神社であることからかなりの高い社格であるのです。

式内海神社 鳥居

 石の鳥居をくぐって消して広くはないものの、ひっそりとした境内に入ります。

①清明宮(黄沼前神社)時代
   この小島地域の豪族である海部直命が但馬の海事を治めることになり
   海部氏の始祖を神として清明宮を建立し祀りました

②絹巻神社に合祀
   海部直命は城崎群司も兼務し、絹巻神社を建立し、清明宮を合祀した。
   直命が亡くなり、気比に海神社が立てられ直命を祭神とした。
   海神社を絹巻神社に合祀し、海神社絹巻大明神となる

③海神社として分祀

   時を経て、絹巻神社から分離。元に清明宮のあった場所に海神社を建てる。

 と、なかなか興味深いです。

式内海神社 壊れた鳥居?

 境内の右側には石碑と壊れたと思われる鳥居のようなものがあります。これは何なのでしょうか??

式内海神社 わに岩

 境内の左側には大きな岩があります。これは鰐岩(わにいわ)といわれる奇石があります。名前の由来は境内の外から見たらわかるのですが、大きな割れ目があって、これが鰐(サメ?)の口に似ているということなのでしょうか。

式内海神社 社殿

 石段の上にはさほど大きくない建物があります。これが本殿覆屋ですね。この中に本殿があります。小さな社なので拝殿はありません。

 入るのは遠慮しようかと思いましたが、鍵もかかっていなかったので頭を下げて恐れ入りながら入ります。

式内海神社 本殿

 なかには小さいながらも彫刻が立派な本殿がありました。心安らかにお祈り申し上げました。

式内海神社 金毘羅社

 本殿覆屋の横にはこの神社唯一の小さな境内社がありました。これは金毘羅社のようですね。金毘羅さんは海の神様です。この地を見守ってくれているのですね。

 その隣にはコンクリートの建物がありました。何かと思ったらその近くにある石碑にその由来がかかれていましたよ。

式内海神社 石碑

 ここに真水の水源があり、公共の為にこの地の方から組合に提供され、簡易水道の飲み水として利用されているようです。

式内海神社 石碑の銘文

 但馬には規模こそそれほど大きくはないですが、いろいろな歴史物語が点在していて楽しいですね。




神社と古代の歴史ロマンは楽しいですね!



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式内海神社 地図

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八鹿の外れにある八木地区にある素晴らしいしだれ桜の巨木に心打たれる ~西方寺  養父市八鹿町八木 

 但馬の桜がとてもきれいになりました。仕事で国道9号線を仕事で関ノ宮・鳥取方面に向かう途中でいつもしだれ桜が素晴らしいと思っていたお寺がありました。西方寺というお寺です。仕事中だったのでなかなか寄れませんでしたが、ブロ友のひびきさんが但馬の桜の写真を紹介しいてとリクエストをいただきましたので、今回は特別にお邪魔しました。

西方寺  外観

 どうです? すばらしいでしょう?

西方寺  桜を見上げる

 このお寺を含めてこの辺りには国道9号沿いにはたくさんの立派なお寺が連なっています。それはなぜかというと、このお寺を登っていく山の上に八木城というお城があり、この辺りは城下町だったのです。
 よくよく考えると竹田城に近い細い街道沿いに作られた城下町の街割りには興味がそそられます。

西方寺  山門

 こちらの山門も素晴らしい造形美です。

 八木城の城主はだれかというと別所氏です。別所氏というと秀吉の「三木の干し殺し」で滅亡した別所長治が有名ですが、そのおじいさんの就治が別所氏の全盛期を築きました。但馬の盟主である山名家のライバルとして君臨した赤松家が没落し始めると家臣の別所就治は独立し、優れた武勇で尼子氏などを駆逐して大名になったのです。その三男 重宗は滅亡した本家とは別に秀吉の家臣となり、ここ養父市の八木に城を与えられて、城下町を築いたのです。面白い巡り合わせですね。

 ここで別所重宗は楽市楽座を開いて城下町を反映させたそうですね。だから養父の道の駅は但馬楽座と名付けたのでしょうか。

西方寺  境内

 どうです? すばらしい桜でしょう? 茅葺屋根を覆う赤い鉄板の朱色と桜のピンクが素敵ですね。

西方寺  本堂

 こちらが本堂です。この辺りの城下町の名残を感じますね。

西方寺  しだれ桜

 この大しだれ桜をご覧ください。

 この桜はこのお寺の檀家さんたちが昭和天皇の即位を記念して昭和2年に植樹してここまで育ててきた樹齢90年の古木です。本当に素晴らしいですよね。

西方寺  桜アップ

 樹高は約18m。はるか高い場所から降り注ぐように垂れ下がった枝にはたくさんの可憐な桜の花がたわわに咲いていました。

西方寺  桜と国道

 滝の流れの様に降り注ぐ桜の花の下に国道が走っています。

西方寺  桜

 初めて近づいてみましたが、予想以上に素晴らしい美しさです。

西方寺  桜アップ

 近所のおばあちゃんたちと立ち話をしましたが、「どうだ~~~え~~。きれいだら~~が~~。」と声をかけられました。誇りをもってこの桜を愛されている様子がよく伝わりました。

西方寺  見上げる

 桜並木は但馬にもたくさんありますが、一本の木でここまで圧倒してくる桜の木は樽見の桜ほか沢山はないです。

西方寺  全景

 ようやく気になっていた桜とゆっくりと対面できました。

 この桜を保存する為に保存会の方々がお寺や近くの喫茶店で募金活動をされているそうです。観に行って感激されたらご協力お願いいたします。

 今度はどこの桜を観に行こうかな?



夜にライトアップされた様子も観に行きたいですね!


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西方寺  地図
タグ: 養父市八鹿 

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但馬最大の塔にたどり着けず、日本最小の〇〇に ~名草神社と但馬妙見 日光院 養父市八鹿町 

 休日にふと思い立ってお邪魔したいと思った場所。それは、但馬でも随一の大きさと美しさを誇る三重塔がある名草神社さんです。

 冬季は除雪ができていないのでたぶん無理かなと思いながらもチャレンジしてみました。

 八鹿市街地にある八鹿高校の正門方面から谷に向かって走っていきます。だんだん寂れてきますが、途中で分岐点。そこからまっすぐ行けば林道で名草神社に行けるのですが間違いなく冬季閉鎖。右が妙見神社 登山道に向かう道なのでそちらを選びます。

 実はこの道こそ名草神社への道として昔からつかわれていた古道。現在でもこちらのほうが県道になっています。

名草神社への道 

 細い道で両脇に雪で覆われた道です。

名草神社への道 雪崩跡

 雪崩の跡もあってちょっとビビります。

 10分後くらいに開けた場所に出て、数件の小さな集落に到着します。

名草神社への道 雪に閉ざされた登山道

 名草神社 登山道入り口に到着しました。川沿いの道のようですがすっかり雪に覆われています。まあ、無理ですよね。夏になったら登ってみようかな。
 上れるわけもないので引き返して、林道を登って名草神社への道を進みます。

妙見地区

 石原という地区に到着します。ここの最上部に高野山真言宗 但馬妙見 日光院さんがあります。その門前町なのでしょうか。かなり大きな地区ですね。

日光院 遠景

 日光院さんが見えてきましたよ。ここから名草神社への道は閉ざされていると思われるので、今回は但馬一の三重塔の出会いはあきらめて春を待つことにしました。

日光院 外観

 とても立派な歴史あるお寺です。 車を停めて見上げるとえらいことになっていることに気が付きます。

日光院 塀が壊れてる

 年始の大雪によって境内の杉の木が倒れて塀を壊してしまっていました。

日光院 門

 両側に雪が迫る中、山門に向かいます。

日光院 動物用の柵

 動物対策で木製の柵がありました。

日光院 境内

 境内はさらにすさまじい雪に覆われていました。そして凛とした静寂の時間を味わうことができます。

日光院 境内左側

 境内の左側には但馬七福神毘沙門天さまがおわしますが、雪に阻まれてお参りできませんでした。

日光院 境内右側

 境内の右側には鐘楼があります。

日光院 庫裡

 その奥には立派な庫裡がありました。

日光院 拝殿

 両側の雪の壁の間を抜けながら拝殿に向かいました。
 
 ここでお寺なのになぜ本堂ではなくて拝殿? と思われると思います。境内の説明文を読むと妙見信仰の歴史にその理由があるようです。
 このお寺は日本三大妙見とされています。そもそも妙見信仰とはインドの仏教の菩薩信仰と中国の道教が習合して妙見菩薩となり、日本で神道とも習合して、人の生死に関わるもの、地鎮・鎮守としての功徳、五穀豊穣の神様とされたそうです。
 関東武士に武運を祈って支持されて、但馬でもこの妙見山は山名氏の戦勝祈願のために信仰され大事にされたそうです。

 ところが明治時代になって神仏分離令が出て明確にお寺とされたのでしょうか。実は惣兵衛の近くの地区も元々は妙見神社だったのですが、別の神様を祀っていることにして別の名前の神社として今の時代まで引き継がれています。

日光院 由来 日光院 由来2
(詳しくはこちらの由来の説明看板をご覧ください)

日光院 本殿

 拝殿でお賽銭をして蝋燭と線香をあげてお祈りを済ませた後に、少し後ろを覗いてみました。

 すると本当に素晴らしい本殿を見ることができました。彫刻が素晴らしいです。ここには妙見大菩薩様がおわします。

日光院 薬師堂

 拝殿の脇には渡り廊下でつながれた建物がありますが、こちらがお寺の本堂である薬師堂があります。

 すばらしいお寺ですね。参拝を終えて駐車場に戻ります。

日光院 妙見資料宝物館 

 そこには妙見資料宝物館がありました。看板を見ると・・・

日光院 妙見資料宝物館 

 但馬一の塔を見に来て日本一小さな博物館を見れたのですね。

日光院 妙見資料宝物館 内部

 内部は暗くてビビりましたが、入り口付近の電灯のスイッチを入れると少し明るくなります。

 内部には日光院さんの歴史とか、動物の剥製、発掘された化石などが展示されていました。

日光院 妙見資料宝物館 出雲大社と日光院

 そして、外の説明書を見てもらえばよくわかるのですが、名草神社の大きな三重塔はもともと出雲大社の塔だったというのです。すいません、惣兵衛は初めて知りました。恥ずかしい限りです。

 出雲大社の遷宮により大社の建て替え工事の際に、この妙見山から大きな杉が切り出されて用材として利用された縁から、取り壊す予定だった塔をこの妙見山に移築することになったそうです。
 すさまじい人手と資金がかかったことでしょうが信仰の深さが実現させたのでしょうね。凄いことです。


 このお寺にも三重塔にも雪解けを待ってまたゆっくりお邪魔したいと思います。



春が待ち遠しいですね!



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妙見山 地図

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但馬五社のついでに勝負運のための初詣 ~當勝神社 朝来市山東町 

 粟鹿神社で但馬五社参りをコンプリートした惣兵衛ですが、もう一つだけ参りたい神社があります。それは當勝神社(まさかつじんじゃ)さんです。名前が示す通り、勝負や商売の神様です。

當勝神社 鳥居

 粟鹿神社よりも少しさらに登ったところにある神社です。二つの大きな谷間の間に衝立のように盛り上がっている尾根の森の先端に鳥居が見えていて、それが参道の始まりになっています。

當勝神社 手水舎

 雰囲気のある森の中をジグザグに築かれた参道を登っていくと手水舎があります。ここで心と身を清めましょう。

 そこを少し登るとその先にはさらに神聖な場所があるのではと思わせるような隋身門があります。

當勝神社 隋身門

 この神社の参道は但馬でも有数の素晴らしい雰囲気を持っています。

當勝神社 隋身門の彫刻

 そしてこの神社の素晴らしさのひとつである、意匠を凝らした彫刻です。中井権次橘正次という著名な彫刻家の作品です。

當勝神社 境内と拝殿

 隋身門は絵馬堂、社務所と一体になっていて、その先には土俵が作れるくらいのちょっとした広間の境内があります。

 そして、屋根に守られた狛犬の先には石段があり、その石垣の上には拝殿と本殿などの社が密集して建てられています。

當勝神社 拝殿

 拝殿のつくりがまた素晴らしいのです。建物の個性と彫刻の美しさに息を飲みます。

當勝神社 拝殿の献上の品

 南但馬だけでなく、北但馬各地、さらには丹後や丹波からも商売人の方々からの献上の品々が並んでいます。それだけでなく、隋神門の前で一枚50円で売られていた油揚げも備えられていました。これは粟鹿神社でも見られました。稲荷信仰がこの辺りでは盛んだったのかもしれません。

當勝神社 境内社

 本殿へのお参りがすんだら左手の雰囲気のある境内社のお参りに向かいます。手前が當勝天神で、もともとの本殿で立派な作りになっています。学問の神様とされ、名まえから受験に勝ちそうですので、長男と次男の受験の成功を願って必死のお祈りをいたしました(笑)。

 奥は靖霊社です。戦いに散った英霊を祀る社です。心より感謝の祈りを捧げました。

當勝神社 逆杉社

 本殿に向かって右側に移動すると逆杉社が見えます。逆杉といえば鬼伝説もありますが、ここでは木の神様とされています。山深い場所ですので林業の神様だったのかな。

當勝神社 當勝神社稲荷大明神 参道

 さらにその先に行くと、本殿からさらに山の上に向かう鳥居が重なる参道が見えます。さっそく登ってみました。

當勝神社 當勝神社稲荷大明神 

 當勝神社稲荷大明神が鎮座しておわしました。


 ことしもこれで商売繁盛間違いなしです。子どもたちも受験に頑張ってほしいと思います。



商売繁盛、受験成功! 勝負に勝ちましょう!



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當勝神社 地図

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但馬五社参りを振り返る ~その5~ 粟鹿神社 朝来市山東町 

 さあ、但馬五社最後の神社になります。最も南に位置するのは山東町の粟鹿神社さんです。式内社 名神大 但馬國一宮 旧県社です。以前も紹介したことがありましたが、ブログを始めたころですので今回はもう少し詳細に。

粟鹿神社 門

 鳥居をくぐって参道を進むと二つの門が並びます。手前が勅使門で、奥が日の出門です。

 勅使門があるのがこの神社の特徴であり、独特の歴史を示しています。この門は天皇か勅使しかくぐれないのでいつも締まっています。
 これは九州に遠征していた天皇が戦死したのちに、その妻の神功皇后が天皇となり九州を平定、その後朝鮮半島にわたって新羅を征伐(三韓征伐)を行った時に功のあった粟鹿神社に勅使をたてた時に、神社が迎えるために作った門とされています。
 
 粟鹿神社は血気盛んな皇子の表米皇子を迎え、表米皇子が舞鶴に新羅の賊が大挙して押し寄せた際に征伐軍の大将を務めた時に援軍を送って(神話の中では念じたら海から大量のアワビが出てきたとされている)助けたとされるなど、6世紀までに活発に活躍したようです。
 
 また、粟鹿の名前も、泡を咥えた鹿が山から下りてきてこの地域の人たちに農耕をおしえたとされ、それが粟鹿神社の由来であり、この地の名前にもつながるという神話もあります。

 ただ、創建は不詳で、祭神は彦火々出見尊とも、四道将軍の一人である日子坐王とする説もあるそうです。

粟鹿神社 日の出門

 一般市民である惣兵衛は当然のごとく日の出門から境内に入ります。凄い行列です。

 この日の出門がまた面白いのです。

粟鹿神社 隋神像

 手前には一般的な神門と同じく隋神像がおかれていますが、境内のほうには・・・・

粟鹿神社 狛犬

 狛犬がにらみを利かしています。但馬ではあまり見ない形式ですね。

粟鹿神社 手水舎

 手水舎で身を清めますが、行列はこの先にはありません。参拝者に対して手水舎が小さいのでここで渋滞が発生していたのです。

粟鹿神社 境内

 境内は楕円形に広がり周りを神社が囲む形になっています。参道の正面に拝殿と本殿があるという形式をとっておられないのも興味深いですね。

粟鹿神社 猿田彦神社

 拝殿に向かうと、右手前に猿田彦神社があります。これは先導の神、導きの神とされています。本殿に向かう賛同の脇にあるのはそのためでしょうか。


粟鹿神社 拝殿

 いよいよ拝殿に向かって参拝を行います。勿論ここにも狛犬がいますが、拝殿には沢山のお酒が献上されていて、人々の信仰の篤さがうかがい知れます。

粟鹿神社 床浦神社と本殿

 拝殿の奥にある縁結びの神様である床浦神社から本殿を望みます。なかなか調和のとれた拝殿と本殿のシュルエットが印象的ですね。

粟鹿神社 茗荷神社

 境内の一番奥の少し下がったところにあるのが茗荷神社です。この神社があるために、粟鹿神社の紋の右半分が菊で、左半分が茗荷というデザインになっています。

粟鹿神社 稲荷社参道
 
 茗荷神社の左隣にはこんもりとした山があり、そこには石段が続き、朱色の鳥居が連なっています。さっそく登ってみました。

粟鹿神社 稲荷社

  想像の通り稲荷社がひっそりとたたずんでおわしました。

 さらに手前には池の中にある社があります。

粟鹿神社 厳島神社

 これは養父神社にもありましたが、厳島神社です。海神であり、女神様なのですが、この山間の地まで海運が盛んだったとは思えません。女性の神として信仰されたのでしょうか。

粟鹿神社 天満宮

 さらに手前には天満宮がありました。祀られているのは当然、菅原道真公ですね。学問の神様です。奥方と一緒に長男と次男の受験の成功を一心不乱に祈りました(笑)。がんばれよ~~~。

 手前にある砲弾と思われるものが何なのか気になるところです。


 久しぶりの参拝でしたが、自然の地形を上手く使った境内の様子はまるで庭の様でよかったですね。




もう一つ但馬に一の宮があってもいいですね!



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粟鹿神社 地図

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