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奈良時代に築かれた養父市の山中にある但馬高野で緑を楽しむ ~満福寺 養父市養父町 

 惣兵衛は食べてばっかりとお思いの方も多いと思いますが、神社仏閣巡りも大好きな惣兵衛。以前から気になっていた山中のお寺にお邪魔することにしました。
 名前は新宮山 本浄院 満福寺です。真言宗のお寺です。

満福寺 石碑

 養父市にある、やぶYタウンとはバイパスを挟んで反対側の十二所といわれる集落にあります。十二所という地名から熊野信仰の12の神様の事をさし、熊野権現が置かれ、その拠点だった地区と言われています。

 この地区の道路はとても狭く、生活道路ですので、車で訪問するときは気を付けて道を選び、走行しましょう。この辺りで有名な料理屋さんであるたけうちあたりの進入路から入るのがよいと思われます。

満福寺 参道

 石碑のある参道入り口からは車が一台やっと通れる程度の細い急坂を上っていきます。

満福寺 お地蔵さん
 
 道路わきのお地蔵さんがかわいらしいです。前掛けをつけて、風車をお持ちです。地元の方々の信仰の深さがよくわかります。

満福寺 山門

 この先は車で行けるのかなと不安になる道が続きますが、突然広い芝生の広場が現れ、立派な門が現れます。ここで車を停止します。

 この山門のわきには小さな石段があり、庭園に続きます。

満福寺 山門わきの庭園

 山門の両側には仁王像がにらみをきかせています。右側に赤色の阿形像

満福寺 山門 阿像

そして左に青色の吽形像です。

満福寺 山門 吽像

 とても立派な金剛力士です。

満福寺 小さな社

 門をくぐると小さな水たまりに小さな社が置かれています。これは弁財天さまでしょうか。

満福寺 石段

 苔むせる参道の石の階段を上っていきます。滑りやすいので気を付けてください。

満福寺 瓦

 石段の踊り場のわきに鬼瓦が地面に並べらえていました。お寺の修繕前に使っていたのものを置かれたのでしょうね。立派なものです。

満福寺 石像とモミジ

 途中で仏像と多宝塔があり、もみじの緑がとてもきれいです。

満福寺 もみじ

 見回してみると周りはもみじでいっぱいです。秋には燃えるような紅に染められるのではないかと思います。

満福寺 境内

 さらに石段を上ると、想像していたよりも広い境内に出ました。

満福寺 鐘楼

 右手には鐘撞がありります。

満福寺 経堂?

 その隣には蔵のような建物があります。納経堂かな?ご存じの方はお教えいただければ幸いです。

満福寺 説明

 ここにこのお寺の説明があります。

 奈良時代の最盛期である天平年間に行基が訪れて開山されたそうです。古い歴史を持つお寺ですね。のちに弘法大師(空海)も訪れ、真言密教の道場を創るなどして隆盛を極め、17坊も抱える大寺であったそうです。それにより「但馬高野」と呼ばれています

 ところが豊臣秀吉の但馬攻めの時に焼き討ちにあい、消失し、現在の建物は再建されたもの。あとでみていただければわかるのですが、石垣もありますので、山城のような機能も持たせることはできたでしょうから、何らかの形で戦に巻き込まれたのでしょう。
 幕末には但馬聖人といわれた池田草庵がここで修業したお寺としても有名です。

満福寺 本堂

満福寺 本堂 看板

 すばらしく立派な本堂です。

満福寺 本堂 彫り物

満福寺 本堂 彫刻2

 そこに施された、まるで生きているような龍や鳳凰の彫り物に暫く見とれてしまいます。

満福寺 庫裡

 その奥には庫裡もあります。

満福寺 つくばい

 その前にはカエルが置かれたつくばいがあります。

満福寺 弘法大師像

 それと、このお寺を訪れ、真言密教の道場を作ったといわれる弘法大師の像もありました。

満福寺 飛び石

 その奥には飛び石がきれいに並べてあり、きれいに手入れされた芝生の庭園があります。おそらくこの辺りにもいくつかの僧房が建っていたと思われます。

満福寺 奥の神社

 奥にはお墓が並ぶ霊園があり、神社がありました。鬼門を守るための社かな?

満福寺 奥の院への道

 ここからさらに車で登ります。結構な急な狭い道路です。

満福寺 奥の院

 するとまたもや大きな建物に出合えました。これは万福寺 奥の院 観音堂です。

 ここには本尊である千手観音が納められているそうです。

満福寺 薬師堂

 こちらも低いものですが石垣で囲まれています。

満福寺 奥の院 参道

 下を見下ろすと急な山道があり、昔の参道のようです。当時はここまで上がるのは大変だったろうと思います。

満福寺 薬師堂 彫刻1

満福寺 薬師堂 彫刻2

 観音堂の彫り物もまた素晴らしいものでした。

満福寺 奥の院 熊野権現

 観音堂のわきには神社がありますが、これが熊野権現です。

 ふもとの村の十二所という名を見ても、もともとは熊野信仰の山だったようで、但馬の一大拠点だったと思われるということです。


 但馬の歴史を振り返るととても興味深い物語があります。これからも、食べ物ばかりではなく、このような但馬の文化と歴史も、もっとご紹介したいと思います。




紅葉の季節に、再びお邪魔しようっと!



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タグ: 養父市養父 

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日本遺産 「鉱石の道」を行く ~ 神子畑選鉱場跡~ 朝来市朝来 

 明延鉱山を後にしたら、鉱石を選別し、粉状に加工する神子畑選鉱場跡にお邪魔することにしました。

 県道8号線の細い曲がりくねった道をひたすら南下し、国道429号線を北東に左折して、朝来に向かうと、40分ほどで到着します。

神子畑選鉱所 

 山の斜面に沿って整備された巨大な建築物群にはいつも驚かされます。

神子畑選鉱所 インクライン

 施設の左端には今でも使えそうなインラインの線路があります。この急坂をぼっていったのですね~。

 神子畑選鉱場跡はもともと、戦国時代までは神子畑鉱山という鉱山でした。採掘がはじまったのは西暦800年くらいと言いますから古い鉱山です。生野鉱山の採掘が本格化して一時は閉山したそうですが、明治時代に銀鉱脈が発見され再び鉱山として息を吹き返しました。ここで採掘された銀は生野の精錬所まで運ばれたそうです。
 その後、大正時代に再び閉山。スズの採掘が全盛期を迎え、神子畑に選鉱場を作ることとなり、当時としては東洋最大の選鉱場が誕生しました。

神子畑選鉱所 一円電車

神子畑選鉱所 一円電車

 こちらにも一円電車があります。

神子畑選鉱所 ムーセ旧居
 こちらはムーセ旧居

 生野に建設されたフランス人技師 ムーセ氏の居宅です。その後、この神子畑に移築され、事務所として使用されていたそうです。

神子畑選鉱所 ムーセ旧居 選鉱所模型

神子畑選鉱所 ムーセ旧居 選鉱所 内部模型

 内部には神子畑選鉱場の外観模型と内部の模型が展示されていますので、ぜひともご覧ください。

神子畑選鉱所

 もう少し拝見したかったのですが、今回は時間がないので残念です。またお邪魔したいと思います。


 車を生野の市街地に向けて走り始めると素敵な鉄橋があります。

神子畑鉄橋 

 こちらは神子畑鋳鉄橋です。

 先ほど説明にあった、生野に向かう16キロの運搬道路に創られた鉄橋です。アーチ形の鋳鉄橋としては日本3番目。規模は日本一だそうです。

神子畑鉄橋 

以前ご紹介した羽淵鋳鉄橋と2つの橋が朝来市内に現存しています。

神子畑鉄橋 

 この上をたくさんの鉱石が運ばれたのですね。

 詳細はこちらをご覧ください。

神子畑鉄橋  神子畑鉄橋 

神子畑鉄橋  神子畑鉄橋 

 さあ、おなかがすきました。




鉱山関係者の皆様に感謝です!



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タグ: 朝来市朝来 

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日本遺産 「鉱石の道」を行く ~明延鉱山 坑道見学~ 養父市大屋町 

 むかし、むかし。但馬は鉱山で栄えたという歴史があるそうです。こういった歴史が評価され、播州から但馬につながる、「銀の馬車道、鉱石の道」日本遺産に認定されました。

 その中の「鉱石の道」は但馬の誇る巨大な鉱山と関連施設にあたります。

 まずはその中の一つ。明延鉱山にお邪魔することにしました。

明延鉱山 全体図

 大屋の中心街からどんどん山に向かって走っていき、奥まったところに鉱山がありました。

明延鉱山 あけのべ憩いの家 

 あけのべ憩いの家という施設があり、そこで受付します。

明延鉱山 あけのべ憩いの家 内部

 4月第1日曜~11月第1日曜までの毎日曜日受付時間 10時~15時(ご予約不要)となっていますのでご注意ください。

 入坑料金は 高校生以上 1,200円  小中学生 600円 です。

明延鉱山 あけのべ憩いの家 一円電車

 こちらには一円電車が展示されています。

明延鉱山 一円電車 乗り場

 近くでは一円電車体験乗車ができます。ただし、今年は新型コロナウイルス感染症の影響で開催されていません。残念です。

明延鉱山 一円電車

 ここには動く一円電車があります。

明延鉱山 一円電車 内部

 こちらは客車です。かなり狭いです。とてもかわいらしいです。

明延鉱山 一円電車 説明

 説明にあるように、この電車の正式名称は明神電車といいます。もともとは、掘り出した鉱石を運搬するために運行された電車で、東洋一の選鉱所と言われた神子畑選鉱場までをつなぐ、約6キロの線路を走る電車です。人も載せる車両も運行され、運賃を集めるのが面倒だったために運賃は1円統一とされたため、一円電車と愛称が付いたようです。

 来年は乗ってみたいです。

 予約をしたら、施設の人が車で先導していただき、坑道のあるエリアまで移動します。

明延鉱山 明神電車

 駐車場があって、ここにも一円電車が展示されています。その右側に明延鉱山学習館があります。
 奥には見学を終えた人たちが坑道から出てこられました。

明延鉱山 明延鉱山学習館

 こちらでヘルメットをお借りします。

明延鉱山 坑道出口

 ガイドさんに先導されて坑道に向かいます。大きなゲートがあり、こちらが入り口かと思いきやこちらは坑道出口です。

 坑道の中からは冷たい風が吹き出しています。ガイドさんによると内部は気温12℃~14℃だということで、相当寒いので、上着は必ず着用しましょう。

明延鉱山 見学会案内

 出口を離れて、入り口に向かいます。

明延鉱山 坑道 入り口

 こちらが坑道入り口になります。意外なことに県道のすぐわきにあります。さあ、いよいよ内部に入ります。

明延鉱山 坑道 入り口付近

 入り口付近は金属の角材でしっかりと補強されています。しかし、さらに足を進めると・・・・。

明延鉱山 坑道 

 岩がむき出しになっています。思ったよりかなり狭いです。二人並んで歩くことは難しく、ヘルメットがなんとか当たらないくらいの高さでした。このあたりは、機械をほとんど作らず人力で掘り進んだようですね。冒険をしている雰囲気を楽しみます。
 足元には狭い幅の線路がありますが、坑道にはこうした線路がはりめぐらされていて、掘った鉱石を小型のトロッコで運んでいたようです。
 
 坑道の長さは約550キロメートル。新大阪から東京までの新幹線とほぼ同じ長さのようです。

 このあたりは海抜が約350メートルだそうですが、坑道は上下約1キロの高低差があるそうで、最下部は海抜0メートル以下。内部の温度はどんどん上がり、35度を超え、大変な環境だったそうです。
 作業員は4人1組で作業をしますが、坑道には今のような照明が全くないので、ヘッドライドを頼りに活動したそうです。中には道に迷って数日帰ってこなかった作業員もあったそうです。真っ暗な中での作業は想像がつかないですね。惣兵衛には無理です。

明延鉱山 坑道 回転場

 こちらは線路が交差しています。ここがトロッコの回転台があったところだそうです。今は柵が設置されていて、内部には播州で作られた醤油が熟成のために保管されています。

明延鉱山 坑道 分かれ道

 坑道はこのように分岐している場所もあります。まるでインディージョーンズの映画の舞台みたいです。

明延鉱山 坑道 

 迫力ありますね。

 この通り、足元は湿っていますし、狭いところもあるので、歩きやすい靴と、汚れてもいい服装が必要です。

明延鉱山 坑道 縦彫りの後

 ここは鉱脈が上下にあるので縦に掘り進んだ場所のようです。上に穴をあけて爆破して、石を採取し、さらに爆破をするということを何度も繰り返したそうです。

明延鉱山 坑道 ボーリング機

 行内には当時使われた機械類も展示されています。

 こちらはボーリング機。鉱脈に何が含まれているのかを調査し、どこを掘るのか決めるための大切な機械です。

明延鉱山 坑道 

木材で補強されている坑道。すごいです。

明延鉱山 坑道 オフセットストーパー

 これがオフセットストーパー。岩盤に穴をあける器具です。相当な重さですね。人力で運び、操作したようです。こうしたことから、当時はこの坑道は粉じんがすさまじく、作業者の寿命がとても短く、30代でなくなる方も多かったようです。

明延鉱山 坑道 トロッコ

 こちらがトロッコです。人が歩くスピードくらいですから自足4~5キロくらいで走行していたようです。

明延鉱山 坑道 お酒の貯蔵所

 こちらには日本酒が貯蔵されています。

明延鉱山 坑道 大型の機材

 こちらには大型の機械があります。穴を横に掘るための機械で、鉱山の歴史で閉山間際に使われていたもののようです。

 ここで明延鉱山の簡単な説明を。

 平安時代初期に採掘開始といわれています。。明治元年(1868年)に生野銀山とともに国の直営となり、明治29年に三菱グループに払い下げられ、民営鉱山となりました。
 スズ、銅、亜鉛、タングステンなどの多くの種類の鉱物を豊富に抱える鉱山でした。特にスズは日本一の産出量を誇り、シェアは90%を超えていたともいわれています。スズは銅と合金として利用されて、電線や通貨などに使われていて、大変高価な金属だったそうです。一説によると奈良の大仏も明延銅山のスズを使って作られたといわれています。
 しかしながら、海外からの安い鉱石が輸入されるようになり、1987年3月に閉山されました。

 歴史を感じますね。

 但馬の鉱山は歴史的に古く、歴史的に大切な役割を担っていた鉱山が多くあります。こうした鉱山に光を当てるのも面白いかもしれませんね。

明延鉱山 坑道 エレベーター

 こちらはエレベーターです。2段になっているエレベーターが2基併設されています。

 上下1キロにも及ぶ坑道を行き来したようです。

明延鉱山 坑道 見学路図

 こちらに見学のルート説明図がありました。最初に観たかった気もします。

明延鉱山 坑道 超大型機器

 出口付近は近代に作られた坑道で、かなり広くなります。ここでは軽戦車のような作業車が使われていたそうです。

明延鉱山 坑道出口
 大きな間口の行動を通ると出口に出ます。

明延鉱山 坑道出口

 さあ、これで坑道の見学は終了です。

 せっかくなので、明延鉱山の中心地に向かいます。それは、先ほど見学した坑道とは逆の谷の奥にあります。

明延鉱山 中心地

明延鉱山 中心地 説明看板

 こちらが当時の明延鉱山 中心地です。

 説明にある通り、砂利の斜面みたいになっていますが、一体に多くの巨大な施設があったようです。斜面の右端にインクラインの線路が残っているのが名残ですね。
 上部にはいくつかの施設が残っています。実はこの上部で一円電車が運行されていて、次に向かう神子畑選鉱場をつないでいたようです。大量の鉱石と人員を運んでいました。


 明延鉱山をゆっくり拝見させてもらって、こうした様々な人々の努力によって今の日本の繁栄があるのだと、考えさせられました。


鉱山関係者の皆様に感謝です!



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タグ: 養父市大屋 

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但馬の一宮である出石神社で一年の平穏をお祈りしました ~出石神社 豊岡市出石町 

 三が日の最終日は但馬の一宮である出石神社へ家族そろって初詣です。

出石神社 一の鳥居

 但馬の国には2つの一宮があると言われています。一つがこの豊岡市にある出石神社で、もう一つが朝来市の粟鹿神社です。粟鹿神社の詳細は過去の記事をご覧ください

出石神社 境内

 この神社はこの通り、広い平地にあります。境内に向かってたくさんの方々が列をなしています。

出石神社 手水場

 手水場にも行列ができていました。手と口を清めで参拝に向かいます。

出石神社 絵馬

 神門には正月に大きな干支の絵馬が架け替えられます。鼠の絵がかわいらしいですね。

出石神社 拝殿

 拝殿が見えてきました。

 しばらく並んでようやく拝殿に到着し、但馬の安寧と家内安全を祈ってきました。

出石神社 拝殿と本殿

 拝殿の裏には立派な本殿があり、神主さんが一心不乱に神事を執り行っておられました。素晴らしいです。


 出石神社の詳細は以前の記事をご覧ください。


 
 惣兵衛夫婦は出石神社のお札をいただき、息子たちはおみくじを引いていました。なんと二人共に大吉! これはいいことがありそうです。


今年も良い年でありますように!



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タグ: 豊岡市出石 

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今年も 「勝ちが当たる」神社で商売繁盛、必勝祈願、学問成就の祈願 ~當勝神社 朝来市山東町 

 地区の初詣は元旦に済ませましたが、但馬の一宮には人が多くて断念。そこで翌日お邪魔したのが朝来市の山東町にある當勝(まさかつ)神社さんです。

當勝神社 一の鳥居

 このようにこんもりとした森の先端部分に一の鳥居があります。のぼりも建てられ、正月飾りもなされ、初詣の雰囲気がいい感じでした。

當勝神社 参道

 森の中をジグザグに作られた参道には鳥居がたくさん並びます。この神社への信仰の厚さが解るようです。

當勝神社 手水場

 龍を形どった像から水が豊かに流れている手水場で手と口を清めて参拝に向かいます。

當勝神社 隋神門

 参道を上り切ると立派な門が迎えてくれます。これは隋神門です。

當勝神社 境内

 門をくぐるとちょうどよいサイズの境内に入ります。そしてその奥には立派な拝殿があります。

 ここで少し當勝神社について説明をいたします。

社 号  : 村社 當勝神社

古代社格制度 『延喜式神名帳』 : 式外社
近代社格制度  : 旧村社
創建 : 天平2年(720)
本殿様式 : 流造
御祭神 : 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

        (マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ・アメノオシホミミ)
 
 御祭神の御名前の「マサカツアカツ(正勝吾勝)」は「正しく勝った、私が勝った」の意味だそうです。「カチハヤヒ(勝速日)」は「勝つこと日の昇るが如く速い」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられています。「オシホ(忍穂)」は多くの稲穂の意で、稲穂の神のことだそうです。

 ここから勝負事の神様、五穀豊穣で商売繁盛の神様とされたのでしょうね。

 ただ、このままだと當勝神社ではなく「正勝」となりそうです。おそらく当初はそのようにされていたそうですが、この神社の竹に旗印を掲げれば、戦いに必ず理があるとされたため、「當勝」に改められたということです。面白いですね。

當勝神社 社務所

 社務所でお守りやご祈祷のお願いをしたりしましょう。

當勝神社 拝殿と本殿

 さあ、お参りに参りましょう。

當勝神社 拝殿へ

 こちらが拝殿で、その奥に本殿があります。目の前を宮司さんが歩いておられます。若い宮司さんで、こういう方が古い歴史ある神社を守っていただけるのはありがたいことです。

當勝神社 拝殿の彫り物

 この素晴らしい彫り物をご覧ください。こちらの神社の建物の素晴らしさはこの彫り物にあると思います。一見の価値ありですよ。


 本殿で、但馬地域の発展と商売繁盛、長男の必勝祈願、次男の受験成功を祈願してまいりました。そのあとは境内社を廻ります。

當勝神社 當勝天神

 本殿の左にあるのが當勝天神。天神様ですので菅原道真公が祀られています。よって学問の神様。次男の大学受験成功と長男信治の大学卒業を願ってまいりました。
 この建物は江戸時代に今の本殿が建てられる前の本殿だったものだそうです。とても立派な境内社です。

當勝神社 當勝稲荷大明神

 境内の右の山にあるのが當勝稲荷大明神です。商売繁盛を願ってきました。

 そのほかにも建物の神様である逆杉社靖霊社の2つの境内社があります。


 今年も恒例の當勝神社への初詣ができました。


商売繁盛、受験成功! 勝負に勝ちましょう!



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當勝神社 地図

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