04 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 06

たまたま大規模な茶会が行われていた日本三大名園に魅了される ~岡山後楽園 岡山県岡山市 

 初めての岡山城から橋を渡ったら、久しぶりの岡山 後楽園です。

 子どもたちがまだ小さいころに奥方の母上様とお邪魔して以来です。

 この庭園はご存知の通り金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並び日本三大名園の一つです。宇喜多家の後を受けた池田氏が城の縄張りが終わった後に造営した見事な庭園です。

後楽園 池と茶室

 岡山城から入るのは初めてですが、大きな茶室茶店があります。

 むむ??

後楽園 茶会

 きれいな和装の方が茶室にたくさんおられました。後でわかったのですが、茶道の各流派が合同で大規模な茶会が催されていたようです。これは凄いですね。

後楽園 唯心山

 後楽園の全景を見るために、庭園の中央にある唯心山という小山に登ります。

後楽園 北

 北側には大きな池 沢の池と芝生があり、周囲を大小の茶室などの建物と森が囲んでいる様子が素晴らしいです。

後楽園 東

 東側も池と茶室が連なり、井田(いでん)という昔の田畑の名残が残されています。

後楽園 野点

 中央の茶室にもたくさんの方々が野点を楽しんでおられました。

後楽園 茶祖堂

庭園の南端にあるのが茶祖堂です。当初は千利休を祀ったので利休堂とされていましたが、岡山出身の茶を中国からもたらした僧を合祀したのでこの名前に変更されたそうです。

 小高い山を下りて東に歩みを進めます。

後楽園 池の中の茶室

 本当にたくさんの茶室がありますが、ご覧のとおり大きさも趣向もそれぞれ個性的な茶室になっています。それぞれじっくりと干渉するのもたのしいと思います。

後楽園 池の向こうの岡山城

 東の端に到達して振り向くと唯心山の向こうに岡山城が見えました。ここから振り返った池田の殿さまは誇らしい気持ちだったのでしょうね。

 ここで少し茶店で休憩しますが、後日紹介しますね。

後楽園 後楽園内神社

 ここには後楽園内神社という小さな社があります。その隣に変わった石がみえました。

後楽園 慈眼堂

 これは慈眼堂といって、池田綱政が池田家と岡山の領民の反映を願って観音像を祀ったものです。

後楽園 烏帽子岩

 その隣には烏帽子岩といって、巨大な岩を36個に割って運び込まれた陰陽石です。岩を割る際に打ち込んだ楔の跡がきれいに残っていますね。

後楽園 池の向こうの岡山城

 ここからは沢の池の向こうに堂々とした岡山城の勇姿が見られます。

後楽園 延養亭 遠景

 園の北端には後楽園で最も大きな建物群があります。

後楽園 延養亭 近景

 延養亭です。茅葺の屋根が本当に素晴らしい建物で、歴代藩主もここから園を眺めたとされていて、最も美しい風情が楽しめる場所です。

後楽園 栄唱の間

 その裏には栄唱の間と呼ばれる立派な建物があります。

後楽園 延養亭 内部

 この裏には能舞台があるそうです。この日は裏千家さんの茶会が終わったばかりだったので、すぐ近くまで寄ることができましたよ。

後楽園 立石岩

 その脇には花葉の池というはすいけがあります。この時はまだハスはほとんどかをお出しておらず、亀が甲羅干しをしている姿を見ることができました。その先にはまたもや大きな岩があります。

 これは大立石といって、先ほどの烏帽子岩と同じく人工的に割られてここに設置された陰陽岩です。これはあまりに大きなものなので90個以上に割られていました。パズルみたいですね。

 池田の殿さんは巨石が好きだったのですね。ご家来衆も要望に応えるのが大変だったのかな(笑)。


 今回は1時間ほどでぐるりと回りましたが、できれば2時間くらいかけてゆっくりとすべてを見尽くしてみたいと思いましたよ。

 詳細は岡山後楽園公式HPをご覧ください。

後楽園 配置図


 


さて、ゆっくりと散策を始めますか~。



にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村   ←いろいろな乗り物が楽しい岡山市に、応援クリックお願いします!

[edit]

川との風景に溶け込む漆黒のお城 ~岡山城 岡山県岡山市 

 初めてゆっくりと岡山市を散策します。歴史好きな惣兵衛としてはまず始めにお邪魔したいと思ったのが岡山城です。

岡山城 二の丸の石垣

 岡電の城下駅から東の方面が岡山城です。ゆっくりと歩いている道路上に高い石垣が見えました。

岡山城 二の丸説明看板

 この辺りが二の丸だったようです。現在の航空写真と照らし合わせてみます。

岡山城 縄張り

 この通り昔は岡山駅の近くまで堀が何重にもあった巨大なお城だったようですね。

岡山城 旭川と岡山城

 ほどなく小さな公園となりますが、その先には旭川が流れ、その流れの右岸に岡山城が真っ黒な姿を見せてくれます。

岡山城 古い古民家

 そこからお城に入ることもできるのですが、折角なのでお城の正面から入ることにしました。すこし堤防を降りて先に進みます。この辺りは明治になって堀が埋められてしまい、町屋が並んだのでしょう。立派な家にその名残を見ることができます。

岡山城 本丸

 そしてしばらく進むと堀の向こうに立派な本丸の石垣が見えました。

岡山城 本丸へ

 本丸に向かう道路は昔は巨大な橋だったと思われますが、今は埋め立てられて堀の一部のような通路になっています。

岡山城 本丸内部

 さあ、本丸ですよ。ここから天守には、攻めての勢いを落とすためにカギの様に屈折した石垣に囲まれた階段状の通路を登っていく必要があります。

岡山城 不明門

 その先には守り手の塀をおける広場があり、その先に立派な不明門にたどり着きます。

岡山城 天守

 門をくぐると立派な天守閣が見えます。

 このお城は秀吉の腹心である宇喜多秀家が築いたお城です。大阪城を見本に作ったお城は大きく、漆黒の壁と金のしゃちほこが美しいお城だったようです。姫路城は白く「白鷺城」と呼ばれましたが、それと対比されて岡山城は「烏城(うじょう)」と呼ばれています。

 宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで敗軍の将となり八丈島に流され、その代わりに東軍についた宇喜多秀秋が城主となり白と城下町の拡張を進めますが、夭折します。
 その後は池田家が岡山藩主として明治までこの地を治めます。明治維新によって廃城令がだされ、堀は本丸猪堀を残して埋められ市街地に変わりますが、天守などは残されます。しかしながら太平洋戦争の爆撃によって焼失し、昭和41年にコンクリートの建物として復元されました。

岡山城 天守閣

 かっこいいお城だな~と思ったのですが、何やらカラフルな紙が貼られています。(涙)

 ちょっと興ざめですね。

岡山城 天守閣の眺め

 入場料を払ってエレベーターと階段で天守閣の最上部に登って岡山の市街地を見下ろします。いい眺めです。

岡山城 着物体験

 岡山城主にまつわる鎧や刀剣、巻物などが展示されているので興味深く拝見しました。写真撮影は禁止されているので紹介できなくて残念です。
 その他にもこのように着物体験コーナーや備前焼の体験コーナーもあります。

岡山城 岡山市マスキングテーププロジェクト 

 一階まで再び降りてきて、なんで天守閣に派手な紙が貼られてるのかわかりました。

 どうやら倉敷にあるマスキングテープの会社の製品を使って、岡山の街を彩ろうという企画のようです。

岡山城 岡山市マスキングテーププロジェクト 

 たしかにこういうイベントはきれいだし楽しいけど、お城の外部までやってしまうのはちょっとやりすぎですね。歴史ロマンを感じたくてお邪魔したのに・・・・・・。

岡山城 廊下門

 天守閣を降りて本丸を離れるために大きな門をくぐります。

岡山城 廊下門 外から

 これは廊下門というそうです。天守閣と楼閣をつないでいるのですね。

岡山城 裏からの勇姿

 この裏からの岡山城の姿が一番きれいですね。マスキングテープもないし(笑)。


岡山城 後楽園へ


 さあ、橋を渡って次のエリアに向かいましょう。


次は何かな?



にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村   ←ちょっとがっかりした惣兵衛に、応援クリックお願いします!

岡山城 地図

[edit]

岡山市街地をぶらり散策&路面電車を満喫 ~岡山市 

 長男の様子をうかがいに岡山市を訪問しました。これからもちょくちょくお邪魔すると思います。

岡山市 ももちゃり

 ちょっと面白いものを発見。

 岡山市内のいたるところにある岡山市コミュニティサイクル ももちゃりです。
 1回(60分以内) 100円。一日200円でIKOCAも使える便利なレンタル自転車です。

岡山市 JAPAN BLUE JEANS 

 こんな店もありました。JAPAN BLUE JEANSさんです。東京などにもお店がある国産のジーンズのショップです。岡山の西部はジーンズの生地の生産地があり、最近では生地だけでなくジーンズなどの商品も作られて、オリジナルブランドが立ちあがっていますね。

岡山市 JAPAN BLUE JEANS 

 めちゃかっこいいですね。しかも驚くほど高くないです。

岡山市 JAPAN BLUE JEANS 

 お城好きな惣兵衛としてはお城などの歴史を求めて移動します。

岡山市 岡山電気軌道  

 岡山には路面電車が走っています。岡山電気軌道という会社が運営されています。

岡山市 岡山電気軌道  最新車両

 レトロな昭和の車両から、最新式の2両編成の車両もありますよ。

岡山市 岡山電気軌道  車内

 たくさんの方々でにぎわっています。県庁までが100円、それ以上のっても140円という安さも魅力です。

岡山市 岡山電気軌道 古い車両

 城下という駅まで路面電車で移動しました。

岡山市 出石町 古い商家

 この辺りは文字通り城下町です。残念ながら古い街並みは目にできませんでしたが、古い立派な商家など、その名残も散見できます。

岡山市 出石町 

 この辺りは出石町というようです。なんだか親近感がわきますね。どういう由来なのか興味がわきますね。一説によると貝塚が発見されてこのような名前がついたところもあるという記事を読んだ記憶があります。

岡山市 マンホール

 マンホールも桃太郎。街中の銅像も犬・猿・雉もおりました。ゆっくりと岡山の魅力探しをしたいと思います。お勧めの場所があればコメントくださいね。



さて、ゆっくりと散策を始めますか~。



にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村   ←いろいろな乗り物が楽しい岡山市に、応援クリックお願いします!

岡山市街地 ぶらり地図

[edit]

東北独自の文化を開いた奥州藤原氏の至宝 中尊寺を訪ねる ~中尊寺 岩手県平泉町 

みちのく弾丸ツアーは秋田新幹線 こまち に乗って岩手県へ。新幹線とはいえ、単線なので山の中で反対側の新幹線を待ったり微妙です。

こまち 

こまち 

ただ、盛岡駅で東北新幹線 はやぶさと連結するシーンはかっこいいです。

 岩手県ではついに念願かなって奥州藤原氏の至宝である、平泉にある中尊寺を生まれて初めて訪問することができました。

中尊寺 桜とモモ

 ここで奥州藤原家のことを簡単に復習しましょう。

 初代の藤原清衡は、前九年の役で父が負け方について子どものころに失いますが、母が勝利した清原家にめとられたために養子として処刑を逃れます。
 その後、後三年の役では、清原家の長男に対し謀反を起すも敗走。ところが長男が病死し、守護職の仲介で他の義理の兄弟と所領を分割所領するものの、一方の兄に攻められ敗走。守護職が清衡に同調し、これを排除し藤原三代の礎を築きます。ここで平泉を中心として街を整備し、中尊寺を建立しました。

 二代目の藤原基衡は世継ぎの長男に反乱を起こして藤原家を引き継ぎます。奥州守護と争い事を起す中で、都と守護との距離を縮め安定をもたらします。
 
 三代 藤原秀衡の代に藤原家は全盛期を迎えます。都は平家が全盛を迎えますが、都とのパイプを強くしながらも独自の発展を遂げます。このころ平家から逃れた源義経を迎えています。源頼朝が平家に反旗を翻した時に、気に入った義経を引き留めようとしますが、かなわず義経は頼朝に合流します。平家を滅ぼした頼朝は奥州藤原氏を狙い始めますが、なんとかこれを回避します。しかしながら謀反の疑いを受けた義経を保護することを決断し、その後に死去します。

 四代 藤原泰衡は頼朝の圧力に屈して、秀衡の遺言を守れず義経を攻め殺し、頼朝に異心ないことを示しますが、結局は頼朝の策にはまり奥州合戦により、鎌倉勢に攻められ、平泉が陥落、泰衡は裏切りにあい命を落とし、奥州藤原氏の権勢はここに潰えます。

中尊寺 中尊寺ハス

 花が咲き競うなかで、足元にはきれいな池があります。夏には蓮の花が咲き中尊寺ハスといわれています。

 これは四代 藤原泰衡の首桶の中にあったハスの種を現代になって発芽をこころみたところ成功し、800年の時間をこえて美しい花を咲かしているのです。仏の心を感じますね。

中尊寺 庫裡

 藤原氏の栄枯盛衰と、度重なる流血の歴史をいやすような、何とも美しい風景が心をいやしてくれています。

中尊寺 案内看板

 この場所からタクシーを離れて坂を上がり境内に向かいます。

中尊寺 境内

 ここからは境内の中心にいきなり入ります。しかしかなり広いですよ。

中尊寺 讃衡堂

 上がってすぐ左手に讃衡堂があります。中には各寺院に所蔵されていた国宝級の仏像や仏具、藤原3代それぞれの棺桶や副葬品、泰衡の首桶などの本物が展示されています。
 火事や劣化を防ぐためにこのようにされているようです。写真は禁止ですのでご紹介できませんが、圧倒的な美しさと迫力、時空を超えた緊張感を当地で感じてほしいと思います。

中尊寺 金色堂

 これが金色堂です。まわりは覆堂という建物で囲まれていますが、この中に金をふんだんに使った藤原氏の仏教世界観が表現されています。これには圧倒されました。
 ここももちろん写真撮影は禁止ですのであしからず。パンフレットの写真をご覧ください。

中尊寺 金色堂


 しばらく立ち尽くしてしまいました。

中尊寺 経堂

 金色堂に圧倒されながらも歩みを進めると経堂がありました。経堂といえども立派な建物です。

中尊寺 開山天満宮

 中尊寺の中には沢山の神社がありますが、その一つである開山天満宮です。根が形作る階段の参道が面白いです。

中尊寺 松尾芭蕉の銅像

 また歩みを進めると松尾芭蕉の歌碑がありました。松尾芭蕉がこの寺を訪れた時に、金色堂に立ち寄り、 「五月雨の降のこしてや光堂」という句を詠んだそうです。

中尊寺 旧覆堂

中尊寺 旧覆堂 内部

 こちらは旧覆堂です。現在の金色堂にかぶさっている覆堂の前に鎌倉幕府によって作られ、昭和40年に現在の場所に移設されるまでは500年も金色堂を守ってきたとのことです。

 ぐるりと回る道から境内に戻ってくるとお堂があります。

中尊寺 釈迦堂

 釈迦堂ですね。

中尊寺 白山神社参道

  そこから中尊寺の最深部に向かって長い道が続きます。

中尊寺 白山神社 

 そこにあるのが白山神社です。

中尊寺 白山神社 能舞台

 神社に向かう前には立派な能舞台がありました。周りは傾斜になっていて観客席になっています。昭和天皇がご覧になった場所には記念の植樹がありました。

中尊寺 白山神社

 奥の白山神社でお参りを済ませます。ここから平泉一帯を見渡せます。

中尊寺 白山神社 弁財天堂

 参道を戻って境内に帰ってくると池の中に浮かぶように立つ弁財天堂があります。

中尊寺 鐘堂

 そこから金色堂の前に帰ってきますが、そこから寺の出口に向かって下っていくと面白い形の鐘堂があります。

中尊寺 大日堂

 ずんずん下っていくとある大日堂

中尊寺 峯薬師堂

 こちらが峯薬師堂です。

中尊寺 不動堂

 そして不動堂

中尊寺 本堂

 そしてこちらが本堂です。実はこちらの本堂は明治時代に焼け落ちてしまったのですが、中に安置してあった本尊の仏像は京都に修復に出していて無事だったようです。本尊は国宝で先に紹介した讃衝堂に保存されていて、別の立派な仏像が本堂にはいらっしゃいました。

 このほかにも弁慶由来の場所などの建物があるのですが、時間の都合上ここでバスに戻りました。

 詳しくは中尊寺の公式HPをご覧ください。


 じつはこの平泉は中尊寺を中心とした沢山の歴史的遺構が点在していて、研究と復元が進みつつあります。また時をおいてゆっくりと廻ってみたいと思いました。



奥州の素晴らしい歴史をご覧ください!


にほんブログ村 グルメブログ 関西食べ歩きへ
にほんブログ村   ←素晴らしい文化を育んだ奥州藤原氏と平泉に、応援クリックお願いします。励みになります!

[edit]

歴史薫る武家屋敷の街並みと枝垂桜、穏やかな流れと古木の桜が美しい秋田の名所 ~秋田県仙北市角館町 

ゴールデンウィークですね。みちのく旅行です。但馬は桜が散りましたが、東北は今がピーク。

 桜の時期に秋田に行ったらここに行きなさいといわれたので、いわれるがままに仙北市の角館町(かくのだてちょう)にお邪魔してきました。

角館の桜

 初めて角館に訪れたのですが、枝垂桜が歴史ある武家屋敷胃の並ぶ中で、花のナイアガラの滝のように咲き誇っている風景は感動的でした。

 久保田藩(秋田藩)は戦国時代に秋田氏から何度も支配者が変わります。猪苗代あたりの有力大名である蘆名氏(芦名氏)では後継者問題やお家騒動や内紛が重なり、常陸の国(今の茨城)の佐竹氏から養子を迎え領主とし、北の伊達氏と対峙していました。ところが関ヶ原の戦いにおいて、西軍の上杉軍と積極的な戦いを避けたために、徳川幕府により佐竹氏はこの地に転封されました。血縁の深い蘆名氏も1万余りの減封となって角館に移されたようです。

角館の桜

 蘆名氏が移り住んだ角館城の城下町は白の北側にあったのですが、狭いうえに水害や大規模な火災に見舞われ、現在の南に街を移し、街の真ん中に火除け地として東西に土塁を築き、北を武士の住む内町、南を町民が済む外町として整備したそうです。
 蘆名氏は結局世継ぎが産まれずお家断絶となり、佐武氏の分家がこの角館を治めたようですね。

角館の桜

 車が2台がすれ違っても歩行者もゆったり歩けるに十分な広さの道ですが、昔からこの通りであったかどうかは疑問です。しかし、広い道ですが両側から見事な枝垂桜が枝を垂れていて、空は広く感じないのがまたすごいですね。

角館の桜
(町の全体の概略図です。クリックして拡大してご覧ください)

角館の桜

 こちらは角館樺細工史料館です。この辺りでは樺の木の皮を用いた民芸用品が特産のようで、その資料が並んでいるようです。すでに5時を過ぎていたので見ることはできませんでしたが、門前の枝垂桜が見事です。

角館の桜

 空の青さと枝垂桜の美しさがとても素晴らしいコントラストを見せてくれました。

角館の桜

 こちらは周りの風景に溶け込んだような土産物屋さんです。こちらでも樺細工が売っていました。このほかにもカフェや物産売り場や当地の銘菓である秋田諸越の御店もたくさんありましたよ。

角館の桜

 武家屋敷のひとつを覗いてみます。こちらは青柳家です。

角館の桜

 茅葺の質素な建物ながら蘆名家の名門であった青柳家の屋敷の敷地は3千坪と広大です。

角館の桜

 もうすでに入館時間を過ぎていたので中には入れませんが、少しだけ見せてもらった内部の様子です。武具が表にあるのも武士の家らしいですね。

角館の桜

 角館にはたくさんのしだれ桜がありますが、そのうちの162本が国の天然記念物だそうです。とりたてこの北の橋にあるしだれ桜は見事ですね。

 もう一度南に歩いて武家屋敷を訪ねます。

角館の桜

 こちらは石黒家です。こちらは蘆名氏の後に入った佐竹氏の分家である佐竹北家の財務関係の有力武家で、現存する武家屋敷の中で最も家格の高い家のようです。

角館の桜

 簡素な造りがいいですね。しかもこの日は開館時間を延長しておられて、仲を見ることができました。

角館の桜

 玄関を入ると広めの土間があり、各部屋の中が見通せます。

角館の桜

 仏間の手前にある表の間には端午の節句を祝う、立派な節句の飾りが展示されていました。

角館の桜

 その右手には囲炉裏のある居間があります。家族でゆっくりと食事を楽しんだのでしょうか。

角館の桜

 その奥には書斎があります。当主が様々な業務をここで行ったに違いありません。歴史を振り返って当時をしのびます。

角館の桜

 もう一度土間に下りて、奥の建物につづく短い渡り通路を歩きます。そこには乳母車ならぬ乳母そり
 もしかしたら荷物を運んだかもしれませんが、車輪ではなくそりになっているのが当地の雪の深さを物語っていますね。子連れ狼も秋田ならそりだったのかな?

角館の桜

 隣りにはがありました。とても立派な装飾もされています。

角館の桜

 こちらは野菜を保管する地下収納庫です。このようなものは初めて見ました。

角館の桜

 その奥には石黒家の武具などを集めた資料館があります。

角館の桜

 刀のつばや当時の町割りの図面などもあり、見ごたえのある展示でした。

 石黒家を出て、さらに南に行くと小さな武家屋敷に出合えます。

角館の桜

 こちらは松本家です。番組、鉄砲組などの組の構成員である組下に属する武士の家だそうですが、とても

角館の桜

 夕暮れが近づいてきたので桜並木がきれいだといわれた桧木内川に向かいます。

角館の桜

 これは素晴らしい!!!

角館の桜

 約2キロの桜並木です。しかも昭和天皇がご誕生された時に記念に植えた桜を大事に育てて、ここまでに仕上げたそうです。見事としか言いようがないですね。何度か伐採の危機を迎えたそうですが、住民の皆さんの協力によりここまで残され、国の天然記念物にまでなったようです。

角館の桜

 この桜のトンネルもまた素晴らしい。市では桜を管理する部署を作って秋田の各地の桜を管理されているとか。驚くべきことですが、この角館だけでも年間80万人が訪れるといいますから、わかる気もします。

角館の桜

 角館を離れる前に川の対岸からも写真を撮りました。


 本当に素晴らしい場所ですね。しだれ桜と武家屋敷の風景。美しい川と両岸を埋め尽くすさくら。但馬にもこんな風景があればいいなと思いました。

 私が今回歩けたのは角館の半分くらいでしょうか。下町の町民街やのちに入ってきた佐竹氏の武士が入った田町を今度来た時にはお邪魔したいと思います。



秋田の皆さん、すばらしい桜の花をありがとうございました!



にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村   ←桜を愛し、ここまで育まれてきた角館の皆さんに、応援クリックお願いします!

[edit]