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但馬街道を行く! ~その11 竹田の魅力は城跡だけにあらず~寺町前編~表米神社 

 物部から寂しい道を歩き抜けると、「天空の城」として人気の高い竹田城の城下町に入ってきます。

但馬街道 竹田城下町

但馬街道 城下町

 城下町の南のほうは新しくなってしまった家が多く、あまり歴史の香りはありません。

但馬街道 竹田城下町 恵美須神社

 でも、角には由緒ありそうな神社がありました。恵美須神社だそうです。由来はよくわかりませんが、ここから楽しくなりそうです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 鳥居
 
 左手には石の鳥居があります。これは表米神社(ひょうまいじんじゃ)の一の鳥居です。少し街道を外れてそちらに向かうことにしましょう。

但馬街道 寺町通り 表米神社 古民家


 参道の両脇にも街割りがされていて、細い路地がありますが、本うだつの上がった建物がありました。

但馬街道 寺町通り 表米神社 石段

 踏切を渡ると、一気に山の斜面に沿ってそびえる急な石段の参道を見上げます。

但馬街道 寺町通り 表米神社 鳥居

 鳥居には立派なしめ縄がかけられています。地元の方々の信仰の厚さが解る気がしますね。

 この表米神社は大きな屋台があって、川を挟んで反対側の諏訪神社の屋台と、竹田秋祭りでは練り合いを見せてくれるそうです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 分かれ道

 境内を目の前にして左に折れる細道がありますが、これは竹田城への登山道のひとつです。この登山道路を竹田城を見学を終えた観光客が降りてきておられました。いいことですね。

但馬街道 寺町通り 表米神社 楼門

 立派な楼門が迎えてくれます。正面の入り口の他にもう一つの入り口がある珍しい門です。入り口が身分とか性別により区別されていたのでしょうか。

但馬街道 寺町通り 表米神社 楼門の彫り物

 楼門の彫り物が素晴らしいです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 

 楼門をくぐると思いのほか広い境内にたどり着きます。そして、この神社の特徴はこれです
 
但馬街道 寺町通り 表米神社 土俵

 土俵とその裏にある能舞台、そしてそれを半円状に取り囲む段になった相撲桟敷があることです。この様な桟敷はほかに山口県しか例がなく、大変貴重なものだそうです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 土俵の説明

 実はこの神社の御祭神は表米宿弥命といい、武人だったようです。ですのでこういう相撲が奉納されたのでしょうか。

 この表米宿弥命を調べると面白いです。

 表米宿弥命は孝徳天皇の皇子の一人で表米皇子だったのですが、謀反の疑いをかけられ、長兄は刑死、次兄は出家、三男であった表米皇子は3歳と幼少であったため但馬に流罪で許されたそうです。
 彼はなかなか力も強い子供で山東町の但馬の一宮の一つである粟鹿神社をよりどころにしたようです。16歳の時、新羅が丹後にたくさんの船で攻めてきました(大化の新羅の賊)。この時、表米皇子は征伐軍の大将に任じられ、日下部姓が与えられたそうです。
 勇猛に戦いながらも船が沈みそうになったのですが、アワビが大量に浮かび上がってすくわれたという言い伝えがあります。これは粟鹿神社の援軍をうけたととらえる方もいるそうです。とにもかくにも寇賊を撃退して、但馬・丹後・丹波の守護職になり、表米神社を建立したそうです。(現在の神社は移転されたもの)
 
 日下部氏はその後、有力な豪族として残り、末裔は山名氏に垣屋・八木・田結庄と並び、四天王と呼ばれた太田垣氏もその一つであり、この竹田城の初代城主となります。
 また、鎌倉時代には末裔のひとつが朝倉氏となったともいわれ、のちの戦国時代の越前 朝倉氏になったとされています。他にも建屋・石和田という名族にもつながるそうです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 本殿

 こちらが拝殿であり、その奥には彫刻の素晴らしい本殿があります。

但馬街道 寺町通り 表米神社 右の境内社

 こちらは本殿の右にある境内社です。

但馬街道 寺町通り 表米神社 左の境内社

 左側の境内社は比較的大きなものです。

但馬街道 寺町通り 表米神社 参道を下る

 表米神社を満喫したら石段を下りながら竹田の城下町を見下ろします。



さあ、楽しみですね。


その12につづく) 


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但馬街道 寺町通り 表米神社 地図
タグ: 朝来市和田山 

[edit]

但馬街道を行く! ~その10 「物部」って地名に歴史の香りを感じます 青倉から物部 

 古墳に出合えて満足して、青倉駅からさらに歩みを進めます。

 青倉からはすぐにも述べという地区に入りますが、県道の脇に大きな石の鳥居に出会えました。

但馬街道 物部八幡神社 鳥居

 これは物部八幡神社の鳥居です。

 「物部」というと天平の時代に兵器に関する官吏として栄え、後に蘇我氏と対立して没落した一族を思い出しますが、この一族は地方に分散して栄えたことと、この前に出会えた但馬第二の前方後円墳の存在を考えると、この一族の但馬の拠点のひとつになって、地名とされたのでしょうか。
 創建は875年で平安時代ですが、八幡神社は武士の信仰する神様ですから、12世紀以前は八幡神社ではなく、別の神社であった可能性が高いそうです。律令で農民の正丁(21歳から60歳の男子)の1/3を10日間交代で兵役につけていた軍団制を農民が疲弊したのを受けて、有力者や富裕層の子弟を兵役につけた健児(こんでい)が始まったのですが、朝来軍団が廃止され、健児をこの物部村においたのが719年だそうで、この神社の始まりに関係があるかもしれないそうです。

但馬街道 物部八幡神社 大ケヤキ

 鳥居のすぐ奥には何とも言えない姿のケヤキの木がありました。


但馬街道 物部八幡神社 参道

 そこからは、今や生活道路になっている本宮への参道が続きます。

但馬街道 物部八幡神社 参道左脇境内社

 参道の脇には小さなが2つ並んでいました。

但馬街道 物部八幡神社 石段

 参道を突き当たると石段の上に割拝門と呼ばれる神社の門があります。

但馬街道 物部八幡神社 割拝門

 門の上には二段目になる境内の広場があり、子ども相撲が奉納されると思われる土俵がありました。

但馬街道 物部八幡神社 手水社

 手水社で清めて拝殿に向かいます。

但馬街道 物部八幡神社 本宮への石段

 静かな境内で緊張感が高まります。

但馬街道 物部八幡神社 左狛犬 但馬街道 物部八幡神社 右狛犬

 狛犬の間を抜けて、石段を上がります。

但馬街道 物部八幡神社 右から拝殿

 立派な拝殿を目の前にしますが、最上段の境内は狭くて正面からは写真に収めきれません。こちらは右から見た拝殿です。

但馬街道 物部八幡神社 右の境内社

 右側には2つの境内社があります。

但馬街道 物部八幡神社 左から見た拝殿と本殿

 左から見たところです。杉の木も邪魔にならずに拝殿から奥の立派な本殿が望めます。

但馬街道 物部八幡神社 左の境内社

 この左側にも小さな境内社がありました。

 本殿を後にして、2段目の境内から右奥に遊歩道が続き、しばらく歩くと社がありました。

但馬街道 物部八幡神社 八幡宮

 これが八幡神社だそうです。

但馬街道 物部八幡神社 八幡宮参道

 ここからコンクリートの石段を降りて、物部地区の北側に降りたちます。

 実はこの神社のさらに上には物部城跡があるそうです。ここに居城したのが物部氏だそうですが、物部に来てから地名をとってその名をつけたのか、元々から物部かはわからないそうです。
 
 羽柴秀吉が中国攻めをする際に、側面の但馬の山名氏を放置できず但馬攻めを行いましたが、生野から一気に竹田城を攻め落とした際に、この小さな山城も周囲の山城と同時に攻め落とされてしまったそうです。

但馬街道 物部地区

 神社を見て、少し集落を歩いてルンルンだった惣兵衛ですが・・・・・

但馬街道 物部地区から離れて

 ここから人影の全くない山の中腹の道を歩くことになります。熊か何か出てきてもおかしくない・・・・。県道に出ましたが、おそらく旧街道と思われる道はさらに山の中に入っていきます。でも、先は行き止まりだそうですし、身の危険を感じ県道と市道を選択しました。

但馬街道 線路

 線路が朝来ののんびりした盆地を貫いて見えました。ここから汽車の写真を撮ったらかっこいいかな?

但馬街道 竹田城に向かう

 長い間心細い心で歩いていましたが、前方の山頂に竹田城の勇姿を見ることができるようになりました。右は円山川で、懐は狭くて、攻め難い城だったと思いますね。

 

あと少しで竹田城です。頑張って歩きますよ!


その11につづく) 


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但馬街道 物部から竹田
タグ: 朝来市朝来 

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但馬街道を行く! ~その9 ほんの少しの街道の歴史と古墳時代の風も感じる 新井駅から青倉駅まで 

 さあ、但馬街道シリーズの再開です。前回は新井駅まで歩きましたね。

但馬街道 新井駅

再び新井駅に降り立ち、てくてく歩きを再開です。

但馬街道 新井の古い家

 新井駅の隣の県道の西にある、街道と思しき道を歩くと数件の素敵な建物に出合えます。

 すると左の崖に何やら面白そうなものがあります。

但馬街道 南無の〇化佛?

但馬街道 南無の〇化佛?

 どれを指すものなのかよくわかりませんが、石碑には「南無の〇化佛」と書かれている感じで、よこには「文政七年」の文字が刻まれています。その年は1824年ですから、幕末まで50年の江戸時代後期。将軍は11代の徳川家斉ですね。

但馬街道 新井 上から眺める

 上の神社まで登って、これから進む街道を見下ろして再スタートです。

但馬街道 新井の土壁の家

 素敵な家に出合えましたが、次第に家の数が減少してきます。そして朝来中学校の裏にある神社で行き止まりになります。

但馬街道 倭文神社

 これは倭文神社というそうです。子どもの奉納相撲を行うと思われる土俵もありますから、地元の信仰を集めているのでしょうね。これは円山で出会った式内宮と同じ名前ですが、由来については何もわかりませんでした。

 学校内を無断で歩くわけも行かず、少し後戻りして県道に戻ります。

但馬街道 朝来の中心地

 この辺りは合併して朝来市になる前の朝来町の交換調の集まったところですが、歴史的なものはおろか、民家自体もしばらく途切れます。

 しばらく行くと立脇という地区に入ります。

但馬街道 立脇

 そこには地区の中心に広場があって、子どもたちが遊んでいましたが、その向こうにお寺が見えます。

但馬街道 大通院と一宮神社

 これは大通院というお寺と、その奥に一宮神社という社があります。
 せっかくなので、ぶらり立ち寄ってみました。

但馬街道 立脇廃寺礎石

 するとそこには舟形の大きな礎石と瓦がたくさん展示してありました。看板を見ると「立脇廃寺礎石」とされていて、調べてみると、この立脇地区周辺では歴史時代の遺物がたくさん出土していて、なんらかの大きな寺院があったと思われますが、詳細はまだ不明のようです。

 さらに歩みを進めると、民家の向こうにこんもりとした小山があり、鳥居が見えました。興味津々で向かいます。

但馬街道 船之宮古墳 

 なんとなくここで何かわかりました。皆さんもわかりますよね。

但馬街道 船之宮古墳 

 そうです。古墳です。船之宮古墳といって埋葬されている方は不明のようです。向かって右が丸い形で、左が方墳ですね。間違いなく前方後円墳です。但馬で2番目の大きさの古墳だそうです。

但馬街道 船之宮古墳 

 今ではここに神社が立てられて祀られています。

但馬街道 船之宮古墳 

 南但馬は朝鮮半島への北のルート上にあり、出雲への道でもあったでしょうから、この辺りの王は大和朝廷からかなりの支援を受けていたようですね。

但馬街道 船之宮古墳 

 こちらは県道から見た古墳の様子です。

 一通り見学したら、街道に戻って歩き始めます。再度県道に出てくると梅のきれいな立派な家に出合えました。

但馬街道 船之宮古墳 桑市の古民家

 さらにすすみますが、ここで青倉駅に到着です。無人駅なのですがトイレ休憩をして、気分も新たに歩き始めますよ~。



街道の歴史もいいですが、古墳時代もたのしいですね。


その10につづく) 


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但馬街道 新井から青倉の地図

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但馬街道を行く! ~その8 維新の悲劇の跡と新井駅まで 

 さて、鉱石の道の鉄橋を見た後は、再度、国道を渡って街道に入ります。

 すると寂しいところに神社が見えました。

山口護国神社 

 これは山口護国神社というようです。そしてその名を記した石碑の反対側には・・・

山口護国神社 

 これは寄ってみなければなりません。
 
山口護国神社 

 実は生野義挙の際に、北からの追撃に備えて、この辺りの山口村の妙見山の中腹に13名の志士が陣をはりました。本陣のある生野に帰還しようとしましたが、本陣の志士の首領が逃亡したことで裏切られたと怒った農民兵と対峙することになります。
 農民たちと戦をこれ以上しても意味がないと、この場で自刃したそうです。

 明治時代に入って、維新の先駆けになった彼らを悼んで、石碑にその史実を刻み、護国神社が建立され、現在に至っているようです。

山口護国神社 

 その石碑がこれです。

山口護国神社 

 この岩陰で自刃したとのことです。

 魂の安らからん事を祈念して神社を離れます。

山口地区

 この辺りが昔の山口村、今の山口地区です。広く道路も拡張されて、昔の名残はほとんどありません。

山口地区

 民家の間に石碑があり、山の中腹にお寺があります。

山口地区

 こちらが西念寺です。先の13名の志士が陣を構え、兵器や兵糧を集めた場所のようです。

 さらに進むと国道に舞い戻ります。

山口地区 国道を渡る

 国道を渡って、道の案内看板通り、左斜めに進みます。江戸時代は古地図をみるとこの辺りが街道だと思いますが、鉱石の道により鉄橋ができたころは今の山口小学校のあたりが街道かもしれません。
 よって、昔の面影は全くないです。

新井のあたりの円山川

 円山川を渡ります。つい1時間前に歩いた円山地区では小川だったのに、一気に川幅が広がっています。

円山川の欄干

 欄干には不細工で素がかわいいナマズの飾りがありました。

 JR播但線の踏切を渡って新井駅に入ります。線路に沿う様に走る道が街道かと思いましたがそうではなさそうです。もう一本西の細い道がおそらく昔の街道かな。

新井

新井

 この辺りは昔の面影を色濃く残す建物が軒を連ねています。豪奢であったであろう大きな邸宅もあり、すばらしいですね。

 このあたりで、生野を出て2時間30分。食事などの時間を除くと2時間程度の歩行時間でした。ちょうどいい具合に電車が来そうですし、これを逃すと1時間半はきませんから、この日はこれで終了とします。

新井駅

 JR播但線 新井駅です。

新井駅

 一両編成のかわいらしいワンマン電車が到着します。

JR播但線 ワンマン電車

 この日はこれで帰宅しました。また、気が向いたときに新井駅を出発点に歩いてみたいと思います。それから、生野義挙ってなかなか面白いですね。ゆかりの場所を廻ってみたいと思いました。


皆さん、続きはしばらくお待ちくださいね。


(ちょっと先になりますが、その 9につづく) 


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山口から新井 地図

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但馬街道を行く! ~その7 朝来地域に入り新井まで 「銀の馬車道」の遺構に触れる  

 さあ、気になっていたお寺を見学したら再出発です。

大日本沿海輿地全図 中図

 地図を見ながら進みます。

円山 藁屋根の空き家

 円山地区をなにか面白い石碑などないかなと思いながら歩いているうちに、村はずれの右に山、左に田畑という田舎道になります。そこではこの様な藁ぶき屋根にトタンをかぶせた空き家があるくらいでした。

 さらに歩くと川の向こうに小さな神社があり、鉄の橋で参道としておられました。

倭文神社

 こちらは式内 倭文(しどり)神社といいます。

倭文神社

  式内社とは醍醐天皇の時代の8世紀後半から9世紀初頭に編纂された延喜式に記された神社ということで、但馬には131社あり、朝来市には9社、生野としては唯一の式内社だそうです。
 この神社の創建は712年。別の場所にあったのをここに遷宮して300年を祝う石碑もありました。

 久しぶりに歴史の香りを感じたところでさらに歩き始めます。

生野飯店の交差点

 播磨屋本店 生野総本店の裏を通りすぎると国道312号に合流し、しばらく歩き続けます。すると、岩津ねぎラーメンが美味しい生野飯店さんに出合いますが、そこを左斜めに進む細道に入ります。

岩津の街並み

 このあたりは岩津地区です。岩津地区は広くて上岩津というようです。でも、古い地図にはその名前は記されていません。この辺りの谷川あたりが岩屋谷村で、そのさらに北に津村子村があったようなので、お互いの頭の文字をとって合併して岩津といったのでしょうね。

岩津の民家 岩津の民家

岩津の民家

 この辺りには昭和初期の建物と思われる立派な建物が多くあり、手入れもされていていい感じです。

 少し村はずれに入って再び集落に。この辺りは住所は岩津ですが、行政区は元津地区というそうです。昔あった津村子村の名残でしょうね。

やさい厨房

 ここにはいつかよりたいと思っているやさい厨房 邑居さんがあります。古民家を使ったレストランで、いつか美味しいお料理をいただきたいです。

 さらに歩を進めると国道にでてしまいます。次の建物の塊がある地域の前に、案内看板がありました。

国道312 羽渕鋳鉄橋

 道路を渡って川沿いの駐車場の手前には黒い鉄橋があります。羽渕鋳鉄橋です。

羽渕鋳鉄橋

 これは神子畑の谷に流れる田路川にかかっていた橋で、鉱石を運ぶ道の為に頑丈な鋳鉄の橋がかけられたもののひとつです。

羽渕鋳鉄橋

 二つのアーチが美しですね。但馬には5つの鉄橋があったようですが、現在はこの橋と神子畑にある橋しか残っていません。洪水で壊れてしまい、現在はこの地に修復して移築されたようですね。


さあ、そろそろ電車の時間です!急がねば。


その8 につづく) 


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新井までの地図

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