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但馬の古道 その1 ~夜久野から梁瀬まで 「なりあいみち」 

昨年の秋に夜久野のあたりをうろついていた時の記事を今更ながら紹介します。

ずいぶん前に山東町の梁瀬の古い町並みを歩みて、その古い町並みの奇麗さと、街道について興味がわいてきました。

ちょっと覗いてみると楽しい発見が幾つか見えます。車の道路もなく電車も走っていなくて、堤防も今のように整備されていないときにどういう生活を但馬の人たちがしていたのか勉強したくなりました。

 今回はは京都府から但馬に入る比較的新しい街道「なりあいみち」をたどってきました。この道が京都への街道になる前には旧山陰道として山東の遠坂峠の道が一般的でした。その後、播州の西国三十三観音霊場第二十七番札所の西国書写山圓教寺から宮津の二十八番札所である成相山 成相寺へ向かう巡礼者が但馬路(現在の播但道)を経て宮津に向かうときにこの道を頻繁に使うようになってからこちらの道が主たる街道になったようです。

 まずは丹波と但馬の国境に到達します。「ドライブインやくの」から北に入るとロータリーがあり、これを西に走ると畑の奥に鎮座している石碑があります。

なりあい道 丹波但馬国境

「従是東丹波國福智山領」と書かれています。そこをしばらくいくと茶堂が見えます。

なりあい道 夜久野 茶屋

 夜久野の道は細くカヤやススキに覆われ、水もなく難渋した旅人が多かったのでこの地に茶道(正式名は「放光院」)を建立して旅人を救ったとされているようです。この地を中心に夜久野高原一帯には88の石仏があって、四国八十八カ所大師霊場を移したもので、それぞれ四国八十八カ所観音札所と同名の観音像と弘法大師座像が並べて立てられています。これを周ると四国巡礼を終えれるというわけです。

なりあい道 夜久野 茶屋の石碑なりあい道 夜久野案内看板

 茶道の左隣にあるお堂に一番と書かれた石像があります。案内看板もあるのでこれをご覧下さい。

 その茶道は三叉路になっているのですが、街道は左になります。

なりあい道 夜久野分岐

 この道は二車線の舗装道路ですが、当時は人がすれ違うのも大変な細道だったようです。

なりあい道 夜久野を下る
なりあい道 石碑 なりあい道 地蔵2

 道沿いにはある程度の距離を置いて地蔵さんが置かれていたり、「なりあいみち」ときざまれた石碑が建てられています。

なりあい道 道端に建つ地蔵

 この地蔵の右肩にも「なりあいみち」ときざまれているのがわかるでしょうか。旅人の無事を祈るとともに、道しるべとして並んでいるのでしょうね。

 坂を下ると国道9号線に入りますが、これも近代のバイパスです。道端の集落を縫うようにある小道が昔の街道でしょう。
なりあい道 集落

 昔は但馬は水田が少なく、他国から米を輸入していたようです。耕地は貴重で集落は耕地面積を稼ぐために山の斜面近くに建てられるようにされていたようですね。そのために街道も山際をすすむことが多いです。

 集落には地蔵が固められているところがありました。

なりあい道 集落に集められた地蔵

 恐らく車社会に対応するために道路を拡張する際に撤去されて邪魔にならないこの場所に集められたのでしょう。

なりあい道 集落の地蔵

 この地蔵様には布で全てが見えませんが両肩に「右○○」「左△△」と書かれているので道標として役割を負っていたのでしょう。こちらが街道だということですね。

そうして最後に山の斜面を上がり、一気に下ると当時旅篭町であった梁瀬の町(以前ブログで紹介済み)に到着し、三叉路に当たります。

 ここがなりあい道と山陰道の分岐となります。これからは山陰道を歩いてみたいですね。


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コメント

なるほど

なかなか味わい深い記事ですね。引き込まれました。歴史好きには。京都、京丹後と南北の要所にあたる福知山市、夜久野。まさしく陰陽の分岐であったのでしょうね。しかし四国88ヵ所巡りと関連していたとはビックリ( ̄○ ̄;)です。

さすがアニキ、また歴史好きな僕を引き込む記事楽しみにしてます!!

栄治 #- | URL | 2012/01/30 08:04 * edit *

栄治さんへ

山陰路は朝鮮半島からの渡来人の京都へのルートでもあったそうので、歴史的には非常におもしろそうですね。
 そのためか大陸の神様を祀る神社もたくさんありますし、大和朝廷から遠い、この地への影響力を高めようとしていたようで、古墳時代からの素晴らしい文化の遺構があるようです。

 栄治さんも調べてお教えくださいね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/01/30 08:28 * edit *

No title

夜久野の地名にはどういう意味があるのでしょう?昔から変わった地名だなと思っていました。
このあたりは独特の雰囲気を持つ町のような感じがします。
帰省の時に豊岡から山陰線で車窓から見る家並みが郷愁を誘います。

おばちゃん #- | URL | 2012/01/30 12:44 * edit *

おばちゃんさんへ

「夜久野」ってステキですよね。

調べてみると「焼き野」が語源という説が紹介されていました。夜久野高原は火山の噴火で形成されていて、噴火口もあります。
 そして、高原には玄武岩が有名ですが、土が赤い色をしていて、これが赤く見えて燃えているように見えたことから「焼き野」とよばれ、その後「夜久野」に変名したということです。

 夜久野は古墳もあり、応仁の乱の戦場になったり、さまざまな歴史の舞台になってきた場所です。趣がありますよね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/01/30 20:53 * edit *

No title

噴火口もあるんですか!知りませんでした。
神鍋といい夜久野といい昔は火山がこの辺りにもあったんですね。
夜久野の地名の由来よくわかりました、ありがとうございました!

おばちゃん #- | URL | 2012/01/30 21:22 * edit *

おばちゃんさんへ

 山陰にはたくさんの火山があります。

 日本海ができる過程で地盤の変動が激しかったこの地域ではそこかしこで噴火したのですね。ですから火山もですが、温泉も多いのですね。

 ちなみに城崎や玄武洞あたりも噴火のあった場所のようです。円山川の河口に大きな岩盤ができたために河口との高低差が1メートル未満の豊岡は波による侵食を逃れ盆地となったようです。あの場所に溶岩による山がなければ、若狭湾のような深い入り江になって、かなりの内陸に港ができていたかと思うと不思議ですね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/01/30 22:01 * edit *

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