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歴史があり、霊験あらたかであるものの、ちょっとかわいそうになるお地蔵さん ~下宮地蔵尊 豊岡市 

 豊岡市と久美浜を結ぶ国道178号。その道と六方たんぼなどを結ぶ道との交差点の旧道にあたる路とのT字路にたたずむ立派なお地蔵さんはご存知でしょうか。

 下宮地蔵尊さんです。

下宮地蔵尊 遠景

 お地蔵さんはお釈迦様がこの世から御留守の時に現世を6道をもって人々を守る菩薩様といわれています。このお地蔵さんは但馬六拾六地蔵尊61番の霊場札所になっているとても歴史ある素晴らしい地蔵菩薩のようです。
 但馬六拾六地蔵尊を調べてみると、平安末期に高倉天皇の中宮建礼門院(清盛公の娘)は大変な難産で安産祈祷をあらゆる社寺で行いましたがうまくいかなかったので、亀岡と京都の間にある老の坂峠の地蔵尊が霊験あらたかということで勅使を出したところ、無事にお生まれになったということです。喜んだ中宮建礼門院は清盛に全国66州、一国に一つの同じ形の地蔵を作って安置させたというのが始まりとされています。

 各地でこれに倣い66体の地蔵を安置したようですが、但馬も同じく66体を安置(実際は68体)されたのだそうです。

下宮地蔵尊 

 赤い幟が立てられ、子供たちの世界平和の願いの書かれた石などが置かれ、地元でも信仰を集めているお地蔵さんであることはすぐにわかります。とても幸せなお地蔵さんですね。

下宮地蔵尊 御詠歌

 隣にはこのお地蔵さんの御詠歌を書かれた石碑もありました。「あほげなをしものみやなる地蔵そん しょうぐんぼだいを祈りたまへば」と書かれているそうです。

 そんな素晴らしいお地蔵さんですが、そのお顔はちょっとかわいそう。

下宮地蔵尊 ご尊顔

 目はなぜかパッチリなんですが建立当時の姿はどうだったのでしょうか。


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コメント

見守って

いろんな意味で見守っていただいていますね。お地蔵さまには常に頭を下げるようにしています。なぜだかわかりませんが癖のように昔からそうしています。その辺お祖母ちゃん子な僕です。なんで息子にも同じように。息子は保育園でも礼拝の時間があります。

栄治 #- | URL | 2012/11/17 06:13 * edit *

但馬屋惣兵衛さんへ

あほげなを しものみやなる 地蔵そん しょうぐんぼだいを 祈りたまへば
 
これって、どんな意味があるんでしょうね?
 
しものみやは地名、ここで将軍様の魂の成仏(供養)を祈ったお地蔵さん???
菩提を成仏(供養)と訳すなら…ですが(^_^;)
 
でも、最初の「あほげなを」の意味が理解できないです(汗)

中村主水 #- | URL | 2012/11/17 07:53 * edit *

栄治さんへ

そうですね。
地蔵さんは日本の非常に庶民に近い宗教文化ですね。
その親しみやすさとやさしげな表情に思わず手を合わせてしまいます。

道路の拡幅や移動でわきに追いやられてしまいがちですが大事に後世につないでいきたいですね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/11/17 09:45 * edit *

中村主水さんへ

「あほげな」
 仰名ということすると誰からか名づけられた名前ということでしょうか。

「しものみやなるじぞうそん」
 下の宮という地蔵尊ということですね。この地の久々比神社がこの辺りの下宮にあたるようですね。そうすると上の宮があるわけですが、豊岡にはこの地名が残っていません。長楽寺地区のの酒垂神社が上の宮ではという話がありますがどうなんでしょうか。

「しょうぐんぼだいを いのりたまへば」
 後鳥羽天皇の皇子である雅成親王がここでいう「将軍」のようです。鎌倉幕府では三代将軍実朝が暗殺された後、将軍として雅成親王を幕府に迎えたいと要請を受けたが、討幕を望んでいた後鳥羽上皇はこれを許さなかったようです。
 承久の乱後、但馬の国に流刑され、高屋の地に軟禁されて出家しています。後鳥羽上皇の死後は罪を許されて京都に戻りますが、その後、九条氏の後押しにより次の天皇に推される動きを察知した幕府により再度但馬に流刑となり、その後病没されており、お墓も高屋にあります。

 雅成親王が流刑の際に雅成親王の子を宿した幸姫が親王の後を追って豊岡に来ました。あとすこしに迫った日高町の松岡で老婆に姫が道を聞いたところ、意地悪な老婆がまだまだ20日かかると嘘をいったようです。産気づいて苦しんでいた姫はとてももたないと円山川に身を投げて自害されたそうです。

 その後円山川は反乱を繰り返し、姫のたたりだということで老婆を焼き殺したようです。その後も老婆に見立てた人形を焼く「ばばやきまつり」として今も続いています。

この祭りの様子はこちら

http://tajimalibe.blog73.fc2.com/blog-entry-405.html


 城崎では位の高い女性の遺体が流れ着いたということで、若上臈稲荷として魂を祀っているとのことです。

 悲しい昔のお話です。

 

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/11/17 10:13 * edit *

このお地蔵さん、そんなに霊験あらたかだったんですね。
むか~~~~~~~し、もう30年前。
豊岡在学当時、ちょうど地蔵盆の時期、たまたま学校帰りの宮津線からこのお地蔵さんの前で子どもたちが集まっていた光景がなぜか強烈に残っています。

そうだったんですか・・・・・・。(しみじみ)

おばちゃん #- | URL | 2012/11/17 15:56 * edit *

おばちゃんさんへ

そうですか。そんな場面に出くわされたことがあるのですね。

子供の願いことが書かれていたりして、とてもこのご近所でも愛されているお地蔵さんのようです。
 
 足元をもっと見つめなければと思いましたね。(しみじみ)

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/11/17 17:16 * edit *

但馬屋惣兵衛さんへ

おお~(;´Д`)
 
なんだか、歴史の授業並みに眠くなって来ました…(=o=;)
寝る前にこの記事を読めばよかった…(笑)
 
惣兵衛さんは学校の先生みたいに博学ですね。
僕は耳学問で薄く広く…っていう感じなので、敬服します。
 
 
このお地蔵さん、そんなに由緒有りそうな歴史が有るんですね。
確かに、高屋に雅成親王陵が在ります。
行った事は無いですが、ちょっと散歩がてら行ってみたくなりました。
 
幽閉?されていた(住んでいた)所は何処なのか、雅成親王陵に住居があって後に此処に葬られたのか、色々と興味が湧いてきます。
 
 
お地蔵さんの話題からここまで話が繋がるなんて、古代のロマン…って感じで色々と辿って行きたくなりますね(^^)
 
 
他の67体のお地蔵さんも、それぞれに御詠歌が書かれているんでしょうね。
そして、それぞれにドラマが…って言うと大袈裟ですね(^_^;)
 
 
エジプトの考古学者の、吉村栄治さんの気持ちがちょっと分かった気がします。

中村主水 #- | URL | 2012/11/17 18:15 * edit *

中村主水さんへ

博学ではありません。恥ずかしいです。
しかも、また誤字が・・・「反乱」→「氾濫」ですね。

関西はどの場所に行ってもすばらしい歴史の物語があります。但馬の地にちゃんとした歴史研究所がないのが残念ですね。

中村主水さんも是非調べてみてくださいね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2012/11/20 08:44 * edit *

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