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三木市の戦国時代の大戦「三木城攻め」の史跡を巡る ~その1~ 千体地蔵・伽耶院 

 息子のサッカーの試合で三木総合防災公園にお邪魔しました。朝9時に到着。解散は午後3時ということですので、帰るのも、すぐに帰ってこなければならないうえ、ガソリン代ももったいない。さりとて、6時間も子どものサッカーを見ているのもつらいし・・・・。

 そこで思いついたのが、この地は戦国時代の軍師として名高く、NHKの大河ドラマで取り上げられ、私の大好きな武将の一人でもある、黒田官兵衛や、豊臣秀吉竹中半兵衛の訪れた戦の舞台となった三木市を散策してみようという企画です。しばらくお付き合いくださいね。

 先ずは山陽自動車道路の三木東ICの近くの田圃道をすこしだけ走ります。するとこんな感じの場所に出合います。

千体地蔵

 これは千体地蔵といいます。

千体地蔵

 千体はないものの沢山のお地蔵さんがあってびっくりします。

千体地蔵

 お堂の中には砂岩を削って作られたお地蔵さんが鎮座されていますが、長い時間にかなり風化しています。これはこの地に昔、悪病がはやり、沢山の方々が亡くなられた際に、この地蔵を祀って安全を祈念したのが始まりとのことです。

千体地蔵
 
 室町時代からは子安地蔵として信仰を集めて、願をかけて子どもを授かると、お礼に地蔵をおいていくようになって、現在のようになったということです。

千体地蔵

 何度も通っているインターチェンジのすぐ近くに、この様な民衆の信仰の場があるなんて全く知りませんでした。

千体地蔵


 それから、さらに車を北上させます。信号のある交差点で県道を横切り、さらに谷に向かいます。少し奥がグリーンピア三木で、隣接してゴルフ場もありますが、今回はその一つ手前のひっそりとした谷にお邪魔しました。

伽耶院 仁王門

 舗装路の脇に突然寺院の山門らしい建物が現れます。これは伽耶院(がやいん)という寺院の仁王門です。
 すこし広い場所に車を停めて覗いてみました。

伽耶院 仁王門

 行基作といわれる山門の両脇におかれた仁王像は、なんと両方とも胸から上がありません。

 伽耶院は645年に開山された数少ない修験道のお寺のようです。このお寺は平安時代に隆盛を極めて、広大な寺領に130もの坊塔があったそうですが、羽柴秀吉の播州征伐にあたり、当地で行われた三木城攻めにおいて、当地の別所氏に加勢し、陣もおかれた当寺院は、三木城陥落の後に焼き払われてしまったようです。

 その折に、この仁王像の胸から上が焼け落ちて、今のようになってしまったようです。

 さらに車を進めると、すぐに車を停められる広場に出ます。そこにはお寺と思しき建物がありました。

伽耶院 納経堂

 これは納経堂庫裡ですね。

伽耶院 納経堂

 なんとものんびりとした、日の光がやさしく射す良い庭ですね。

伽耶院 納経堂 狸 伽耶院 納経堂 鬼瓦

 納経堂は非公開ですので入れません。かわいい狸が道案内をしてくれます。しかしその先にはごっつい鬼瓦がありました(笑)。

 いったん納経堂をでて、舗装された道を歩きます。すると中門に出合えます。

伽耶院 中門

 江戸時代初期の1651年に再建されたものです。こちらには立派な仁王像が両脇でにらみを利かせています。門をくぐり、いよいよ境内の中心部に足を踏み入れます。

伽耶院 境内

 大木に囲まれた境内は光があまり射し込まず、厳粛な空気が漂っているようです。

伽耶院 本堂

 まずは本堂です。これも1610年の再建ということです。

伽耶院 本堂

 本堂の中の様子ですが、中陣と外陣が格子戸と欄間で隔てられていて中には入れません。これが密教寺院建設の典型的な様式のようです。中には平安末期に作られた毘沙門天が安置されているようですが、そとからは見ることができません。

伽耶院 本堂

 家内安全を願って、とても太い線香を奉納させていただきました。

伽耶院 三坂社

 本堂を出ると、かわいらしくも趣のある三坂神社があります。これも本堂と同じく、1610年に再建されたものです。このお寺の鎮守の三坂大明神を祀っておられます。小さいながらもすばらしい屋根の作りと彫刻です。

 そのさらに隣には荘厳な塔があります。

伽耶院 多宝塔

 これは多宝塔です。播州から九州の小倉藩主となった小笠原忠真の寄進のようです。弥勒菩薩が安置されていて、一層目が方型で、2層目が円型のやわらからなシュルエットで、屋根の作りがとても美しい塔ですね。

伽耶院 臼稲荷

 そのわきには臼稲荷。沢山の石臼がおかれ、その上に社があります。これはこの地方では田んぼに水を引く、水の出口に石臼を置いていたそうですが、干ばつの際に水を平等に割り振るべく、仙人がその石臼を取り除いたとか。恥じた農民がここに石臼を奉納して、社を建てたそうです。なんだかおもしろいですね。

伽耶院 小さな招き猫

 この境内の脇には2センチほどの小さな招き猫が大量に奉納されていました。これはなんだろう?? 実は本堂におみくじを背負っている猫があるそうなのです。みなさん、おみくじを引いた後にここにおいて帰られるようですね。ああ、おみくじやればよかった・・・・。

伽耶院 お地蔵さん

 さらに進むと、赤い帽子をかぶったお地蔵さんが並んでいます。可愛らしいですね。

 本堂を後にすると、少し広い場所に出ます。

伽耶院 護摩道場

 これは護摩道場のといって、桧葉を方形に積んで不動明王を智火を焚いて煩悩をやきつくす護摩が行われるそうです。毎年体育の日には200名を超える山伏が集まって、法螺の音を響かせながら大きな炎が上がるようです。一度見てみたいですね。
 この日も比較的新しい炭がありましたが、おそらく小正月におこなわれた「とんど」に寄るものだと思います。

伽耶院 開山堂

 こちらは開山堂です。これは江戸初期の1656年に再建されたもの。なんと丹後から但馬豊岡に転封された田辺京極家の京極右近高供の寄進によるものだそうです。豊岡のお殿様がここに寄進されたなんて面白いですね。

伽耶院 行者堂

 護摩道場の一段上にあるのが修験堂です。1631年に土佐城主 山内忠義の寄進によるもののようです。遠方の大名から寄進をたくさん受けていますので、その信仰は広く支持されていたのですね。役割としては修行者のこもり堂のようです。

 インターチェンジのすぐそばでこれだけ楽しめる観光スポットがあると初めて知りました。大変驚きです。

 
 さて、それでは私の憧れの人に会いに行きますか。


(その2に続く)

 三木市歴史探訪 その1



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コメント

三木市は、私の実家があります。我耶院へは、車の免許を取ったころに練習がてら母親を乗せて連れて行ったことがあります。(30年くらいまえです。)私は、見たことがありませんが、確か、我耶院には光藻が見れるところがあったように思います。逝かれましたか?

三平の母 #- | URL | 2015/01/31 16:40 * edit *

史跡が

史跡がたくさんあり、
興味深いところですね。
見るところたくさんです。
伯父が小野にいるので
今度行ってみますね!

栄治 #- | URL | 2015/01/31 18:07 * edit *

三平の母さんへ

そうなんですか?

ありました。写真家の方々も集まっていました。
ちょうど開山堂の前にある小さな池だと思います。

写真家の方々ががやがややっていたので、じっくり見ることができませんでした。

また改めて、行ってみたいと思います。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2015/02/01 20:58 * edit *

栄治さんへ

室町時代から今まで、なかなか興味深い歴史を紡いできた地方ですよ。
こうして訪ね歩いてみると楽しいです。

ぜひ、地域の昔話などを合わせて教えていただけると良いですね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2015/02/01 21:01 * edit *

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