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但馬にもゆかりのある赤穂浪士の故郷を訪ねる ~その2~赤穂城跡の二の丸から本丸へ 赤穂市 

 昨日の続きです。

 開こう大石神社を後にすると、一の鳥居をでて、左に曲がったところで二の丸に向かう通路があります。この辺りは城壁以外には目印が少なくなり、むしろ民家と畑も散見できるような状況なので、地図を見ながら進みます。

赤穂城跡 二の丸庭園 

 堀を渡って門の跡を通ると二の丸庭園の門があります。ここは大石内蔵助の大叔父、大石頼母助の大庭園があった場所で、現在復元工事が行われています。

赤穂城跡 二の丸庭園 看板

 大石頼母助は浅野の殿さまの娘を妻にもらい、450石を拝領して権勢を握っていたようですね。豪奢な庭園が出来上がるのが楽しみです。

赤穂城跡 本丸表門

 こちらは本丸表門です。大規模な門ですね。

赤穂城跡 本丸表門

 見たことがあると思ったら、これまで映画などの撮影にも使われていたようです。

赤穂城跡 本丸

 本丸はとても広いです。その敷地いっぱいに御殿があったようで、建物跡にそって50センチ程度の高さのコンクリートで形作られていて、間取りも看板で示されていました。

赤穂城跡 天守跡

 その先には天守跡があります。

赤穂城跡 天守跡

 大股で足を上げないといけないくらいの厳しい石段を登って天守跡に登りますが、きっと姫路城のように小天守があったのでしょうか。天守にも登りにくい構造になっていました。

赤穂城跡 天守跡 見晴らし

 天守からは本丸や城郭内、城下町が見下ろせます。天守があったら当時は海も近かったでしょうから、すばらしい眺めだったことでしょうね。

赤穂城跡 天守跡

 初めて赤穂城を訪れましたが、予想したよりもずいぶん大きな城跡でびっくりしました。逆に建造物があまりなくて、のんびりした公園的な風情にも驚きましたね。

 赤穂浪士といえば但馬との関係も深いのです。大石内蔵助の妻、大石りくは豊岡藩京極家の名門で筆頭家老である石束家の娘だったのです。石束家は1200石も所有していたそうですから、かなりの名門であるといえますね。りくは内蔵助と婚姻を結んだあと赤穂に生活の場を移しました。
 長男 良金など2男2女を産みました。浅野家のお取りつぶしにあたり、実家の豊岡藩に帰りますが、内蔵助が京都の山科に居を構えると、山科に移り、三男 大三郎を産みます。討ち入りの計画が進む中で、長男を残して4人の子どもを連れて豊岡藩に再度帰り、討ち入り成功後に、内蔵助と長男が切腹、後に次男と長女を病気で失いますが、他の2人の子どもは無事に成長し、赤穂浪士の人気が高まる中で、広島の安芸の浅野本家に3男大三郎が仕官し、りくも浅野の家臣と再婚し、安芸の地で天命を全うします。
 お墓は安芸にありますが、豊岡市にも遺髪塚があり、大石りく祭りが開催されたりしていますよ。

赤穂城下町

 この後、城を出て城下町を歩きました。整備された広い道路でしたが、なかなかいい雰囲気で、ぶらり歩いてもいいと思います。駐車場は一か所ありますが、東駐車場に車をおいてぶらり歩いてもいいと思いますよ。

  さて、おなかがすいたな。何か食べようっと!

 
(完)


兵庫県の離れた場所でつながる歴史がいいですね!



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コメント

もうずいぶん

もうずいぶん行ってません。
さくらぐみっていうピザ屋さん、うまかったなぁ~。
もう10年以上前の話ですが。

栄治 #- | URL | 2016/03/21 07:10 * edit *

栄治さんへ

そうそう。
その近くのお店ですよ~

ご家族でぜひ。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2016/03/22 12:29 * edit *

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