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但馬街道を行く! ~その5 生野の寺町通りで生野の歴史を振り返る 

 さあ、生野ハヤシライスをいただいて腹ごしらえができたところで再出発です。生野の市街地を北に向かいます。

生野 但陽美術館

 まず始めに目に飛び込んでくるのは生野銀山で栄える但陽信用金庫会館です。10年ほど前には行ったことがありますが、本館にはロダンの作品が展示され、新館には生野出身の画家の作品が展示されています。

生野 志村喬生誕の地

 白い西洋造りの洋館が立ち並ぶ一角を東に向かい、以前お邪魔した旧生野鉱山職員宿舎にたどり着きます。芝生の広場には黒澤映画の多くで名演技を見せた生野出身の俳優 志村喬の生誕の地です。

 その山際にお寺があります。ここ一帯が生野の寺町通りといって8つのお寺が並ぶ地域です。

生野 本行寺 

 こちらは日蓮宗の本行寺です。

生野 本行寺 

 小さなお寺ですが清楚なお寺で、よく見ると山門や本堂の掘りものが素晴らしいです。


 すぐ隣にあるのが本門佛立宗の妙詮寺さんです。

生野 妙栓寺  

 こちらは山名家家老 鈴木甲斐の守の屋敷跡に山名家の菩提を祀るために安土桃山時代に建てられたようです。

生野 妙栓寺  

 石造りのアーチ状の柱が興味深い三門が素敵なお寺です。


生野 禅掃寺 

 そして、そのまた隣りが臨済宗妙心寺派の禅掃寺さんです。

生野 禅掃寺 

 福の神としてもあがめられる毘沙門天さまが祀られているので、歴代の鉱山長は正月にはここにお参りに来たといわれているそうです。
 また、このお寺には明治4年に発生した生野鉱山焼き討ち事件(一揆が発生し近代化途中の生野鉱山の施設の大半が焼失した)の一揆勢を止めようとした県の役人のお墓があるそうです。


生野 わらじ

 寺町通りを歩いているとわらじがつられていました。この辺りの風習でしょうか?

生野 教徳寺 

 続いて、出会ったのが真言大谷派の教徳寺です。

生野 教徳寺 石段脇のカラミ石

 地位なさお寺が多い中で、比較的大きなお寺です。豊臣秀吉の時代に建てられたそうです。鉱石から銀を取り出した時に出るカラミ石がそこかしこに使われています。長い石段の両脇にも並んでいます。

生野 教徳寺 カラミ石の石垣

 もちろん、石垣にも使われていますよ。

生野 教徳寺 

 なんとなく落ち着くお寺です。


生野 金蔵寺 

 そのつぎは、浄土真宗本願寺派の金蔵寺です。

生野 金蔵寺 

 最近になってきれいに修復されたのでしょうが、開山はとても古く平安後期にさかのぼります。

生野 金蔵寺 鐘楼

 特にこの鐘楼の鐘は創建当時のものだそうで、太平洋戦争時の鉄の拠出の際にも軍から免除された貴重なものだそうです。

生野 金蔵寺 鐘


 さてさて、さらに寺街を歩きますよ。

生野 寺町通り

 
 生野 西福寺 

 さらに進むと浄土宗西山禅林寺派の西福寺さんです。

生野 西福寺 

 生野代官の縁者さんたちのお墓などがあるそうです。


 さらにさらに進みます(汗)。

生野 東西寺 

 こちらが浄土宗知恩院派の東西寺です。

生野 東西寺 

 赤瓦のなかなか素敵なお寺です。古い建物が使われていて歴史を感じます。

生野 東西寺 東照宮 

 このお寺の大事な建物がこれです。

生野 東西寺 東照宮

 「東照宮」。そうです、ここにたどり着く前に生野の街で出会った石碑に刻まれた、徳川家康が没後、当時の代官が家康の像を安置し、それに倣ってのちの代官も将軍がなくなると位牌を祀った東照寺が、統合されたのがこの東西寺です。
 この東照宮にその家康像と歴代の将軍の位牌が祀られているのです。


 さあ、ようやく最後のお寺です。

生野 来迎寺

 浄土宗西山禅林寺派の来迎寺です。

生野 来迎寺

 強固な石垣と漆喰の壁がきれいです。これは生野に入る辻にあることから、生野の町を守る要塞としても位置づけられていたのでしょうか。

 実際にこのお寺とほかの七寺には次のような歴史があります。


 幕末において生野の変(生野義挙)がありました。生野の富豪の若者が攘夷の思想を持ち、農民兵の組織化を目指していました。そこに寺田屋騒動で逃れた薩摩の攘夷派の浪士が合流。その後、大和の国で計画されていた天誅組と同調して挙兵する計画でしたが、天誅組があえなく壊滅。挙兵中止も議論されましたが、天誅組の仇討ちと決起し、農民兵2,000人と生野で兵をあげました。
この時、農民兵が本陣を構えたのがこの来迎寺だそうです。

 ところが、幕府の対応は迅速で、挙兵の翌日には出石藩900名、姫路藩1,000名が生野に到着します。それに対し、あろうことか攘夷派の首領が逃亡し、だまされたと思った農兵が浪士たちを襲い、義挙の部隊は瓦解してしまったようです。後に出てきますが、朝来の山口村に布陣していた浪士たちは自刃し、のちの明治維新後に義士としてまつられることになります。

 そして、平定に参加した出石藩の第一陣が東西寺を本陣として来迎寺を脇陣にして布陣。第二陣は金蔵寺を本陣に、西福寺を脇陣とし、三番手は教徳寺を本陣に、禅操寺を脇陣としたそうです。

 このあたりは当時出石藩の兵であふれかえっていたということですね。


 なかなか興味深い一角ですね。


歴史の足跡を訪ねるのは楽しいです!


その6 につづく) 


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生野寺町地図

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コメント

そういえば

そういえばお寺ってのは
もっとも要塞として長けてる、
適してる建造物だと聞いたことがあります。
京都の東寺にしてもそのようですね。
石見銀山周辺もかなりの寺院がありました。

栄治 #- | URL | 2016/03/07 07:16 * edit *

妙詮寺!菩提寺ですよ(笑)
もう10年くらいご無沙汰かな?!
他にもなつかしいお寺があります。
しかも母の実家がチラッと写ってます(笑)
寺町はホント、道が狭いです。小学生の頃はよくこの道で親戚の子達と遊びました!

おばちゃん #- | URL | 2016/03/07 14:33 * edit *

栄治さんへ

そうなんです。

神社には石垣などないですが、お寺は石垣もあり、建物も漆喰で燃えにくいですからね。

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2016/03/10 13:03 * edit *

おばちゃんさんへ

> 妙詮寺!菩提寺ですよ(笑)
> しかも母の実家がチラッと写ってます(笑)

 この記事はおばちゃんさんの為に、街道を少し離れて歩いてみたものです(笑)。

 お母様のご実家が写っていましたか~。それはうれしいです!

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2016/03/10 13:07 * edit *

そうだったのですか?!
気を使わせてしまい、申し訳ないです(笑)

おばちゃん #- | URL | 2016/03/10 13:54 * edit *

おばちゃんさんへ

いえいえ、どういたしまして~

但馬屋惣兵衛 #- | URL | 2016/03/10 16:51 * edit *

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