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但馬街道を行く! ~その13 竹田城下町をゆったり巡る
2016/04/05 Tue. 06:00 [但馬街道]
夕方の遅い時間になってしまったので、姫路方面には汽車があるものの、但馬方面にはしばらく汽車がありません。神河町に出かけている奥方に帰りに迎えに来てもらうことにして、すこし和田山方面に歩きはじめることにしました。
その前に、竹田の城下町の南端で街道を離れて、寺町通りに入ったので、少し元の位置に戻りましょう。

しかし、竹田のお城は凄い人なのですが、城下町はちょっと閑散としていますね。ちょっと残念です。

立派な建物がありました。これは400年の歴史を持つ造り酒屋さんだったのですが、今では市により改装され、旧木村酒造場 ENというレストランとホテルになっています。レストランメニューを見るとランチで2,800円~、ディナーで5,000円~。そう、先日ご紹介した豊岡のオーベルジュ豊岡1925と同じ経営のようですね。

その隣にはちょっとした広場があって、簡単な展示のある竹田城についての情報館「天空の城」があります。

竹田城城主である赤松広秀さんが、家系図の中で「広英」になっているのですがいいのかな・・・・・。
さて、気を取り直して街道に戻ります。

こちらは古民家を使った鉄板焼き屋さんです。少しずつですがこうしたお店ができています。もっと増えてほしいですし、できれば観光客を迎えるためにも営業時間が拡大できればいいのですが。

壁を照明の形にくりぬき、漆喰できれいに仕上げられています。これで、外灯としても、玄関の灯りとしても使えるのですね。

灰色の漆喰の壁に一階にある木製の格子戸と、二階の黒い虫籠窓がセンスのいい古民家です。

よく見ると黒い漆喰の格子の間に白い漆喰などで美しい装飾が施されていました。いい腕の左官職人さんがおられたのでしょうね。

古い家の窓を見ているだけで楽しいです。

竹田のなかの街道はこうしてカギ状にクランクになったところが何ヵ所かあります。侵入してくる敵軍の勢いをそぐための城下町独特の仕組みなのでしょうか。

このあたりで、とても目を引く建物に出会えました。珍しい赤茶色の漆喰の本うだつの素晴らしい家です。

虫籠窓の前をよく見ると、なんと精緻に彫刻された不動明王の像があります。あまりの素晴らしさに驚き、手を合わさせていただきました。

その斜め前には片側だけうだつのある立派な建物があります。
うだつは「梲」または「卯建」とかき、兎の耳のようなものなのですが、隣接する建物の火事の火を防ぐ防火施設ですが、隣接していない建物でもあるというのは富の象徴的な修飾の要素が強いですね。「うだつが上がらない」などというゆえんです。

これはまた素晴らしい梲の上がった建物です。完成度が高く、綺麗に修繕されています。こうした建物が増えてほしいですね。

通りを進むと左手に寺があることを示す石碑があり、もちろんそちらに進みます。

簡素ながら、雰囲気のある門が迎えてくれます。この左側には防火の神様である秋葉神社がありました。

立派な山門が迎えてくれます。このお寺は臨済宗の観音寺です。

境内には立派な本堂や観音堂、経堂、庫裡、鐘楼などが並びます。立派なお寺です。創建は1764年と江戸時代中期のようです。

城郭のような堅牢な石垣の上には銃眼のある塀がありました。これと関係があるかどうかはわかりませんが、このお寺の上に竹田城の支城となると思われる観音寺城の跡があります。今ではかろうじて石垣があるのみのようですが、ここから登ってみたくなりました。

そのお寺を降りると、途中に日蓮宗の妙泉寺があります。こちらのお寺もいいですね。
寺を降りて街道に戻りましょう。

そこには先生さんや煮豆の欠片さんのお気に入りのカフェがありました。寄ってみたいけど時間がないので次の機会に・・・(涙)。

竹田の市街地の北のはずれには様々な石塔が並べられていました。
ん?
なにか?

これは道標です。
向かって右には途中でペンキが塗られていませんでしたが「右 たんごなりあい」と書かれています。以前、夜久野高原でご紹介しましたが、播州の西国三十三観音霊場第二十七番札所の西国書写山圓教寺から宮津の二十八番札所である成相山 成相寺へ向かう巡礼者が但馬路(現在の播但道)を経て宮津に向かう道を「なりあいみち」といいます。
ここで但馬街道から離れて、円山川を渡り、夜久野高原に向かったのでしょうね。
正面には「す●● ゆしま」と書かれています。「ゆしま」とは今の城崎のことです。城崎温泉の中心部を城崎町湯島といいます。当時は温泉に向かうには豊岡から船で行くしかなく島のようだということで、湯の出る島から湯島という地名だったのです。
城崎の由来は知りませんが、秀吉による但馬攻めのあと、豊岡の城を豊岡城に改名しましたが、その前は木崎城(城崎城)であったので、湯島に行くために寄る木崎がいつの間にか通称になったのかもしれません。
ここで奥方が迎えに来てくれました。
続きは日を改めました。
(その14につづく)

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コメント
但馬屋惣兵衛殿
おはようございます。
無事に帰宅しておりますよ(^^)
やはり、竹田城下は、竹田城のブームのおかげで、何とか息を吹き返しているような印象があります。
まあ、それしか観光資源が無いのも現実ですが。
それよりも、もっともっといろんな意味で地域活性化のアピールの必要性は強く感じております。
今回の旅行でも、それも感じました。
何か工夫が必要じゃないかと思いました。
いい勉強に
城崎についていい勉強になりました。
つい眠くなってしまいました・・・(-_-)
ひびきさんへ
> おはようございます。
> 無事に帰宅しておりますよ(^^)
お疲れ様でした。ブログを楽しく読ませていただいております。
> やはり、竹田城下は、竹田城のブームのおかげで、何とか息を吹き返しているような印象があります。
> まあ、それしか観光資源が無いのも現実ですが。
> それよりも、もっともっといろんな意味で地域活性化のアピールの必要性は強く感じております。
> 今回の旅行でも、それも感じました。
> 何か工夫が必要じゃないかと思いました。
そうですね。この城下町にはなかなか面白い魅力があるのですが、ここと城とを結ぶ動線が全くできていないことと、この城下町の魅力をどうブラッシュアップするかにかかっていますね。
街自体がそれぞれ違ったテーマパークとして、体験・食・見学などを磨いて、来た人が非日常を感じることが必要だと思います。
栄治さんへ
> 城崎についていい勉強になりました。
> つい眠くなってしまいました・・・(-_-)
おい、おい(笑)
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