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私の大好きな真田氏の本拠地であったお城で大興奮 ~史跡 上田城 長野県上田市 

 わたしが大好きな戦国時代の武将は数あれど、最も好きな大名は上杉謙信と伊達政宗、黒田官兵衛、そしてNHK大河ドラマでとりあげられた真田昌幸と子の信幸幸村ですね。

 NHK大河ドラマについては、「眞田丸」はコミカル過ぎて・・・・。昔の「真田太平記」のほうが好きです。

 さてさて、そんなことはさておき、真田の故郷のターミナルである上田駅を降りましたよ。

上田駅

 上田駅も真田の家紋である六文銭がデザインされています。新幹線の到着駅でもあるのできれいに整備されています。

上田駅 真田幸村像

 東側にあるロータリーには真田幸村像がありました。かっこいいですね。この段階で興奮が抑えきれないです。

 休日には上田城に向かうバスもたくさんあるのでこれで向かいました。到着したのが上田市観光会館です。

上田城 前

 通りの向こうが上田城ですね。ここである方と待ち合わせ。

上田城 ガイドさん

 上田城のガイドさんです。ガイド代は500円ですが、せっかくですので詳しく聞きたいですからね。

上田城 二の丸橋

 空堀にかかる橋を渡ります。これは二の丸橋です。二の丸東門は石垣を残して現存しておりませんでした。

上田城 けやきなみき遊歩道

 空堀は現在はけやきなみき遊歩道として市民の方々に親しまれているようです。当然、上田城が顕在でありし時代には滔々と水をたたえていました。廃城となってから水が抜かれ、空堀になっていたところ、上田駅から真田の郷である真田まで鉄道を建設する際に、便利がよいとこの場所に上田交通真田傍陽線の線路が敷設され、昭和47年まで営業されていたそうです。

上田城 駅の跡

 遊歩道から上の道路に上がる道がありますが、この形状を見るとわかるでしょうか。当時の駅ですね。ガイドさんがいらっしゃってよかったです。たぶん私たちだけではなにも気が付かず通り過ぎていたことでしょう。

上田城 上田市立博物館

 二の丸に入って右手には上田市立博物館があります。

上田城 案内看板

 ここで看板を確認します。なるほどそれほど大きくないお城ですね。

 さらに歩を進めると銅像に出会います。

上田城 三吉米熊

 これは三吉米熊像です。彼は長州藩の藩士でしたが、欧米で養蚕を学び、上田に赴任し、ここに養蚕技術の学校を設立し、初代校長となった人物です。当地の養蚕の発展に寄与しただけでなく、全国の養蚕業に果たした役割は大きかったようですね。

上田城 桑の木

 そういえば歩いてきた道の両脇の木が不思議な形だなと思っていたら、蚕の餌になる桑の木ですね。収穫するのに生産性がよくなるように背が低くなるように品種改良されたそうです。なるほどなるほど。

上田城 東虎口

 二の丸を突っ切ると大きな堀があり、本丸につづく東虎口に出会います。この堀はとても大きな堀です。

 ここからはちょっと江戸時代の話をします。

 実はこのお城を江戸時代に大修復したのが仙石忠政といいます。実は徳川方についた真田信之は上田の城主になり修復を使用としますが幕府は許さず、松代に転封してしまいます。後に入った仙石氏は城の修復にかかります。参勤交代の最中も堀をまっすぐにするようにとか細かい指示を出すなど熱心に取り組まれたそうです。
 志半ばにして仙石忠政は病に倒れ、修復は完成に至りませんでした。その後、仙石氏が転封になったのが但馬の国出石なのです。逆に出石藩からは松平家がこの上田城に入ります。要は住民にとっては上田藩と出石藩で藩主を好感した形になりました。
 それから信州の蕎麦が但馬に伝わり、出石そばができたという逸話もあり、上田市と出石のある豊岡市は姉妹提携都市であります。お城祭では上田のリンゴを販売されているのでぜひどうぞ。

 話を戻しましょう(笑)。

上田城 東虎口楼門と南楼

 仙石氏によって綺麗に改修された上田城ですが、明治維新後は民間に払い下げられて料亭として使われたりするなどつらい時期を過ごし、再び朽ち果てようとしていたそうです。そこで昭和に入って市民の強力もあり現在のように立派に復元された歴史もあるそうです。素晴らしいことですね。

上田城 南楼

 いろいろな思いを背負った上田城の東虎口楼門の左には南楼、右には北楼が勇壮な姿を見せてくれます。

上田城 真田石

 北楼の石垣の中にひときわ大きな石があります。これは真田石といわれています。お城の強さを誇るために石の大きさを競うことがあったそうです。

上田城 門の向こう

 さあ、本丸に入りましょう。

上田城 真田神社 鳥居

 本丸に入ると真田神社の鳥居が見えます。

 この神社は明治政府が城跡の土地建物をすべて売却する方針を立てましたが、城を残したいという市民が購入し、ここに真田家と代々の藩主を祀る神社を立てて、敬うとともに、城跡の保全を図ったというから驚きです。市民の上田城と真田家に対する愛情は本当に深いのだとよくわかります。

上田城 真田神社 拝殿

 こちらが拝殿です。

上田城 真田神社

 出石の方はわかりますよね。神社にかかる白い幕ですが真ん中に2対が真田家の家紋である六文銭、左側は松平家の家紋、右側は仙石氏の永楽銭です。
 ちゃんとお祈りしておきました。

上田城 真田井戸

 こちらが真田井戸といって、井戸の役割はもちろん、抜け穴であったという伝説があるそうです。知略にたけた真田家らしい伝説です。

上田城 西楼

 さらに奥に進みます。

上田城 西楼

 ここには西楼があります。西の守りのかなめですね。

上田城 尼ケ淵

 南は上田城の最も守りの硬い部分であります。尼ケ淵といって断崖絶壁になっていて、当時は千曲川の流れがあり、天然の要害でもあったようです。何度も戦を行った北条家に対する備えです。

 ここで当時の城の構造を見てみましょう。

上田城付近絵図

 この様に南に千曲川と急峻な崖、西は複雑に水路を交錯させた街割りを要害としています。これで北条氏に備えたようです。もともとは徳川家康が北条氏の抑えとして築城したもので当然です。それを利用した真田昌幸は徳川と手を切ると、矢出沢川を引き込んで北と西に堀と大きな池をつくって総構えとし、上杉に加えて徳川に備えます。四方を要害に囲まれた城であります。

 本丸に天守閣があったかどうかは確たる証拠はありませんが、金箔が張られた瓦が出土し、息子たちの居城にはそれぞれ天守閣があったことから、天守閣もあったと想像できます。

 ガイドさんが但馬から来られならば北の方にも行きましょうと案内してくれました。

上田城 北の石垣

 北にもこのように頑丈な石垣が詰まれています。その先にあるのがこれです。

上田城 陸上競技場

 いまは広大な陸上競技場になっていますが、これが北西にあった池です。とても大きな池だったことが解りますね。

上田城 暗渠

 ガイドさんが見せたかったのは池ではなくてその反対にある暗渠です。上流から池に水を引き込む水道ですね。

 じつは仙石氏がお城の改修を行う前はこれは木製だったそうです。どうしても腐ってしまい、何度も回収する必要があったために幕府に石の暗渠に変えたいと申請をしていたそうですが、なかなか許可が出なかったようです。たまりかねて、先に工事をしてしまったそうですが、この後しばらくして出石への転封が決まったそうで、転封の原因になったのではないかという説もあるそうです。なるほど、これがきっかけとすると但馬に住んでいる人間は見ておくべきかもしれませんね。

 上田城はお城としてはさほど大きくありませんし、天守閣があるわけでもありません。でも上田の人たちにとても親しまれているお城だと感じました。それと、但馬にとても深い関係があるお城なんですね。来てよかったです。


 大の真田ファンとしてはこのあと、ちょっと離れた場所にある真田の庄にお墓参りなどに行きたかったのですが、時間の都合もあり断念しました。近いうちに再訪したいと思います。


素晴らしい体験でした!



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