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新潟に残る日本指折りの大地主の豪邸に驚く! 

 新潟市の郊外に凄い大きさを誇る歴史ある豪邸があるというのでお邪魔してきました。
 
 現在の名前は北方文化博物館といいます。

北方文化博物館 入り口

 正門に設けられた入り口でにゅうかんりょうをお払いして中に入ります。前庭の様子ですがここでも度肝を抜かれました。立派な松が素晴らしい庭です。
 
北方文化博物館 石像

 正門の脇にはかわいらしい石仏がいくつかこちらを覗いていましたよ。

北方文化博物館 表の蔵を見る

 前庭から正門を見ますが、門というより一つの屋敷のような建物です。それもそのはず、米を大量に蓄えていた蔵でもあったそうです。武家屋敷ならば武者だまりになっていますが、豪商ですので蔵ですね。

北方文化博物館 大玄関

 前庭の奥には大きくてぜいたくなケヤキをふんだんに使った大玄関があります。これは年間に数回だけくる貴賓を迎えるためだけに作られた玄関だそうです。

北方文化博物館 大玄関

 玄関の先には贅を尽くした大広間庭園が見えますが、ここからは入れないので、後ほど紹介しますね。

 北方文化博物館 母屋

 大玄関から母屋に向かいますが、この屋根のつくりもすさまじいものがありますね。

 そもそもこの大豪邸の主人はどんな人だったのでしょうか。

 1756年ですから江戸中期の正月。文吉という20歳の若者が一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられ百姓として分家しました。文吉は妻の実家の家業から藍を扱う商売も始め、その利益で田畑を増やしていきます。
 そのあとを継いだ2代目文吉は藍だけでなく、雑穀をあつかい、質屋や倉庫業と手を広げ、農業をやめて豪商としての道を歩き始めます。その後、3代目文吉とともに名字帯刀を許され「伊藤文吉」を名乗ることになりました。
 明治時代になり、4代目文吉は早逝しますが、跡を継いだ若き5代目文吉は122町歩余(122ha)の田畑の産む財力を元手にこの豪邸を立てることを決心します。工事は明治15年に始まり、明治22年の暮れといいますから、8年間もの時間を費やし現在の屋敷が完成したそうです。その後も土地は増え続け明治34年(1901年)には1,063町歩(1,063ha)というすさまじい大地主となりました。

 では、この大豪邸は「伊藤家邸宅跡」などという名勝ではなく博物館になったのか。これはこの石碑が説明してくれます。

北方文化博物館 石碑

 伊藤家は栄え続け、京都や奈良に新婚旅行に行くなどしています。世は変わり大正時代に入り、7代目文吉はペンシルバニア大学に留学をします。
 ところがここで、日本中の大地主が消滅する大きな出来事が起こります。昭和に入って太平洋戦争による敗戦、そして進駐軍による農地解放令です。大地主の土地は強制徴取され、全て小作農に分割贈与されたのです。
 伊藤家にも軍の隠し財産があるという名目でライト中尉が派遣されてきます。ここで奇跡が起こります。ライト中尉は文吉と同じペンシルバニア大学の卒業生で、土地をとられても屋敷を残す方法は博物館として寄付するしかないとアドバイスするのです。文吉はこれに従い、屋敷を寄付し、屋敷の一部で生活を続ける決心をしました。これで、この屋敷は現在まで朽ちることなく保存されたのです。

 凄い物語ですね。感激してしまいました。

 そんないろいろな歴史を感じながら母屋に歩を進めます。

北方文化博物館 居間

 こちらが文吉たち家族がくつろいだ囲炉裏のある居間でしょうか。

北方文化博物館 中庭

 中庭の風情がとても素晴らしいです。その向こうには大玄関のあった大広間が見えますね。

北方文化博物館 磁器

北方文化博物館 伊万里焼

 ここには当時使った食器などが展示されていますが、伊万里焼の素晴らしい作品の数々に目を奪われますね。これはこの屋敷で行われた宴席で使われていたもののようです。

北方文化博物館 婚儀の御品書き

 その一つがこれですね。長い書物の巻物に見えますが、実はここで行われた三日三晩の結婚式で出された お料理の御品書き だそうです。凄いですね~。

 そしてこの建物すさまじさを示すもののひとつがこれです。

北方文化博物館 一本通しの杉の丸桁

 上の桁材を見てほしいのですが、なんと18間もある杉の桁です。この巨大な桁を運び入れるために周囲の家を数件壊したというからすさまじいです。

 屋敷の裏舞台に移ります。

北方文化博物館 トキの剥製

 なぜか国の点々記念物であるトキの剥製が展示されていました。

北方文化博物館 台所と居間

 さらにその先には板ばりの居間台所風呂がありました。

北方文化博物館 台所

 沢山の使用人さんたちがここで料理をして、食事を共にされていたのでしょうね。

 2階に上がります。

北方文化博物館 2階の展示

 ここは昔は子どもたちの遊び場のようになっていたそうですが、今では様々な道具の展示がありました。この辺りの農村風景が目の前に浮かんできそうです。

北方文化博物館 土地台帳

 さらに、伊藤家に取って最も大事であったろう、土地所有の証書や質の記録など財産に関する目録や書類がたくさん展示されていました。

 さあ、いよいよお客さんが使った大広間に移動します。

北方文化博物館 大広間

 かなり広い畳の部屋です。テニスコートくらいはありますね。

北方文化博物館 庭

 畳の上に正座して眺める庭園は素晴らしいの一言です。写真には全ては写っていませんが、なんとこの庭の周りに5つの茶室が点在しています。

北方文化博物館 吊り欄間

 縁と庭を隔てる雨戸をかける欄間をご覧ください。建物の角に至るまで柱がありません。長大な吊り欄間です。お金がかかっていますね~。

 さてさて、母屋から離れて裏庭に出ます。

北方文化博物館 藤だな

 ここには立派な藤棚がありました。花の咲く春はきれいでしょうね。さらに奥には不思議な建物があります。

北方文化博物館 三角亭

 鋭角に作られた壁の建物があります。これは三角亭といいます。

 京都などで、豪商が遊び心で作ったりされていたようです。

北方文化博物館 三角亭

北方文化博物館 三角亭

 とてもおもしろいです。

 このお国は非公開の屋敷がありますが、実はここに元の子の家のある寺である伊藤家の方々がお住いです。この日も少しだけですが、そのお姿を見ることができました。

北方文化博物館 食堂とお土産やさん

 藤棚の向こうには大きな平屋の建物があります。現在ではレストランとお土産やさんになっていますが、この屋敷を立てるときに、当然腕の良い大工さんがこの辺りにいないので、京都など各地から腕の良い大工さんを8年もの間、住み込みで働いてもらう必要があったのですが、これがその宿舎だったそうです。家を建てる前に大工さん様に家を作ったというから驚きですね。

 さらにその奥に立派ながあります。

北方文化博物館 集古館

 これは集古館といって、伊藤家の集めたお宝が展示されているのです。

北方文化博物館 集古館

 家の中にあったように、貴重な焼きものや掛け軸などが展示されているのかなと思ったら、想像をかなり超えていました。

 日本の古い仏像だけでなく、世界各地の貴重な遺物がたくさん展示されていました。古代中国やシルクロードに関わる品々、はてはこんなものも・・・・・

北方文化博物館 集古館

 エジプトのミイラのマスクです。こんなところに保管していていいものなのでしょうか?

北方文化博物館 蓮畑

 まさに度肝を抜かれた屋敷でしたね。蓮畑が驚きを収めてくれましたよ。

 新潟の歴史は関西とはまた違ったもので、興味津々でした。またよく調べて再訪してみたいと思います。



でっかい田んぼで育ったでっかい豪商の屋敷です!



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北方文化博物館 平面図

北方文化博物館 地図

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